二輪のアイリス
ハイデリヒは「まず怪我を治すように」と強くレイルスへ言い聞かせて一切の問答を跳ね除けた。逆に言えばハイデリヒからの詰問もなく、ひたすらベッドに横になることを強いられたレイルスはなんとも言えない表情でそれを受け入れる。無理を押して起き上がったり何か問いかけようものならハイデリヒがこれでもかと心配そうな顔を作って黙殺したのだ。弟の顔と同じ顔でそんな顔をされてしまってはレイルスもぐうの音も出ないほど押し黙ってしまう。元から自分の顔の良さを自覚しているタイプのハイデリヒだがまさか己の武器が効くとは思ってもいなかったため少し驚いていたりする。ハイデリヒは見事に勘違いをしていた。数日経ってやっと起き上がる許可を得たレイルスはぶっすりとした顔でハイデリヒを睨む。元からレイルスはじっとしているのが苦手なタイプである。サニー号の医務室でおとなしくしていたのは、ロビンがこれでもかと情報の詰まった書物や新聞をくれて頭を動かす時間が多いにあったことに加えて、あの船が退屈とは程遠い環境に位置していたからだ。何せゴム人間が最低でも1日3回は部屋に飛び込んできていたので。綺麗な顔なのに怖い顔をするなぁなんてハイデリヒは内心でひっそりとそんなことを思いながら、さてと椅子に座ってレイルスへと目を向ける。シュンシュンとストーブの上の薬缶が音を立てる。相変わらずストーブからはカカカカと、おかしな音が鳴っている。
「お互い聞きたいことが山ほどあるだろうし、一問一答でもしようか」
その言葉にピクリとレイルスの眉が片方上がる。どうやら革命軍としてもレイルスから何か情報を得られるつもりでいるらしい。何を知りたいのかはわからないがレイルスは促すように体をハイデリヒへと向けて足を組んだ。ハイデリヒは、まだ怪我しているのに、とちょっとだけ責めるような目を向けたが不思議そうに首をかしげられて諦めた。
「くまは無事だった?」
しかし最初に飛び出した質問に、レイルスの顔がキョトンと間抜けに力が抜ける。ハイデリヒの目はレイルスが驚くほどに真剣でまっすぐと金色の目を射抜いている。肩からも力を抜いたレイルスは、正直に言葉を選んだ。
「生存、という意味でならおそらくは無事。私が最後に見た時は傷一つなかった」
ハイデリヒの表情が安堵に緩むも、レイルスの言葉にどうやら不穏さだけは感じ取ったのだろう。すぐに視線に鋭さが戻る。レイルスはハイデリヒの反応から、あの人間兵器について彼らは知らないのだろうことを理解する。そして、今のくまの状態についても。
「麦わらの一味の生存について情報が欲しい」
今度はハイデリヒがレイルスの質問に目を剥いた。てっきりここはどこかだとか、くまが七武海に身を置いている目的だとか、なぜ助けたのだとかそんな言葉が飛びだしてくると思っていたのだ。それが麦わらの一味の生存について。そのセリフとレイルスの纏う空気から報道すらされてはいないが彼女もクルーなのかと勘違いをしたハイデリヒはレイルスと同じようにできるだけ教えてやろうと口を開く。
「シャボンディ諸島で壊滅したという報道が、君が飛んできた日にあったっきりだ」
であればのたれ死んでいない限り無事と見ていいだろう。現に自分が無事なのだからそういうことだ。そう考えるレイルスは少しの安堵で肩の力を緩める。やはりくまはレイルスを含め一味を全員あの場から逃してくれたらしい。彼が革命軍ということにその理由があるようではあるものの、本当のところは本人に聞かねばわからぬこと。兵器化のことを仲間であるハイデリヒが認知していないところを見ると、くまは仲間に全てを話していないようだ。レイルスはハイデリヒの答えにそこまで思案して指先に血が通った気がした。
お互いの第一声がそれぞれ仲間の安否確認だったこともあり、2人の間に妙な空気が生まれる。レイルスは弟に似ているというだけでも勘弁して欲しいのに心優しさを見せるなと内心で舌打ちをこぼしていた。
「……麦わらの一味が天竜人に危害を加えた理由は?」
「人攫いにあった人魚を助けるため」
