ユグドラシルの枝
「姉さんのせいだ」こぼれた後、すぐに自分の口を塞いだ少年は自分で吐いた言葉にひどく痛そうな顔をした。うるうると瞳いっぱいに涙が溢れ出し、しかしそれを零さんと眉間に皺を寄せている。近くで羊が鳴いた、放牧の時間である昼下がりの日差しも暖かい朗らかな休日の中。そんな世界とは正反対に薄暗い部屋の中で少年は自分も傷つける毒を吐く。
本音ではないと、その表情が語る。だからこそだろうか、思わず口をついて出た言葉を撤回する方がよほど本当になりそうな気配が、緊張感が部屋の中に蔓延していた。ほとんど泣きながら、幼い少年はまろい顔を絶望に歪めて喘いでいた。凡そ子供が浮かべるにしては不相応な表情、濃縮された嘆きが貼り付いて息が苦しそうだ。
「俺は、姉さんのこと許さない」
「あ〜!なんってことしてんのよあんた達……!!」
レイルスの怪我もだいぶ良くなり、医務室からの缶詰を脱してしばらくした日。凪という無風状態の気候になってしまったせいで進むことなく停滞したサニー号は、常時であれば考えられないくらい穏やかな時間が流れていた。レイルスは風に揺れることのない帆を初めてじっくりと眺めていた。天気同様のんびりとした様子で、そこに麦わら帽子を被ったジョリーロジャーを見つけて本当に海賊なのかと改めて思っていた時に、ナミの甲高い声がサニー号に響いた。
スリラーバーグで手に入れた宝の一つを手に取ってナミが顔を真っ赤にして怒っている。レイルスが視線を向ければ、どうやらウソップとルフィがふざけている間にその宝の一つを壊したらしいと気が付く。ナミの手は何かの欠片を掴んでおり、太陽に反射してキラキラするそれは装飾も多くされているお値打ち物だったろうことが伺えた。
「こんな欠片になっちゃったら価値が半減どころか一割にもならないじゃないの!!」
「ごめんばざい」
「ずみばせんでじだ」
顔面をボコボコにされたウソップとルフィが涙を流しながら謝るもナミの怒りは当然ながら収まらない。よりにもよって価値の高そうな大きな金製の壺を破壊してしまったのが運の尽き。ナミの後ろからひょっこりと顔を覗かせて壊されたものの全貌を見たレイルスはふと思いついたようにナミの肩を叩く。「何よ」と誰にでも噛みつきそうな形相のナミが振り返る。まさかこんな状態のナミに話しかける無謀な奴がいようとは思っていなかったウソップは素直にレイルスを尊敬の目で見つめた。
「じゃあそれ私に買い取らせてよ」
「はぁ?あんた一文無しでしょ」
「大丈夫大丈夫、いくら?」
「馬鹿野郎イム!!お前ナミに借金はダメだ!!死ぬぞ!!」
「一生むしり取られるぞ!早まるな!!」
無謀なレイルスの言葉に怒られていることを忘れてウソップとルフィが止めに入るもナミに物理的に黙らせられる。綺麗にゲンコツの入った2人にレイルスが苦笑を浮かべるもギラリと眼光を鋭くするナミからは逃れられそうにない。時すでに遅し、である。
「50万ベリー」
「オーケー」
「1ベリーたりともまけないわよ」
「換金できる場所に着いたらちゃんと払うよ」
ニッと笑ってナミの手から欠片を受け取り、床に広がっている残りの残骸も拾い上げていくレイルス。怪訝そうな顔をするナミであったがあのまま金塊として売るよりはずっと高値を提示されたので文句はない。本当に払えるのかしらと疑問には思ったが自信はあるようだし、ナミが損をすることはない。耳を揃えて払ってもらうつもりしかないナミは怪我人だろうが新人だろうがまったく容赦するつもりがなかった。そろりそろりとその場から逃亡を試みていたウソップとルフィにナミが声をかける。
「ウソップ〜、ルフィ〜?あんたらは別で罰金よ」
「なんでだよ!!」
「あんたらがあれ壊さなかったら500万ベリーはくだらなかったからよ!」
