慈悲の印
宴会の端で静かに酒を飲んでいたローを無理やり引きずってきたゾロは、暫くするとローを置いて酒を求めてふらりといなくなった。自由なゾロに苦笑しているレイルスにローは視線を向ける。どこからか花を大量に持ち出したのだろうトンタッタによって長い髪を結われ、その髪に差し込まれた大小色とりどりの花が潮風に静かに揺れていた。振り切って上機嫌なウィットンが筆頭となっての強行である。やはり二年前と変わらずこういった面では押しに弱いため、すっかりされるがままにされているレイルスである。シンプルな紺色のシャツには合わない豪華な髪を一瞥したローは写真のことを問いたい気持ちを抑え、それより前にやることがあると口を開いた。「ベビー5に話は聞いたのか」
「どちらさん?」
首を傾げるレイルスにため息を一つ落としたローは未だトンタッタに群がられているレイルスの頭をガシッと掴み別方向へと向けた。手加減はされているものの突然の暴挙に驚いたレイルスとトンタッタは揃って妙な声を上げた。
「あそこにいる女だ、元ドフラミンゴファミリーの幹部で最終的に寝返ったらしい」
「行ってくる」
みなまで言わずとも理解したレイルスがスッと表情を消して立ち上がる。ついでとばかりに身体に張り付いていたトンタッタ族を掴んではローの上に落としていった。ムッとした顔をしたローだが酔っているらしいトンタッタ族はきゃっきゃとはしゃいでいた。ついていこうと思っていただけに出鼻をくじかれたローはそれなりの剣幕でレイルスを睨んだのだが気が付かないままレイルスは背を向けて離れていく。まだしっかりと編み込まれていなかった花がいくつかはらりと風に攫われて落下する。
近づくにつれて、レイルスは嗚呼確かに見覚えがある女だと思い出していた。丁度ドフラミンゴの糸によって雁字搦めにされていた時にレイルスを見下ろしていたうちの一人だ。頬を赤らめて隣にいるサイに寄りかかって笑うベビー5はドフラミンゴの横にいた時とはガラッと雰囲気が変わっていたため気が付くのが遅れたのだ。
「鉱か!おうおう飲んでるか!」
近づくレイルスに気が付いたサイが大ジョッキ片手に朗らかに笑いかける。近くではチンジャオが独特な笑い声をあげながら踊っておりそれはもう宴を楽しんでいる様子だった。水を差すようで悪いがレイルスは真剣な表情でその場に胡坐をかいた。
「取引をしたい」
「……なんやい」
水臭いと思いながらもジッとレイルスを正面から見つめなおしたサイは声を落とす、ドレスローザの王宮にバルトロメオやレオ、キャベンディッシュが挙ってレイルスを称える話をしていたためにサイの中でももれなくレイルスの好感度は高い。なにより二年前もそうだが此度のドレスローザでも麦わらのルフィを背に庇ってドフラミンゴに対峙したというではないか。間近でやり取りを見ていたサイの弟であるブーはそんな強さを持ち合わせて居ながら花で髪を綺麗に彩らせているレイルスにうっかり顔を赤らめた。サイと違いブーは分かり易く面食いであった。
「ベビー5からとある情報がほしい」
サイから目を離し、その膝元で上機嫌に体をくねらせていたベビー5は突然話に持ち上げられてぎょっとする。しかしこの状況で聞かれることなど火を見るよりも明らか、ベビー5は鼻に皺を寄せ威嚇するようにレイルスを睨んだ。
「……ファミリーを抜けたからと言ってそこまで安くなるつもりはないわ」
