月桂樹の旅
至近距離での海賊への勧誘はチョッパーとサンジがルフィを殴る蹴るの暴行を加えたことで終わった。2人とも恐ろしいほどに怒り狂っていた。怒りながらも医務室に迅速に連れて行かれ呆然としたままだったレイルスは、案の定血が滲んでいた腹の包帯を2人に目撃されてしまう。サンジが感情を削げ落としたような形相で医務室から飛び出した。一拍置いて医務室の外から甲高いルフィの悲鳴が聞こえてきて、ようやっとレイルスは我に返った。
「ああ、あああごめんなルフィが無茶させて血が、ちが……医者……!!」
「……船医じゃなかった?」
「お、俺だ!!」
なぜか医者を探しに行くような空気で席を立ったチョッパーにツッコミを入れられるくらいには落ち着いたレイルスは、今一度先程の流れを頭の中で反復させた。しかしやはりというか勧誘までの理由も意味もわからず思わず唸る。「痛むか!?」とバタバタと机で薬やらを用意していたチョッパーが涙声でさらに慌て出す。実際それなりに痛むのでありがたいが、そういえば彼らは善意で私をここに乗せてくれていたのだなと思い出す。治療も寝床も、ただ与えられるものを享受してしまっている。これは何かお礼をしなければならない。貰いっぱなし授けられっぱなしは居心地が悪くなるレイルスは余計に唸りそうになった。
「不安にさせたくなくて言ってなかったんだけど、この船でイムと同じ血液型なのサンジだけなんだ……だから輸血も限度があって……」
「……もしかしなくても用意してた輸血パック私に使った?」
「?おう」
なんてこった。すでにとんでもない迷惑をかけていた。思わず頭を抱えたレイルスに、頭が痛いのかとチョッパーが心配し始めたためにレイルスは即座に両手を膝の上に置いた。にしても、これだけ人数がいて同じ血液型が1人しかいないというのも珍しい。レイルス自身はありふれた型だったと記憶していたので首を傾げていたのだが、自分の血液型を把握していないと思われたらしい、チョッパーがカルテを見ながら口を開いた。びっくりするほど重傷者のカルテは見るだけで痛い、チョッパーは泣きそうになりながら血液型の書かれた欄を蹄で指した。
「イムの血液型はS型のRh -だ、あんまりいない型だから気をつけたほうがいい」
「S?」
なんじゃそりゃ。把握している血液型にそんなものはないぞと顔を顰めればチョッパーも首を傾げる。なんだその反応。お互いに疑問符を浮かべた。
「なんだ?」
「いや……A、Bじゃなくて?」
「何がだ?」
「血液型ってA、B、O、ABの区分でしょ」
「……いや、X、F、S、XFの4種類だ」
話が噛み合わずお互いじっと見つめあってしまう。しかしお互いに本気で言っているということしかわからず、結果2人(1人と1匹)で首を傾げる結果となった。
「あー、地域的なものなのかな」
「うーん……俺の知る限り世界基準だけど……世界政府の非加盟国ならありえんのかな……その辺りはロビンの方が詳しいと思うぞ」
世界政府。主語が大きい耳なれぬ単語が出てきてレイルスは内心ギョッとしたが、一度口を開閉させるに留めた。いやな、予感がしてきた。実際頭が痛み出していたが、現状把握を可及的速やかに行うべきと体に鞭を打つ心積もりで大きく深呼吸をする。こちらの真剣な空気に触発されたのか、チョッパーが動きを止めてごくりと喉を上下させた。
「チョッパー、アメストリスって国に聞き覚えはある?」
「……俺はない」
「……ドラクマ、アエルゴ、シンは?」
「ごめん、どれもない……グランドラインにある島か?」
また知らない単語が出てきたことに眉間に皺を寄せた。しかしチョッパーに詰問するのは気が咎めるのと、お門違いであろうとグッと喉に言葉を押し込む。そもそも、チョッパーも「俺は」と枕詞をつけた上で真剣に答えてくれている。これは、お互いの常識がずれていると考える方が自然だ。おそらくは己のものがずれていると判断したレイルスは、静かにし視線を落とす。レイルスは必死に頭を回転させてこれまでの情報をひっくり返すように並べながら思考を深める。
「島とか、国のことならナミも詳しいぞ?ロビンと一緒に呼んでくるか?」
くりくりとした丸い目が、気遣いを持ってレイルスを見上げている。それくらいにレイルスの顔色はひどいものだった。声には壊物に触れるような慎重さが滲んでいる。沈黙を肯定と捉えたチョッパーが「横になってていいからな!」と控えめな音量で念押しのように告げてピコピコと駆け足で医務室から出て行った。医者として、心のケアだって学んできたチョッパーはレイルスが追い詰められているのを顔色や空気、声色で察した。知りたいことを教えてやった方がいいと判断して転がるようにロビンの元へと駆けていく。心を休めてやらないと、身体だって良くならないのだ。
