慈悲の印
「君はサ、時々びっくりするほど我が弱いよネ」異国からの来訪者は、のんびりとした物言いで少女を釘付けにした。
砂漠を超えて遥か先、大国の王子であると宣った割にはそう見せない気安さを纏って笑う少年は、しかし物事を見定める審美眼を確かに持っていた。人目を避けて生活を始めて暫く経つが奔放に笑う少年に鬱屈さは見当たらない。不自由さなどどこにもないとばかりにぐっと背を伸ばす。少年の長く黒い髪がくしゃりと動きに伴って拉げる。触れればちくりとしそうな髪質を煩わしいと思っているのだろう、首元から掬うようにして避けた仕草は乱雑だった。そこでようやっと少女の様子に気が付いた少年は、見定めるようにして少女へと視線を向けて困ったように微笑んだ。
「そんな顔しないでヨ、俺が君の弟達に怒られる」
ドレスローザでのドンキホーテファミリーとの戦いで、麦わらの一味と共闘したそれぞれの団体。美しき海賊団から始まり、ヨンタマリア大船団で終わる7つの団体が子分盃なるもので勝手に傘下に加わった。総勢5600人以上もの大所帯にルフィはあからさまに嫌そうな顔をして断固拒否の姿勢を取ったが、なるほどルフィを頭に据えたいという変わり者はやはり我が強いのか、ルフィの意志を無視して配下に下ることとなった。
一番船が大きいということで宴会場となったヨンタマリア号。巨人族であるハイルディンが乗船してもまだまだ余力があるのだからその大きさは並のものではない。全員が無事船に乗り込んだ後、ルフィやローの首を狙った海賊が襲撃をしてきたが、どうしてか藤虎が浮かせていた瓦礫がその海賊たちを一掃していくという場面もあった。子分盃の下りで忙しかった海賊は藤虎の助太刀に気が付かずにいたため唯一気が付いてしまったレイルスはひくりと顔を引きつらせていた。
出航と共に飲めや歌えやの大騒ぎになったため、そっと輪から外れようとしたレイルスだがそれを許すものは一人もおらずほとんど中央から逃れられることなく注目を浴びていた。ぐったりとしていたレイルスだったがそんな彼女に吉報が舞い降りる。
「エルランド〜!!無事でよかったれす〜!」
ビーン!と泣きながらきゅっとレイルスの頭に飛びついて抱き着いたのはウィットンだ。誘拐犯とその被害者という始まりだった二人だが、まわりのトンタッタもウィットンの様子を微笑ましく見ている始末。彼らの危機管理能力の絶望的なまでの低さにレイルスは頭痛を覚えたが、すぐにぎょっと目を剥く。ウィットンを追ってやってきたカブが運んできたものがグリーンビットで紛失したと思っていたジャケットだったのだ。
「エルランド!これ大切なんれすよね!ウィットンが潜ってみつけたんれすよ!」
「ありがとう!」
これには思わずレイルスも満面の笑みを浮かべて頭に張り付いていたウィットンを手で掴み頬ずりをしてしまった。命の恩人にそんな風に褒められてしまったウィットンは顔を真っ赤にして照れた。ウィットンを自身の肩へ乗せたレイルスはそのままカブが掴んで飛んでいたジャケットを受け取って改めて礼を言った。駄目だと思っていたため嬉しさもより一層強く、レイルスの顔は喜色に綻んだままだ。
麦わらの一味がキュロスの自宅にて休養をしている間、マンシェリーとその護衛を除くトンタッタ族はドレスローザの復興とグリーンビットの整地に追われていた。マンシェリーは未だ怪我人の多いドレスローザのためにその能力を遺憾なく発揮しており、なんなら海軍たちから活力をごっそりと奪い取り海賊たちの逃亡に知らずに手を貸していたりしている。そんな中でカブがレイルスがぼやくようにつぶやいていた言葉を覚えており、それを探そうと手を挙げたのがウィットンだったのだ。基本的に不機嫌そうだったレイルスの変わりようにトンタッタもデレっと嬉しさを前面に出して近寄って、ここぞとばかりにくっついて戯れ始める。