あ、あなたのためなら別だけどと顔を赤らめてサイに寄り添ったベビー5に、まあそうなるかとレイルスは内心で納得する。首に手を当ててうーんと唸るレイルスにサイは黙り込んだ。ドフラミンゴファミリーにおけるベビー5に対する扱いの酷さの一端を知るサイからすればあまり思い出してほしくないというのが本音だ。八宝水軍としてもすでに落ちた海賊についての情報など、あってもなくても困らない。それだけの力がすでにあるからこそ、サイもドフラミンゴファミリーについての情報をベビー5に問うことをしなかった。だが問いかけてきている相手は己が頭と据えた大船団の幹部の一人。サイまでうーんと唸りだす。その内心を口に出していればきちんとレイルスから「仲間じゃない」と否定の言葉があっただろうがそうならなかったためサイの勘違いを訂正できるものはいなかった。
「教えてやったらどうやい」
「はいあなた!なんでも聞いて!」
サイの一言で掌を返したベビー5が喜色を浮かべたままレイルスにまで満面の笑みを向けた。恋するベビー5はレイルスもぎょっとするほどチョロかった。しかしそれに難色を示したのがレイルスだ。一向に口を開かずに難しい顔をするレイルスは米神を抑えながら「対価は」と問いかける。ベビー5からすればサイに必要とされた上に頼まれたのだからこれ以上のことはないのだが、と考えて一つ思い至る。
「だったらお祝いして、私たち結婚するの」
「……は?」
顔を上げたレイルスはポカンとしており、サイとベビー5を交互に見つめる。幸せそうに笑うベビー5と否定せずうっすらと頬を染めるサイを見て事実を飲み込んだレイルスは、緩く首を横に振った。
「それ以外にして」
「は!?なに祝えないっていうの!?」
結婚と言えば祝い事。まだ誰からも祝福の言葉をもらっていなかったベビー5は本気でそれがいいと思ったのだが、レイルスは断固とした態度で首を振る。怒りで立ち上がったベビー5は「だったら教えないわ!」と完全に臍を曲げてしまう。出直すと言っていなくなってしまったレイルスを見送りながら、サイはどうしてレイルスが断ったのかと疑念に顔を顰める。一部始終を見ていたフランキーがのそっと近寄って二人に声をかけた。
「悪気はないだろうから許してやってくれ」
「別にいいが断る内容だったか?」
具体的に金銭を要求したわけでもなし、そもそもベビー5がレイルスの求める情報を持っているかも不明であるため取引が妥当であるかの検討すらつかないがそこまで意固地に見えなかったレイルスの頑なさにサイはフランキーに問いかけた。
「そりゃそうだろ、取引にするもんじゃねぇし」
「……」
話をきいたベビー5がぴたりと動きを止める。しかしフランキーの言うことがよく理解できず徐々に顔をしわしわにしていく。サイはフランキーの言葉である程度理解したが、ベビー5にとっては理解しがたいもの。口をひん曲げて不服そうにするベビー5を見かねたフランキーがふむと一考した。
「まあ、もうちょい待ってみろ。出直すっつーことはまた来るだろ」
おめでとさんと最後に笑みを浮かべてサイのジョッキにワインボトルをぶつけたフランキーはそのままトンタッタに絡まれているローの元へと向かってしまった。
フランキーの宣言通り、レイルスが戻ってきたのはすぐだった。
きちんとリボンで飾られた箱を抱えてやってきたレイルスはそれをベビー5へと突き付けるようにして差し出す。
「結婚おめでとう」
「……は?」
てっきり祝いたくないということだと思っていたベビー5は当然のように祝いの言葉を口にしたレイルスに仰天する。差し出されるままに受け取った箱は見た目の割に軽く、上品なペパーミント色のリボンが角を彩っている。ベビー5は馬鹿ではない。必要とされると途端に盲目気味になるが、己の現在の立ち位置をよく理解していた。ここにいる全員の敵であったドフラミンゴファミリーの一員であった過去は重く、いまだ鮮明だ。だからこそ八宝水軍以外ベビー5に近寄ってこないのだ。ベビー5もサイに迷惑をかけないためにも彼から離れず宴会の端から動かずに大人しくしている。
「開けたらどうやい」
「え、ええ」