ナミが怒るのもしょうがないと納得してしまうほどの金額が飛び出てウソップは顔全部に皺を作って悲鳴をあげた。レイルスは自分の知る単位とは違うものなので、これは気合を入れなければならないとひっそりと笑う。
「ついでにいらない紙と、余ってるインクがあれば欲しいんだけど」
「イムバカだろ!なんでナミに頼むんだ!」
「借金まみれになるぞ死にたいのか!」
「うるっさいわね!それくらい私だってあげるわよ!!」
海図を書く際に書き損じた紙もあるし、この船で逃げようとしていたペローナが積み込んだのであろうメモやインク瓶、羽根ペンなんかも余分にある状態のためナミは快諾しようとしたのだが、またしても17歳コンビの煽りに目を吊り上げた。そのナミのセリフにそんな状況だということを知らない2人は顔を真っ青にして甲板を走り回って声をあげる。
「嵐が来るぞー!!」
「ナミがタダで物を譲ったー!!」
「あんた達!」
びっくりするほど失礼な2人とそれを追いかけるナミに笑いながらレイルスは丁度部屋から出てきたフランキーに声をかける。
「フランキー、鉄屑でも木片でもなんでもいいから余ってるものってある?」
「あ?あるにはあるが……そんなもんどうすんだ?」
待ってろ、と言って早速部屋に戻っていったフランキーは、数分もしないうちに箱を抱えて持ってくる。ドサリと足元に降ろされたそこにはパイプの端や折れてしまった木材など、廃材と呼ばれるものが多く詰め込まれていた。一つ手にとって満足そうに笑ったレイルスは「ありがとう」と礼を伝える。こんなものをどうするというのか気にはなったが教えるつもりもなさそうだと察したフランキーは肩に乗せたタオルで手の汚れを拭き取った。世間一般的にみればガラクタであるが、フランキーにとってはまだ使えるもの。だからこそこうしてまとめて捨てずにいるのだが、必要不可欠ではないそれらをフランキーは快くレイルスに譲った。
「ほら、これでいい?」
「助かる、ありがと」
ナミも自分は使いそうにないメモの束(ペローナの趣味だったのか妙におどろおどろしい)とインク瓶、ついでに羽ペンをレイルスへと渡す。嬉しそうにニコニコされてしまいナミもなんだかな、と頬をかいた。ルフィとウソップへの怒りも気がつけばこの毒気のない笑みを前に霞んでしまっていた。
早速とばかりに色々と抱えて医務室へと戻ったレイルスはさて、と腕を捲る。錬金術を使ってこれらをうまく金目になるものに変えようと画策しているのもあったが、餞別に何か送ろうと思っていた計画も一緒に果たしてしまおうという魂胆があったのだ。いらないなら売ってもらえばいい。レイルスは満足げに笑って紙とインクを手に取る。
ナミとロビン、チョッパーにサンジはもう何を渡すか決めていたのだが、先程のやり取りでフランキーも作るものの方向性を決定できたレイルスは上機嫌にペン先をインクに浸す。廃材の中からガラスと木片、そして鉄の破片を取り出したレイルスはそれらをベッドの上へと乗せる。サラサラとメモに陣を描き、描き終えた紙を台紙から切り取る。少し思案したように動きを止めたレイルスは金塊からも小さなかけらを一つ取りあげる。陣の上にそれらを全て並べ、右手を陣にかざした。バチバチという錬成光とともに全ての材料がどんどん変形していく。
木材は一度真っ黒になったかと思えばそのままさらに変化し透明になり、細い筒状になる。ガラスはその一回り小さい筒となって、木材だった透明の物質――ダイヤの中に包まれるように取り込まれる。その先端には繊細な彫り模様の入った鉄が結合し、仕上げとばかりに反対先に金が蓋のようにそこに乗った。光が収まり、レイルスが陣の上から取り上げたのはとても美しい万年筆。ナミはみかんが好きだとサンジから教えてもらっていたレイルスは、透けるダイヤの持ち手部分にみかんの葉と花を、蓋の金の部分はみかんの葉の形をあしらい、ナミへ贈るそれを完成させた。部屋の外で何か書き物をしているときでも羽ペンを持ち出しているのを見て、海図を書くと言っているのに万年筆の一つもないのでは不便だろうと思ってのことだったが、実は万年筆など誰も開発していないだけでこの世界にないものをしれっと作ってしまったことをレイルスは知らない。