ハイデリヒが気になっていた大事件の裏側。麦わらの一味であれば知っているかと思った、新聞では不鮮明だったことを聞けばギョッとする言葉が返される。確かに現場は職業安定所……ヒューマンショップということだったが、まさか買い手としてその場にいたのではなかったとは。ハイデリヒは認識を改めた。少なくともそうすんなりと考えを改めてもいいと思えるくらいにレイルスのことを無意識下で信用してしまっていた。そうさせる空気が不思議なことにお互いの間に出来上がっていた。
「釘、鉱、聞き覚えはある?」
「……悪いがどちらもない」
首を傾げるハイデリヒを見てレイルスは腕を組んだ。手詰まり感があるが、くまはなんのつもりでレイルスをここに飛ばしたのだろうかと、ここ数日考えていたことを改めて考え直す。くまの状況を伝えるメッセンジャーにされた?いや違う、とレイルスの勘が訴える。どちらかというとそのことは黙っていて欲しいのではないかとレイルスは思っている。でなければくま自身でとっくにハイデリヒにそのことを話しているだろう。ではやはりレイルスの願い通り何かこの場で知るべきものがあると考える方が妥当だ。運命のように弟そっくりの見た目の男のいるこの場所に、きっと何かがある。
「……ここがどこか知りたくないのか?」
思ってもいない問いかけにレイルスが目をパチクリとさせる。しかしレイルスはある程度ではあるがそれについてあたりがついていた。
「海軍本部の側じゃないの?」
ケロッとそう答えたレイルスにハイデリヒがギョッとする。その通り、ハイデリヒが身を隠しているこの島は海軍本部が目と鼻の先にある小さな島だったからだ。どうしてわかったんだと問いかける前にレイルスはニヤリと笑って勝気にわらう。初めて見たレイルスの笑顔にハイデリヒはゴクリと喉が無意識に上下した。
「袖がインクで汚れてる、戦闘員にしては身のこなしが素人のそれ」
ピ、ピとハイデリヒを指さして指摘するレイルスにおどおどと狼狽えながらハイデリヒは指を刺された服の袖と顔に手を当てる。ハイデリヒの纏う空気からも戦いに関しては素人であろうことを理解していたレイルスは、その上で海軍本部側に居を構えている理由を導き出していた。
「なんか傍受してるんでしょ、夜に人の気配はないのに話し声だけ妙に聞こえた」
まさか起きているとは、そして聞かれているとは全く思っていなかったハイデリヒは己の過失をそこで知る。レイルスの眠りが浅いことを知らないが故の失態ではあったが、聞こえないだろう位置の部屋で作業をしていたというのに。まさか部屋を抜け出していたのかとも考えたが、しっかりレイルスを閉じ込めていたのは他ならぬハイデリヒである。ハイデリヒはレイルスが閉じ込めても意味がない錬金術師であることを当たり前だが知らないせいで余計に混乱した。当然、レイルスは夜な夜な部屋から脱走してハイデリヒの家を散策していた。
「てことは諜報員とか、そんなところかなって。海軍本部近くなのは軍の通信聞いてたらまあ……」
「い、いや!君が来てからの通信で現在地が割れるようなものは……!!」
「座標コード散々しゃべってたでしょ」
呆れたようにレイルスがため息をつく。それについに立ち上がって椅子をひっくり返したハイデリヒは驚きに顔を染めた。確かに、軍の通信では身分を証明するマリンコードと、現在位置を報告する座標コードが使用されることが多い。しかしどちらも暗号めいているし長く海軍の通信を傍受しているハイデリヒでも書き起こした上で過去のコードと海図を照らし合わせてやっと位置を特定できるレベルなのだ。それを、たった数日立ち聞きしただけのレイルスがまさか。ナミの海図を見ていたレイルスはそれをしっかり脳裏に焼き付けていたので、近海についての座標ならばきちんと覚えていた。とんでもない記憶力である。くわえて通常使用される座標とは異なる、海軍独自の暗号座標。アナグラム形式のそれをレイルスは聞いただけで紐解いてしまっていた。そもそも親の錬金術の研究書を寝物語として解読していたような女だ。レイルスにとって単なるアナグラムはそこまで難しいものではない。
「じゃあいいや、海軍本部の近くの島であってるの?」
「あ、ああ……」
目眩すらしてきたハイデリヒはヒクッと顔を引き攣らせた。どうやらくまはとんでもない女を飛ばしてきたようである。
投稿日:2022/0214
更新日:2022/0214