黄金の夜明け
どれだけ眠ったのか、寝過ぎた日の独特の頭の重さに顔を顰めながら目を覚まし、船医であるらしいトナカイ――チョッパーと名乗った彼に包帯を変えられているレイルスは、眠って起きてもおかれた状況が変わらなかったことに小さく唸っていた。
「後でナミに足枷の隙間に包帯巻いてもらおう、このままだと擦れて跡になる」
腕や太もも、腹もしっかりと治療してくれたチョッパー。驚くほど手際はよく、素直に感嘆を向ければ嬉しくないと言いながら顔体全体で嬉しさを表現していた。悪い子じゃない、良い子なんだろうと考えていたレイルスはそんな提案をされて首を傾げる。怪我をしてるわけでもないしいいと首を振るのと同時に、わざわざそこだけ別の人を呼ぶ理由がわからない。そんなレイルスの様子に気がついたのか、チョッパーはくりくりと大きな瞳をパチクリさせて同じ方向に首を傾げてくる。
「どうした?」
どう聞いたものか、と少し考えてからレイルスは口を開く。
「なんでわざわざそのナミ?って人を呼ぶのかと」
「ルフィのこと殴ってたのがナミだ」
どこまでも適切な説明である。あの気の強そうな女性か、とレイルスは利発的な瞳を思い出した。チョッパーに悪気は全くなかったがナミが聞けば確実に怒られる紹介の仕方である。あれからレイルスが個別に会話をしたのはチョッパーとルフィ、それからコックのサンジという金髪の男。どうやらこの国では姓の方が先にくるらしく、気がついた時には姓だと思って名前を呼んでしまっていた。レイルスにとっては思わぬ落とし穴である。救いなのはまだ呼んだことがあるのがチョッパーだけであることだろう。サンジは姓を名乗られなかったのでどうしようかなんて思っていた。因みにルフィはレイルスが気を失っている間に医務室に入り込んで眠っているレイルスの口に肉をねじ込もうとして、チョッパーおよびサンジから医務室出禁の刑を喰らっている。それを聞かされたレイルスは肉によって窒息死させられるところだったのかと絶句した。
「俺能力者だから、海楼石は触れないんだ」
「……そうなんだ」
「あ、そういえば言ってなかったよな、俺ヒトヒトの実を食べたトナカイなんだ。だから人間と喋れる」
「……なるほど」
さっぱりわからん。レイルスは単語だけを脳に記憶して諦めた。
「イムはなんの能力者なんだ?スッゲーのか??」
キラキラして目でこちらを見上げてくるチョッパーに苦笑を見せて、無事な左手でぽんぽんと帽子の上から撫でてやる。イム、という呼び方はどうやらルフィが医務室の外で呼んだらしく、ホーエンハイムだと長いということでクルーの中ではそれで定着したらしい。レイルスの思惑がたった数日ですっかりダメになった、原型すらどこにもない呼び名である。
「スッゲーかはわからないけどそれなりに強いよ」
わぁ!と純粋な目で見上げてくるものだから、居た堪れなくなったレイルスはおもわず強く帽子を押し付けてしまった。そのためか、目元が見えなくなったときに少しチョッパーの肩が落ち込んだように見えて、レイルスは慌てて手を離す。
「でも、そんなイムでもこんなボロボロにされるんだな」
何か思うところでもあるのか、少し暗い雰囲気を纏ったチョッパーはもそもそと取り替えた包帯を回収している。乾いた血がこびりついてどす黒く変色した包帯。当時着ていた服も見るも無惨に血まみれ且つ切り刻まれていたため、前にいた“島”で取り替えてくれたんだとか。
「なぁ、なんであんなにボロボロだったのか、本当に思い出せないのか?海軍にやられたんじゃないのか?」
そう、それが思い出せない。レイルスは情けなくヘラッと笑って首を横に振る。“約束の日”に向けて備えていた最中だったはずで、何かに襲われた記憶も戦った記憶もなかった。気がつかないうちに連れ去るにしても、奴らがレイルスを国から遠ざける理由に見当がつかない。中心部に幽閉ならまだしも国外、それも船の上だなんて。全く意味不明な状況にレイルスもお手上げ状態だった。
「なんで、だろ」
