あなたは切札

「バタバタしていてごめん」
「んや、前は私が飛び出したからね」
 先ほどのハイデリヒの言葉をニヤッと笑って繰り返したレイルスにハイデリヒは苦笑する。気安いやり取りをするレイルスとハイデリヒを見てサボはへぇと少しだけ意外なものを見る目でハイデリヒを見た。幼馴染であるこの男のこんな表情は見たことがなかった。
「でもお陰で、戦場に行けない苦しさをまた思い出したよ」
「……それはお陰っていう?」
「うん、だから今ここにいる」
「そ」
 興味の薄そうな反応だが、ハイデリヒは満足そうに頷く。ずっと礼を伝えたかった。自分を諦める毎日から掬い上げてくれたレイルスに。そのつもりが全くなかったとしてもハイデリヒにとっては一本道に見えるほどには明確な道を示してくれた。
 会えるのは、最後だろう。ハイデリヒは足をとめてレイルスを見下ろす。再会した時の喪服のような黒いドレスより、ダルっとした男物のシャツの方がレイルスにはなんだか似合っていて笑ってしまう。それは多分、あの島でよく見ていた格好に近いからだ。ロビンによってポニーテールにされた金色の髪がゆらゆらと歩みと共に左右している。
「そういえばストーブ直してくれただろ」
「お、気が付いた?」
「新品みたいになってたら僕でも気が付くよ」
 悪戯が成功したように笑うレイルスにハイデリヒもつられて笑う。妙な音を立てていた小ぶりの薪ストーブを思い出したレイルスは「お陰でまだ現役」と言葉をつづけたハイデリヒに笑みを深くした。サボは革命軍本部にあるハイデリヒの部屋で異彩を放つレトロなストーブにレイルスが関わっていたと知り内心で納得する。古い型のものなのにどうも大切にしていると思っていたがそういうことか。暖炉もあるのに要らないだろうとハックに言われても手放さなかったと知ってから何かあるのだろうと思っていたがまさかこんなところでもレイルスが関与していたとは、と眉を下げる。幼馴染に対して、サボは何もしてやれなかった。そんな中で出会ったレイルスという存在は悔しさすら感じるほどハイデリヒに鮮明に焼き付き多くを残していった。
「ありがとう、僕と出会ってくれて」
 振り返ったレイルスにハイデリヒは目を細める。こうしてみると、本当にきれいな人だと改めて思う。彼女の生き方がきっと見た目に現れているのだろう。まっすぐで強くて、まぶしくて。カッコいいなと素直にハイデリヒは感じた。先ほど王宮で似た言葉を伝えた時とは違い、明確にレイルスへと向けられた言葉にレイルスは目をぱちくりとさせた。
「大袈裟」
 ふは、と笑うレイルスを見てハイデリヒは笑みを返す。珍しく声を上げて笑うハイデリヒをサボは少しだけ切ない顔で見つめた。うん、と満足そうに頷いたハイデリヒにレイルスは思い出したようにあ、と声をだした。
「そうだ、王妃様がワノ国が貿易に関して異色だったって掴んでたよ」
「え、それ本当!?」
 あの後何とかリストを作成したハイデリヒだったが、ついぞ武器製造国を突き止めることはできなかった。徐に与えられた大きな情報にサボも目を見開く。月明かりに照らされた金色の瞳が、パチリとサボを映した。思わずサボは息を止める。サボはできるだけ2人の邪魔はしないようにと一歩引いた位置を歩いていたのだ。
「マルコからエースの言葉は聞いた?最後の言葉」
 突然の言葉に、サボは驚くと同時に首を振る。何のことだとごくりと喉を鳴らす。あの時、エースの最後の言葉を聞いていたのはルフィとレイルスだけだったのだがそれを知らないレイルスはなぜマルコはこれを教えてやらなかったのかと少し眉を顰める。身体をしっかりとサボへと向けて、レイルスはゆっくりと口を開く。花が穏やかに揺れる風が、三人の間を抜けていく。中身のない紺色のシャツの袖が緩い風にふわりと漂った。
「『愛してくれてありがとう』」
「……はは」
 なんて遺言だろう。ぎゅうと胸が痛むのは、目が熱いのはどうしてか。咄嗟に帽子の鍔を下げてぐしゃりと握り込む。口がへの字に下がって震えているのを自覚した。世界全部が憎いと、生まれのせいで周り全てが敵だといっていたエースが言ったとは思えないほどやさしい言葉。愛されているのだと、そう教えた存在がエースが死ぬ間際に心を占めていたということは、とても幸福なことに思えた。我慢しきれなかった洟をすすり、サボはレイルスへと目を向ける。茶化すように何とか笑ったが、みっともなく震えた声はごまかしきれなかった。
「あんたみたいな……別嬪に伝えてもらえて俺はラッキーだな」
「マルコはおっさんだしね」
「はは、違いない」
 表面張力からあふれた一滴がごろっとサボの頬を転がる。火傷の痕を伝った涙にレイルスは目を細めてひっそりと笑う。最後に再びサボは心からの感謝を述べてレイルスへ背を向けた。
「それじゃあ、元気で」
「ハイデリヒも」

「伝えなくてよかったのか?」
 レイルスと別れてからすぐ、サボはハイデリヒに問いかける。涙を流したために鼻が赤くなっているサボにハンカチを差し出しながらハイデリヒは「なにが?」と呆けて見せる。
「わかってんだろ」
 声を険しくしたサボは、ひったくるようにハンカチを受け取って真剣な顔でハイデリヒを見つめる。革命軍幹部の一部にのみ知らされているその情報に納得するために、サボも多くの時間を要した。コアラもハックも、苦しんで悲しんで、しかし明るくなったハイデリヒに何も言えないのだ。死んだように時間を過ごしていた彼をよく知るからこそ、今の彼を否定などできない。
「教えたところで困らせるだろ」
「困る可愛げはなさそうだったがな」
「はは、確かにどっちかというと怒りそう……でも、そう見えないだけで誰よりも悲しんでくれるよ。きっとそういう人だ」
 元からハイデリヒは身体が弱かった。レイルスに出会う前からのことではあるが、そんな身体を押して戦場に出て戦いたいという彼の我儘を通すため、イワンコフによって無茶な治療が行われた。イワンコフ自身も最後まで躊躇ったその治療とは、ハイデリヒに体の健康を約束するものではあったが、命を縮めるというとてつもないリスクを負うもの。しかしハイデリヒの決意は硬く、誰にもその意思を曲げることができなかった。もう彼の命は長くはない、サボははぁと息をついてやるせない感情を逃がした。
「それに、この海のどこかで元気でいると思ってくれていた方が僕も嬉しい」
 この世界の海は広く複雑だ。別れてしまえば簡単に再会できないことはこの2年でハイデリヒもサボも痛感している。だからこそ、もう死に逝くもののことなど知らないでいてくれた方がずっといい。穏やかな笑顔でハイデリヒは笑った。あと数年で死ぬだろうと宣告されている男にはまるで見えない笑顔に、結局サボも笑うしかなかった。我が幼馴染はこうもカッコイイ、サボは誇らしくも悔しくなってこの野郎とハイデリヒの背をパシンと叩いたのだった。

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投稿日:2023/1023
  更新日:2023/1023