エニエス・ロビー、W7、グランドライン、海賊、世界政府、S型、海楼石に能力者。ベッド脇に置かれたチェストの上に置かれた、先ほどまでチョッパーが見ていたカルテの挟まったボードに手を伸ばす。木製の板にニスを丁寧に塗ってあるのであろうそれの手触りは木製独特の柔らかさを兼ね備えていたが、指先は情けなく冷え切っていて不器用に爪がカチャリと引っ掻くような音を立てた。レイルスは自分のそんな様に思わず笑ってしまいそうになっていた。なんて情けない。一つ大袈裟なくらいに大きく深呼吸をして酸素を脳へと回した。
文字は読める。しかし所々シンで使われていた文字も混在している。アメストリス語で話していたから少なくとも大陸から大きく離れてはいないと思っていたのだが、これはチョッパーだからという可能性もあるしなぁと眉間をもむ。もしこの混在文字が常識となったら余計に混乱しそうだ。ブラッドタイプと書かれた欄にはしっかりとSの記載がある。ため息を吐き出すタイミングで、軽いノックの音と共に医務室の扉が開いた。
「チョッパーから海図見たがってたって聞いたけど、あんた寝てなくていいの?」
「そうね、顔色が悪いわ」
大丈夫だとポーズで示したレイルスは、見ていたカルテをチェストに戻そうとする。しかしその前にするりと奪われてしまう。
「うわ、重症も重症じゃない」
「……私が会ったときにはもう血塗れだったもの」
チョッパーが先ほどまで腰をかけていた椅子にはロビンが、ナミはベッドに腰を下ろした。
「ちゃんと自己紹介をしてなかったわね、ニコ・ロビンよ」
「私はナミ、この船の航海士。ちなみにロビンは考古学者」
「レイルス・ホーエンハイムです」
倣って今一度名乗れば、ナミが「敬語とかいい、いい」と嫌そうに手を振る。ナミとしては歳も近いだろう女子だったし、ロビンの話や海を見た時の子供のような表情から警戒が解け始めていた。以前旅を共にしたビビとは違って敬語が標準装備ではないのであろうことも数日で把握していたため今更敬語なんて、と止めたのである。変に気を遣われるのも好きではない、船長が乗せたがっているのであれば余計に。ナミは新しい船なのにすでに薬の匂いが強くなっている医務室を一瞥して、ベッドの上でこちらを見上げてくる女を見下ろした。ルフィのせいで傷口が開いたというのに恨言の一つもないとは、ナミはふんと鼻を鳴らした。
「んで、これがこの近郊の海図……今はこのW7からこの海域に入ったあたり」
見やすいようにレイルスの膝の上に広げられた海図は、近郊というだけあってほぼ海のもの。そこに申し訳程度に島が点在している。ナミの指さしたW 7という島は大きい部類で、そこから直線で色々な島に繋がる線が走っている。海列車とその線に沿うように文字が書かれていてレイルスの目が人知れず細められる。反応の鈍いレイルスにナミは念の為と持ってきていたもう一枚を上に重ねるようにして広げた。
「こっちがもう少し大きい縮図のもの、メインはグランドラインだからカームベルトの向こうはあんまり載ってないけど」
上下に2本線が入り、そこにはナミのいうカームベルトという文字が入っている。その中央にグランドラインと記された海が広がっており、やはり島が点在している。上下で見切れている部分にはイーストブルー、サウスブルーの文字。それらが一直線にカームベルトによって分けられている。一番異色を放っているのが地図の左側に、それらの海域に垂直に描かれたレッドラインと記された大地。何から何までレイルスは知らないものだった。ある男の言葉が、私の中で先ほどからずっと木霊するように響いている。
「どう?どっから来たかわかった?」
「……少なくともすごく遠いってことは」
「本気?グランドラインじゃなかったら、マリージョアを通って連れてこられたってこと……?」
絶句したナミに苦笑を返したレイルスは、一つずつ言葉や単語の意味を推察しながら記憶していく。チョッパーがアメストリスの名前を言ったときに島、と評した理由もわかった。この近海には島しかなかったのだ。そしてこの海域、グランドラインはカームベルトとやらに挟まれておりマリージョアを通らないと東、南の海域への出入りができない。目の奥の神経がジリジリと痛んできて米神に拳をあてがってぐりぐりと揉みほぐしている間、ナミは驚きから帰って来たのかハッとしてからブツブツと呟き始めた。
「海軍本部の軍艦だったらカームベルトを渡れるから……護送されてきたのであればその限りでもない……どっちみちとんだお尋ね者じゃない」