「おい、死んでも落とすな!この……!!」
ナミへはこれでよし、と万年筆に錬成跡が残っていないことを確認したレイルスは陣を握りつぶしていたのだが、扉の先から聞こえてきた慌てたようなサンジの声に首を傾げる。医務室には扉が3枚あり、2つは外へ、残るもう1つはダイニングキッチンにつながっている。声はやはりダイニングキッチンの方からでレイルスは、よと声をあげて立ち上がり扉に手をかけた。
「……大丈夫?」
「イウひゃん……!!」
声をかけた先ではいったいどうしてそうなったのだという状況のサンジがいた。両腕の至る場所に皿を積み上げて乗せ、その上片方あげられた足にも同じように皿の山が乗っている。極め付けに一枚皿を咥えている。遊んでいるわけではなさそうだったので近寄ったレイルスはサンジの口に咥えられていた皿を回収してやった。
「あ、ありがとうイムちゃんまじで助かった……」
どういったバランスだと思うくらいにギリギリで乗せられた足に乗った皿を次いで持ってやれば、心の底から漏れたような安堵のため息がサンジから漏れる。キッチンに皿を乗せて、今度は右腕に乗る皿を回収するレイルスにサンジは本気で涙を流す。なんて優しいプリンセスなんだ、大好きだ。皿さえなければサンジは踊り狂っていただろうレベルで感動していた。
左腕のものはもう大丈夫だと断ったサンジは器用に皿をキッチンへと下ろしていく。淀みない動きにひっそりと感心していたレイルスだったが、足元に落ちたタバコを発見して体を折る。どうやら皿を咥えた拍子に落としていたらしい。
「どうしたの?」
「ああ、皿洗いをブルックが手伝ってくれたんだがドジして皿持ったまま転んでよ……」
危うく割るところだった、と大きくため息を吐き出すサンジの言葉に、そういえば朝から嫌に張り切っていた様子を見せていたなとレイルスは思い出す。その一環で皿洗いをして、最終的にああなったというのか、レイルスには理解ができなかったがわかったふりをして頷いた。ちなみにそのブルックはサンジを放置してナミに紅茶を届けに出て行った。サンジの楽しみまでしっかりと奪っていったブルックである。
「あ、ああ……悪い、そんなものまで拾わせちまって……」
レイルスの手元から煙が上がっているのに気がついたサンジは、それが先ほどまで自分が吸っていたタバコだと気がついて死ぬほど狼狽えた。だってさっきまで咥えていたのだ、唾液を吸わせるようなヘマはしていないがそれでも男が口にしていたものを触らせるなんてと焦りとちょっとの興奮で顔色をくるくると変える。サンジは本能に正直だった。
それでもなんとか回収したタバコに、再び口に戻すか戻さないかで葛藤する。本音を言うなら咥えたい、だってレディがそのたおやかな指で摘んだタバコだ。きっとうまいに違い無い。しかしタバコは火こそ消えていなかったものの、フィルター部分がひしゃげてしまっている。どうやら皿を落とさないよう立ち回った際に強く噛んでしまったらしい。サンジは泣く泣くそれを携帯灰皿へ押し込んだ。新しいタバコを咥えて、レイルスがまた火をつけてくれたりなんか、と期待してチラチラとレイルスを見やったが残念ながら全く気がつかないレイルスは不思議そうな顔をして「どうぞ吸って」と火をつけることを促すだけだった。
投稿日:2022/0128
更新日:2022/0128