本当になんでだろうか。一刻も早く戻らなくてはならないのに。こんな怪我を負うほどの何かがレイルス以外にも起こっていてもおかしくないほど緊迫している状況かもしれないのに。何があったのか思い出せないことよりも、自分が焦りを覚えていないことの方がよっぽど恐ろしいことのように思えてレイルスはブルリと寒気を覚えたように体を震わせた。
「なぁおい!イム!!」
「……」
「おい!」
「びっ……くりした、なにモンキー」
思考していたせいで目の前に来ていたらしいルフィに気が付かなったレイルスは肩をびくつかせた。ついでにチョッパーもいなくなっており、外が騒がしい。それらの情報に気が付きながらなんだと問えば、ルフィは顔をシワっとさせて不服を全面に押し出した。
「おめェそれよぉ、なんかヤダからやめろ」
「それ」
「おれは!ルフィだ!!」
主語こそなかったが呼ばれ方が嫌だと察したレイルスは眉を下げた。なんかヤダとは……と思いはするも異様なまでの嫌がり方に首を縦に振らざるを得ない。レイルスは自覚していないが押しに弱かったりする。
「なに、医務室出禁のルフィ」
「海出たことないんだろ?だったらこいよ!すんげぇデケェ海王類でたんだ!」
カイオウルイとはなんだと疑問を呈すまでもなく、下半身を覆っていた毛布ごと荷物のように抱えられたレイルスは情けない声をあげて驚く。突然の浮遊感のせいで抵抗すらできずにいれば、ルフィは人ひとりを抱えているというのに弾丸のように医務室の外へと飛び出してしまう。ガチャガチャと毛布の中で足枷が音を奏でている。レイルスは知る由もないが毛布ごと抱えられたのはこれに触れることをルフィが嫌がったからである。
音を立てて扉が弾けるように開く。刺すように痛むのは腹の部分と、眼球。強すぎる日差しは、久しぶりに屋外に出たレイルスの体にはそれなりに脅威で、ぎゅうと瞼を閉じて痛みに耐える。血が鮮やかに透ける、砕けるような、弾けるようなあの音がクリアに鼓膜に届く。抱えられて触れる部分が熱いくらいで、ルフィは体温が高いらしいなんて現実逃避のようにレイルスは赤い視界の中で思案した。
「ほら!だっはは、おーいウソップ!さっきの捕まえたのか!」
「おーどこ行ってたル……重傷者をんな雑に抱えるなお前ー!!」
「おいこらルフィ!医務室入るなって言ったろー!!」
ガヤガヤと騒がしい声の向こうで、ずっと音がしている。そっと目を開けばルフィの麦わら帽子が目に入った。状況を把握仕切る前にまた浮遊感に襲われたレイルスは、今度は壊物でも触れるかのような恭しさで触れる腕の温度を、背中と膝裏に感じていた。咄嗟に閉じてしまっていた瞼を持ち上げれば、ストライプのシャツが目に飛び込んできて同時に怒鳴り声がルフィに向けて飛ばされている。レイルスは何が起きたのか把握し損ねたが、怒り狂ったサンジがルフィだけを蹴り飛ばしてレイルスを抱え直したのだ。遠目から見ていたウソップは、サンジの顔が鬼のように歪んでいるのを視力の良い目で捉えてしまってルフィの代わりに悲鳴を上げた。
「テメッ、ゴム、おま……!!」
「おうおう怒りのあまりまともに喋れなくなっちまったぞ」
そろそろと目を開いたレイルスの目に面白いくらいに大きなタンコブを作ったルフィと、レイルスを抱えたサンジが器用に片足を高く上げている光景が飛び込んだ。バランス能力が高すぎやしないかなんて感心していたら初日に目覚めた時から異様な存在感を放っていた海パンの男が呆れたように笑っている。所々機械仕掛けなのか、金属の色が肌に混じっている。そう、フランキーだ。心の中で手を打って思い出した名前と一致させたレイルスはそういえば彼も名前だけだったなぁと同時に思い出す。もう面倒だから全員名前でいいか、レイルスは早くもこの一味に礼儀やらで畏まることが億劫になってしまっていた。大変失礼である。
「だってよぉ……あ!ほらイムあれみろよ!」
復活したらしいルフィがビョンと立ち上がってその顔に目を向けて、しかしレイルスは彼が指さす方向よりも彼の背に見える風景に目を奪われてしまってしまった。
どこまでも広がる青。太陽の光が乱反射し、常に何かが砕けるような弾けるような音。こんなにも広大なのに、エネルギーを持って全体が常に波打っている。ああこれが波の音。耳に届いていたあの音を今やっと目の前にして本当の意味で理解する。レイルスは生まれて初めて海を目にして、キラキラと目を輝かせた。