サイに促されるままに箱を膝の上に乗せてそっとリボンを引っ張る。妙な緊張感がベビー5を包んでおり、その指先はやや震えている。リボンを手首に巻き付けるようにそっと回収し、ベビー5は箱の蓋を持ち上げた。ふわりと香る花の匂いがうっすらと漂った。
「ひやホホ!なんと立派な……宝石か?」
「サボンジェム、石鹸」
「本物にみえるな」
箱の中に並べられた5つの宝石が太陽光に反射して輝いている。チンジャオが言った通り本物の宝石の鉱石にしか見えない美しい石は言われなければ石鹸には見えなかった。つい、と指先で触れれば確かに鉱石の硬さではなく、ベビー5は困ったような表情で顔を上げた。レイルスは先ほどと同じように床に座って片膝を立てた。その顔にはやや疲労が見える。
「あんた嫌われてんね、トンタッタに花詰めてもらおうと思ったけどほとんど断られた」
「ぶ」
歯に衣着せぬレイルスのいいように横で聞いていたブーは口に含んでいた酒を噴き出した。言われた言葉を噛み砕いて理解したベビー5は再び箱に目を落とす。黄色の石鹸の横に白と紫色、そして青の小ぶりな花が添えられている。花の匂いの正体のようだ。そして顔を上げてレイルスをみる、先ほどと同様にそのたっぷりとした美しい金色の髪には花が大量に編み込まれている。
「花ならあんたの頭にもあるじゃない」
「これもトンタッタの育てた花だ、勝手に人への贈り物にするほうがおかしいでしょ」
それを使えばよかったではないかというベビー5の疑問を正確に読み取ったレイルスは眉を持ち上げて怪訝な顔をした。
「ウィットン、コットン、レオ。その三人がお祝いならって花を入れてくれた、だから私含めて四人からのお祝い」
「……わからないわ」
そういったベビー5だが、しかし表情は分かり易いほどに変わった。嬉しいような悲しいような、泣き出したいような。複雑な感情をあふれさせてしまわないように耐えているのだろう、口元がわなわなと震えている。とてつもないものを手元に置いているような怖さがベビー5を襲っていた。話は終わりだとばかりにレイルスは立てた方の膝をぺちりと叩きそれで、と切り出した。
「改めて取引したいんだけど」
「……なによ、何を知りたいの」
ぷく、と頬を膨らませたベビー5はぶっきらぼうにそう口にする。頬の赤は少しだけ引いて声の震えも収まったようだ。
「こっちはシーザーが量産していた私の遺伝子の持ち運び先を知りたい。それで?時間あったんだから欲しいもの決めたの?」
「は?これがそうなんでしょ」
「それ以外にしてって言ったでしょ」
こいつまじで?と言わんばかりに不審そうな顔をレイルスがベビー5へと向ける。しかしベビー5がそれ以上何も言わないことから本気で言っているということに気が付いて、レイルスは大きすぎるため息をわざとらしく零した。
「なんで取引の材料に感情ありきのものを乗せる?価値を他人に図られていいもんじゃないでしょ。じゃあなにか?ここにいる全員私が脅して結婚祝ってもらってうれしいの?違うでしょ、そこに祝う気持ちなんて微塵もないんだから空しいだけだ」
「じゃあこれに対して私はどうしたらいいのよ」
箱を見下ろしながらベビー5はそう零す。レイルスは善人ではない。場合によってはベビー5の言う取引に最初から応じていた可能性は高く、ここまで固執して祝福を取引材料としてよしとしなかったのは純真無垢なトンタッタの影響が強くあっただろう。そして真っ先に「お祝いして」と口にしたベビー5に酷く歪さを感じたからだった。嫌そうに顔を顰めて、瞼を下ろしたレイルスは額に手の甲を押し当てて暫し思考を回す。善人ではないという自称がその先のセリフを口にすることを嫌がったのだ。しかしそんなレイルスに楽し気な声がかかる。
「そんなん幸せになるしかねーだろ!」