お尋ね者、のところは否定しにくい部分があるので誤魔化すように笑えば、目に見えてナミは顔を引き攣らせた。
「海図、ありがとう」
「え、ああ……いいけど」
丸められていたそれをくるりと丸めて手渡せば、狼狽えたようにして受け取る。丁寧な手つきで返された海図にやりにくい、なんて思ったナミは鼻の頭に皺を寄せた。
「私は何を答えたらいいかしら」
長い足をゆったりと組んで待っていたロビンは、レイルスの記憶にはないが助けたらしい縁があるからか、ナミよりも言葉に棘がない。一緒に捕まっていたというし、吊橋効果のようなものなのかもしれないが敢えて覚えていないと伝えて混乱を招くよりはいいだろうとレイルスは口を閉ざす。そんなこと口にすればチョッパーが飛んできそうだ。ナミのように懐疑的に接してくれているメンバーがいるだけ線がわかりやすくていいなんてレイルスは見当違いにも思っていた。ナミは表面上はこうだが内心レイルスを仲間にすることには前向きな方である。
「アメストリスという軍事国家に聞き覚えはある?」
「……ごめんなさい、ないわ」
「リヴィエア事変、カメロン内乱は?」
「どれも、知らないわ……大きな戦争?」
「私にとっては……じゃあシン、クレタ、ドラクマ、アエルゴ」
「……名前の響きはノースの国に近いけど」
ロビンがナミにも視線を向けるがナミも首を横に振る。どれもふたりにとっては知らない単語の集まりだった。ヤケクソのようにレイルスはもう一つ単語を続けた。
「じゃあ最後、クセルクセス」
やはりというように首を横に振るロビンが申し訳なさそうに眉を下げる。考古学でも全くヒットしない、ということはまたややこしい。単にこの2人が知らないだけという可能性もあれど、流石に大国であるシンも知らないというのも無理がある。話していてもそれなりに教養があるのも窺えるし、一般常識としても、専門学問の知識としてもアメストリスは存在していないと考えた方がいい。とうとうレイルスは認めるしかない状況に立たされた。
「……ありえないなんてことは、ありえない」
ズルズルと体をベッドに滑らせるようにして横にしてため息をつく。簡単には帰れそうにないとわかっただけでも僥倖と思おう。そう考えないとやけになってしまいそうだった。
「ねえ、そんなに大国なの?」
「んー、それなりに……」
「世界政府加盟国なのよね」
「うーん……」
流石にレイルスの消沈具合が目に余ったのか、ナミが声をかけてくる。レイルスが濁すように声を出すも弱った音になってしまっている。ランプの灯が眩しくて、手の甲で覆うようにして目を隠せば、遠慮がちにレイルスの頭に何かが触れる。驚いて顔を向ければロビンの手が目に写って、撫でられたらしいと気がつく。申し訳なくなるほどに気がいい人たちばかりだな。海賊って実は嘘ではなかろうか。レイルスは真剣にそんなことを思った。
「帰りたいのよね」
「帰らなきゃ」
「なんだ?迷子だったのか」
なぜかロビンとのやり取りの後に、ルフィの声が差し込まれる。ナミの咎めるような声と、遠くからサンジの怒鳴り声も聞こえるが、全く気にしていないようで真上からレイルスを無遠慮に覗き込んでいる。ランプの光が麦わら帽子で遮られるが、逆光で見上げる顔が見えにくい。麦わらの粗い網目から、キラキラと光がちらついている。
「だったらよぉ、海賊やろうぜ?な?」
「何が、な?よ!ロビンも知らない国だとしたら、よっぽど辺鄙なところにあるか、政府が隠してるかのどっちかよ」
「おもしろ島(とう)じゃねーか」
「馬鹿なの!?」
ゴイン、と鈍い音を立ててルフィが殴られる。なんとも痛そうな音であるが殴られた本人はケロッとしていた。そんなやりとりを見ていると、あまり深刻になりすぎてもどうしようもないな、と自然と頭を切り替えられた。ここにいるという事実は変わらない、アメストリスに帰ることは現状困難。約束の日はおそらくレイルスなしで過ぎる。「候補」として上がっていただけあって、当日戦えないというのも痛いかもしれないが、それ以上に自身の不在は敵にとっても確実に痛手であることもわかっていたレイルスは大きく取り乱すこともなく事実を受け止めた。
「どうせならいろんな所見て、旅して帰ればいいじゃねーか!」
「次の島で降りるよ」
「えー……!?降ろさん!」
「……降りてどこか宛はあるの?」
「1人であちこち旅してたし、まあ」
「結局その後1人で旅するんなら俺たちとでいいじゃねーか!」
「いいからあんたは黙んなさい!!」
賑やかだなぁとおもえば、そんな状況ではないのにもかかわらず自然と笑顔が浮かんでいた。
投稿日:2021/1231
更新日:2021/1231