「なんの!グリーンビットのことに比べればこんなの些細なことなのれす!」
レオがジョッキを片手にニコニコと告げた内容に、詳細を王宮にて聞いていた海賊たちは勝手に盛り上がっていく。それを無視したレイルスは勝手に注がれていたエールのジョッキを手に取ってレオのそれにぶつけた。
「それでも本当に助かった、改めてありがとう」
カブとウィットン、レオへ目を合わせたレイルスの微笑みは穏やかなもの。しれっとレイルスの腕にしがみついていたトンタッタ――ウィッカがレイルスを見上げてぺこりと礼をした。
「エルランド、ウィットンからいろいろ話をききました……本当にありがとうれす!」
「ウィッカはゾロランドにとっても助けられたのれす!」
「おう」
得意げにレイルスの隣にどかりと座ったゾロが上機嫌に酒を飲む。酒さえあれば普段の仏頂面が嘘のように無邪気に笑うゾロに呆れながらレイルスはワインボトルを手に取ってゾロのジョッキにドパドパと酌をしてやった。
「妹を助けてくれてありがとうれす、エルランド!」
「お前等姉妹なのか」
ウィッカの言葉に首を傾げたゾロがレイルスの肩に乗ったウィットンを見下ろす、コクコクとそろって首を縦に振る二人を見ればなるほど似ている。レイルスもへーと相槌を返しながら大皿に盛られていたブロッコリーを摘まんだ。
「最初はエルランドに誘拐されてびっくりしたれす」
「方向音痴のあんぽんたんれしたけどちゃんと目的の場所につれていってくれたんれす」
こいつ何やってんだ。互いにそんな目を向け合ったゾロとレイルスに気が付かない姉妹はきゃっきゃとはしゃぐ。つついたら長そうだと察したゾロはレイルスが膝に置いたジャケットに目を向けた。
「パンクハザードからずっと着てたなそれ」
「ああ」
あっという間にジョッキを開けたゾロにレイルスのほとんど手の付けていないジョッキを押し付ける。飲みかけだろうが喜んで受け取ったゾロはレイルスが裏返したジャケットの裏側に綿密に描かれた陣を見て目を見開く。無言で陣を確認し、海水に長く浸っていたせいで使い物にならなくなっていることに気が付いたレイルスはそっとため息を飲み込む。こればかりはしょうがないと割り切り、ポケットを漁って小銭入れのような手のひらサイズの布を取り出した。ボタンを外し中身を引っ張り出したレイルスの手には小さな紙。サボから直近で手渡されていたものがあったためゾロはすぐにその正体に行き着いた。
「そりゃビブルカードか?」
近くで酒を煽っていたイデオが興味深そうに上から覗き込む。多くのものが独特な服装だと判断していたが実は手長族であり関節が一つ分多いため、飾りだと思っている肩から上の出っ張りは腕だったりする。例にもれずそれを知らないレイルスは「変な服だな」と思いながら随分高い位置に顔のあるイデオを見上げてから頷いた。
「マルコの」
「ああ不死鳥」
「……は!?」
昨夜サボから墓参りに行った際に名が出ていたためすぐにゾロは思い至るが、とんでもないビックネームが飛び出したことにイデオは目をひん剥いた。しかし2年前の頂上戦争にて同じ場所にいたことを思い出し、実は麦わらの一味で一番計り知れないのはこの女なのではなかろうかと内心で慄いた。
「これ無くしたら流石に怒りそうだなと」
「無くすなよ」
「ジャケットごと海に捨てられたんだって」
「誰に」
「クソミンゴ。だからありがとうねウィットン〜」
軽快なゾロとレイルスのやり取りはイデオにとっては情報量が多すぎて目を回すものだった。
投稿日:2024/0412
更新日:2024/0412