杖と花


 走って逃げろと言われても限度はある。倒壊する建物、降り注ぐ瓦礫によって怪我を負い動けない国民が多く目立ってきた頃。その光は空から音もなく現れた。発光する綿毛のような柔らかい光。生き物に触れた途端に、吸収されるようにして光はスゥと消えていく。鳥カゴで狭くなったドレスローザ全土へと、分け隔てなく。光に触れた者はみるみるうちに回復し、活力を取り戻していく。
 レイルスがその光を視認した時、ルフィの拘束から逃れようと暴れていた身体の動きをぴたりと止めた。その光に覚えがあったからだ。ローの腕を治療する際、マンシェリーがその手から生み出していたものと同じ燐光。思わず上空を見上げてレイルスは口角をあげる。レイルスが知る中で一番優しい悪魔の実の能力の使い方だった。まさに大衆のために行使された力、自分とは大違いだと自虐のようにレイルスは喉を鳴らす。
 頑張っている。あのうるうるとした瞳でレイルスを見上げてきていた、小さな少女が懸命に戦っている。レイルスが決意を新たにルフィの拘束から逃れようと身を捩ったその時、満身創痍ながらも闘志をギラつかせたローが現れた。
 ギャッツの目の前に現れたローにレイルスは目を見開いた。オペオペの実の能力を使って落下して、そのまま地面へ叩きつけられたローの右腕からは血が流れている。マンシェリーとレオ、そしてレイルスによって繋げられた腕だ。後遺症までは不明だが、無事接着はしたらしいとレイルスは安堵する。ギャッツは突然現れた七武海に驚いて足を止める。どうしてと問うも世間を賑わせていた同盟のことを思い出し、麦わらの仲間であるとギャッツはすぐに察する。
「お前ら、遠くへ逃げすぎじゃねぇか……そいつの覇気は戻るのか」
「そ、それが……10分必要と言われ、今あと3分20秒」
「一刻を争う勝負だ、あとは俺が預かる」
「ハイ!!」
 荒くれ者を多く見てきたギャッツでも、やはり七武海は恐怖の対象らしい。声はみっともなく震え、言われるがままにルフィを差し出した。逃げるようにして去って言ったギャッツの背をなんとなしに見送る。こんな状況下でここまでルフィを背負い逃走したのは賞賛されるべきだろう、他の国民と同じように遠巻きにしてもよかったところをギャッツという男はルフィとリク王を信じると自らの意志で決めた。「籠の中心に逃げなよー」とその背中へ声をぶつけてから、レイルスはローへと目を向ける。ルフィの腕に見事絡め取られているレイルスを睨んでローは唸る。
「何遊んでやがる」
「喧嘩なら買うけど」
 ルフィは口にしなかったが、別にドフラミンゴとレイルスがやりあうことに反対というわけではないのだ。もちろん勝てるはずのない負け戦であるのは確かなのだが、それ以上に今このタイミングでレイルスを目の届かない場所に送ることが嫌だった。2年前のように、知らぬ間に出港されたら。要するに無断でいなくなると思われているのだ。ルフィからすればまた無事すら確認できないで消息不明などたまったものではない。
 ルフィに黙って消えたレイルスの軽率な行動は、ルフィ自身も自覚していないがしっかりと嫌な記憶として胸の奥底に張り付いており、こうしてルフィの行動に現れるにまで影響を与えていた。加えてサニー号でも堂々と同盟配下にいるわけではないと啖呵を切っている。悪いことにレイルスを連れ去ったローもいる。ルフィがレイルスを手元に置きたがった最大の理由はレイルスのこれまでの行動が原因だった。つまり自業自得である。実際ルフィの知らぬところでドフラミンゴに拉致されていたのだから、ルフィの心配も的外れではない。
 ローは大きくため息を吐き出してルフィを見つめ、そして巻き付いた腕に目を向ける。レイルスの腕を巻き込みながら3周半。そしてその手は引っかかるようにしてレイルスの失われた左腕の肩に乗っている。ローとしてもレイルスとドフラミンゴを対峙させることは避けたい。あれだけ追い詰められたドフラミンゴをローも見たことはない。何をしでかすかわからない、手負いの獣のような恐ろしさが気配から伝わってきている。鬼哭に一度額を当てて、考えをまとめたローはレイルスを睨みつけた。
「解放してやるが、条件がある。ドフラミンゴには近寄るな」
 レイルスの顔が見事にゆがんだ。
「自覚していないようだから言うが出血量が多すぎる。血のストックがない以上それ以上は命取りだ」
 医者として許せないとローは断言する。医者ではなくともレイルスの顔色をみれば誰だって「大丈夫か?」と問いかけるだろう。それくらいにはレイルスの顔色は悪かった。女でも容赦はしないコロシアムの剣闘士たちですら「やめておけ」と下手くそに止めたほどだ。ギャッツも同じ理由でレイルスを背負ってくれていたのだが、肝心のレイルスには全く伝わっていなかった。
 ローの言葉にレイルスもスッと表情を消す。なるほどそれはまずい。ポーラータングでも耳が痛くなるほど血の希少さについては教え込まれていた。わざとらしく息を吐き出してレイルスは頷いた。
「わかった、こっちから喧嘩売らない」
「売られても買うな」
「わかったよ!」
 レイルスにしっかりと釘を刺したローは能力を展開してルフィと共に建物の屋上へと移動する。その際レイルスはルフィの腕からやっと解放された。疲れた顔で肩を回したレイルスは湿気の強い目で倒れるルフィを睨む。ローはずるりと身体を壁に預けて全身で呼吸を繰り返している。とっくに限界を超えているローは能力を一つ使う度に意識が飛ばないようにすることでも精一杯だった。屋上から身を乗り出して状態を確認したレイルスは顔だけ振り返りローへと声をかける。
「それじゃ、よろしく」
 ローが言葉を返す前に、レイルスの纏っているドレスの黒が屋上から舞い降りる。ローの視界に辛うじて移ったひらりとしたドレスの一部がまるで海賊旗のように落下に逆らって翻っていた。


 - return - 

投稿日:2023/0603
  更新日:2023/0603