レイルスがせっせと石鹸を作っていたのに気が付いていたウソップが我慢ならんとばかりにレイルスの後ろから声を上げてレイルスの肩に腕を回す。レイルスとベビー5とのやり取りも見ていたために状況は理解していた。ここで口を止めてしまうレイルスの不器用さに呆れながらも「そうだろ!?」と揺さぶるようにしてレイルスに同意を求める。「ああうん」とものすごく不服そうではあるがしっかりと頷いたレイルスにベビー5はついに目を剥いた。そんなベビー5の肩にも手が回る。見上げた先にはサイがおり、しっかりと頷かれてベビー5は言葉に詰まった。ウソップがよし、と立ち上がり声を上げた。
「おーいみんな!こいつら結婚するんだってよ!」
遠巻きながら、その声に反応した多くの海賊たちから祝いの言葉が贈られる。ジョッキを空へ掲げているもの、宴の肴だとばかりに拍手をするもの。わざわざ近寄ってはこない、ベビー5ではなくサイに向けた言葉がほとんど、大船団の幹部であるウソップが声を上げたからというものも多かっただろう。そんな中でベビー5の腕の中にある箱の存在が際立ち、理解が追い付かないままに感極まったベビー5が箱を胸に抱えてレイルスに迫った。
「なら!私とお友達になって!そしたら情報を教えるわ!」
「こいつどんな情操教育受けてきたんだよ!」
これまた取引として扱うには人間性を疑いそうなものを嬉々として持ち出してきたベビー5にレイルスは首を仰け反らせて吠えた。あわててレイルスを支えたウソップはその叫びに心底同意して酸っぱい顔をベビー5へと向けたのだった。
興奮してレイルスへと張り付かんばかりの勢いのベビー5を何とかなだめ、サイとウソップの説得も功を奏しベビー5との取引にはレイルスの個人プロフィールを多少開示することで落ち着いた。げっそりと疲れた様子をみせるレイルスを哀れに思いながらウソップもその場で話を聞く姿勢を取る。黙っていれば大切なことを何も言わないレイルスのことだ、フランキーからレイルスの腕についてサボが語っていたという内容を聞いたウソップはフンスと鼻を鳴らして気を引き締めた。俺がしっかりしなければ。
「そもそもベビー5はその情報知ってんのか?」
「知ってるわよ、私が運んだもの」
流石に予想していなかった言葉にレイルスの金色の瞳がカッと見開かれる。信憑性の高い、というよりも確実な情報源に思わずウソップも歓喜の声を上げる。
「北の海の海遊国家が保有する科学戦闘部隊……元はシーザーの同僚だった男が収める国なんだけどどうも不仲らしくって一度ドレスローザを経由させたのよ」
「ノース!?おいおいグランドラインの外かよ」
「今年から世界政府に加盟したから今頃なら会議参加のためにグランドラインにいるはずよ」
「……そもそも海遊国家って?船が国にでもなってるの?」
「そうね」
それぞれの疑問にあっさりと答えるベビー5に横で聞いていたサイは頭を抱えそうになった。サイも八宝水軍の時期棟梁としてこれまで世界情勢は調べられるだけ調べ、知識として知っていることも多い。しかしベビー5の言う組織として思い当たるものは、悪名高き「戦争屋」しかない。その内情は名前が売れている割に明らかになっておらず、大小さまざまな戦争に介入し爪痕だけ強く残しているという。猛者の多い北の海でも最強と謡われるほどの勢力だ。呑気なウソップは「スリラーバーグみたいなもんか」と近いものを挙げて納得を見せていた。
シーザーと同僚だった男が国王、胸糞悪そうな国だなとウソップとレイルスの内心の感想が一致する中、レイルスがそれでと改めて問うた。
「その国の名前は?」
ぽってりとしたベビー5の形のいい唇から、このさきレイルスの行く道を大きく左右することとなる国の名前が告げられた。
「ジェルマ王国……ジェルマ66が収める軍事国家よ」
投稿日:2024/0528
更新日:2024/0528