「すごい……」
呆然とした声が溢れる。その声を聞いて一味は自然とレイルスに目を向ける。レイルスは周りの話し声が聞こえなくなったことにすら気が付かないほど目の前の光景に夢中になってしまっていた。それほどまでに圧倒的で、膨大で。全ての生き物は海から始まるという知識として知っていた情報に、自分で証拠や根拠を見つけた時のような深い納得を感じていた。これだけ大きくてエネルギーのある流動体の中だ、何が起こってもおかしくないだなんて本気で考えてしまうくらいに目の前のこれは凄まじい。昔、自分で作った宝石類を訳あって砕いたときにみた光の反射なんて目じゃないくらいに沢山の反射面が海面で発生している。可視光の中で一番長い青い色だけが吸収されずに跳ね返り、こんなにも深い色になっているのかと思うと鳥肌すら立っていた。
「すごい……!」
「……あー、イムちゃん?」
逆か、青以外の全ての色が飲まれるからこそこんな色なんだろうか、海面だけでこれならこの下は、海の底はどうなっているのだろうか。確か海底への探求は水圧の関係で有人の調査機では難しいんだったか。ああその辺りの文献はそこまで手を伸ばしていなかったどうしてもっと読まなかったんだろう。どこまでも思考に沈んでいきそうなレイルスが、興奮で頬を赤らめ始めた頃に、不意にレイルスの視界から海が消えた。
「イムちゃん?」
「……え、あ」
ひょい、と海との間に割り込むように、というより抱えられていた体を回転させられてレイルスの視界から海が途切れた。え、と驚いて首を回した先にサンジの顔があってレイルスはギョッとする。しかしレイルスが声を上げる前に、ひょい、ひょいと体があちこちに移動させられくるくると踊るように回転する。それだけ動かされているのにレイルスは全くと言っていいほど振動を感じていなかった。サンジが怪我をして病み上がりであるレイルスにできる限り衝撃や振動を与えないようそれはもう慎重に足を動かしていたためである。そしてサンジが苦渋の思いでレディを振り回している理由がルフィだった。
「いや、待てルフィ」
「なんでだ!だってお前そんな顔してんだぞ!!」
「いやだからどんな顔だ」
「すんげぇいい顔だ!なぁ!!ウソップ見たよな!」
何度もレイルスを捕まえようと手を伸ばし、サンジが文字通り足蹴にしている。サンジとしては興奮で勢いのあるルフィのタックルをレディに、それも怪我人に受けさせるわけにはいかない。ルフィとしては海を見ただけであんなにキラキラした顔をできてしまうレイルスを余計に気に入ってしまって今すぐにでもこの感情を本人にぶちまけたい。サンジはルフィのいう表情を角度的に見ていないものだから溜まったものではないとクルクルとルフィを避ける。当事者であるはずのレイルスは何が何だかわからずに目を回しそうになっていた。
「ルフィダメだって言ってんだろやめなきゃ殴るぞ!怪我してんだって!殴るぞ!安静にしなきゃならないんだって!ぶん殴るぞ!!」
「あー、いやでもあの顔はルフィがああなるのもなんつーかわからなくもないっつーか」
「言いたいことは分かるけどね!そもそも何者なのかも分かってないのに」
「チョッパーお前どんだけルフィ殴る気だ」
「あら、船に乗せて連れてきた時点でそのつもりなんだと思ってたわ」
「お?早速俺の後輩ができんのか?」
なんのこっちゃ。そろそろレイルスの目が回りそうだというときについにルフィがサンジごとレイルスを捕らえた。ぐい、といささか乱暴にレイルスの頬を掴んだルフィは無理矢理その顔を自分の方へと向けて至近距離でその瞳を覗き込んだ。驚きで目を見開いたせいで、ルフィの目にその金色の瞳が惜しげもなく晒される。ルフィの黒い瞳に映り込むレイルスの黄金色が、余計にルフィの目を煌々と光らせている。満足げに笑ったルフィが至近距離であるにもかかわらず、スゥと息を吸って張り上げた声は空に突き抜けるようなまっすぐなものだった。
「俺の仲間になれ!」
投稿日:2021/1231
更新日:2021/1231