二輪のアイリス

「ア……ハイデ、くまってどこで寝泊まりしてた?」
「立場わかってる!?」
 数日経てばレイルスは勝手に部屋を出ては建物の中をウロウロとし始めた。ここにはハイデリヒ以外いないため、非戦闘員の彼は頭を抱えてレイルスを怒鳴ることしかできない。海軍本部の目の前で騒ぎを起こして部屋を改められる方が大問題である。傍聴用の電伝虫や機材のある部屋は地下にあるとは言え、そこまで入られて仕舞えば人たまりもない。革命軍にとってもハイデリヒが得る情報が非常に大きく、代えの効かないものであるというのも大きい。ハイデリヒの言葉に、レイルスは「え〜危害加えないって言ったのに〜」なんてケラケラ笑っている。普段温厚で慇懃なハイデリヒもレイルスの傍若無人っぷりには早々に敬語が吹き飛んでいた。レイルスからすれば家の外に出ていないだけでも褒めて欲しいくらいに思っているので、お互い自分が折れてやっているという心積りである。
「そもそも、なんでくまがここで寝泊まりしてたって思うんだよ」
 そういうハイデリヒだが、また内心ではドキドキとしていた。実際くまは本当に稀ではあるがここに寝泊まりすることがあったのだ。それもついこの間も立ち寄ったばかりである。その時の様子がどうもおかしかったらこそ、強い彼を心配なんてしてしまったのだ。
「いや、あんなでかい椅子誰が座るの」
 そう言って指を差した先にはレイルスがいう通りかなり大きな安楽椅子がある。可愛らしいアップリケが施された膝掛けまで乗ったその椅子は確かにくまのためにハイデリヒが用意したものだ。アップリケには洒落っ気たっぷりに可愛いクマが描かれている。上手い言い訳ができずにハイデリヒはグッと喉を詰まらせた。
「てかあの椅子で寝てた?」
 その通りであったためハイデリヒは食パンをもそもそと食べてレイルスの言葉を無視することに決めた。レイルスは似ているようで似ていない彼を見て、少し眉を下げてひっそりと笑う。毎度呼び間違えそうになっているが、ハイデリヒはそのことに気がついていないようでレイルスはひっそりと息をついて行儀悪く口に食パンを加えたまま立ち上がる。石造りの部屋の床に、ギイと木製の椅子を引きずる音が響いた。
 レイルスが椅子を見上げるも、なんの変哲もなさそうに見える。背もたれにかかっていた膝掛けを広げて裏返してみたりもしてみたがこちらもなんらおかしなところはない。強いていえば「KUMA」というアルファベットを見つけてしまったくらいである。隠す気があるのかこの男はとレイルスはハイデリヒに白い目を向けた。さくり、咥えていたトーストに歯を差し込むとマーガリンの風味が鼻に抜けた。
「そういえば、珍しく旅行のガイドブックじゃないもの読んでたな……」
「……ッなに読んでた!?」
 レイルスの様子を見てふと思い出したことを口に出したハイデリヒは、振り返ったレイルスが危うく喉を詰まらせたのを見逃さなかった。呆れた目をして飲み物を差し出せばそれどころではないとばかりの形相で詰め寄られてしまってなんだかなぁ、とため息をつく。どうもこの人、直情型というか参謀総長にちょっと似ているというか。
「憎めないんだよなぁ……」
 そう言って立ち上がって本棚へと足を向けるハイデリヒは、奇しくもレイルスがいつもハイデリヒを見て思っていることと同じことを口にしていた。
「はいこれ、かなり古い本だけど……中身は物語だよ」
「概要は?」
 本を受け取ったレイルスがパン屑のついた手をほろって布巾で手を拭く。本を大切にする仕草にハイデリヒは余計に絆されてしまいそうだと苦笑を浮かべた。
「とある王国に五つ、ポッカリと穴が空いた話」
 ハードカバーの表紙を開けば、古い紙の匂いがうっすらとレイルスの鼻に届く。
 ハイデリヒは物語を思い出すように言葉を止めながらもあらすじを語る。突然空いた謎の穴は、全てを飲み込んで無へと還す。飲まれたものは帰ってくることはなく、穴を塞ごうと色々な策を講じるも国の衛兵が土砂を投げたりするたびに、余計に穴の淵が広がる。放っておいても次第に大きくなってくる穴に困り果てた国王は、異国へ助けを求めた。
「そうしてやってきたのが『賢者』」
 賢者は博識で、その穴がどうして空いたのかを解き明かした。穴が空いたのは人々が神に感謝を忘れた罰であり、怒った神が大地を穿ったのだという。賢者は魔術を用いてその穴を見事塞ぎ、国は神に感謝を忘れぬようそれから満月の夜が来る度に、賢者が穴を塞ぐために用いた供物を捧げたのだという。
「その供物が『宝石の実る枝』、『燃えずの絹』、『神石の欠片』、『竜の刃』それと『海底の宝貝』」
 それらは全て国で集まるものらしく、とんでもない名称でもさすがは物語、当たり前のように用意のできるものだったようでそれから国は平安を取り戻したのだとか。レイルスはハイデリヒの説明を聞きながら本を捲る。挿絵のあるページでは賢者と呼ばれる男が杖を振っている場面が描かれている。
「僕も聞いたことのない話だから、相当古いと思うよこれ……もしくはすごい田舎の方の伝承とか」
「元は誰のものなのこの本」
「さあ……くまが気がついたらここに置いていっていて、この前来た時どうしてかそれを引っ張り出して読んでたんだ」
 彼がおいていった本はそれだけではない。意味のありそうなものもあれば、なんだこれはと思う様なものもある。単に読み物が好きなハイデリヒを思ってくまが集めてきてくれているとも取れるそのラインナップにハイデリヒは一度も文句は言ったことはない。礼は言っても受け取ってもらえないのでそれも伝えなくなったが。
「……これは?中表紙のこれ、誰のスペル?」
 そう言って指を差した先には確かにインクで書かれたスペルらしきものが見える。身をかがめてそれを覗き込んだハイデリヒは初めて知ったその文字をマジマジと見つめた。
「D・R?思いつく仲間は、うーんいないな……」
 イニシャルが合致する仲間はいるが誰もこういった本を読むような性格をしていない。わざわざくまが持って来たというところから見て仲間の誰かの持ち物、という線がそもそも薄いのだが。ハイデリヒはくまが必要最低限まで革命軍との接触を絶っていること1番理解していた。じっくりと本を見分し始めたレイルスはそれが古いこと以上に酷く傷んでいることに目がいく。表紙の汚れは煤だろうものだし小口は謎のシミが所々ついている。本のタイトルは「最果て国の物語」。掠れているが金色の文字が綴られたタイトル。作者の部分は完全に擦れてしまって読めそうにない。他にヒントはないかとペラペラと本をめくっているうちに本からメモがひらりと落ちたことにハイデリヒは気がついた。
「本当にどこまで予想していたんだ」
 ハイデリヒの言葉はくまか、目の前のレイルスに向けられたのか判然としない響きをしていた。うんうんと唸っているレイルスはまだメモの存在に気がついていない。見下ろした先には見慣れた様で最近めっきり見る機会の減っていたくまの筆跡。
「落ちたよ」
 そう言って差し出したメモにレイルスが目を向ける。こうして何度も正面から見ても見慣れない色である。網膜に焼き付きそうなほど強烈な印象を植え付けるだろう彼女の目の色は、素直に口にはしにくいが本当にきれいだとハイデリヒは思っている。こんな薄暗い狭い場所に押し込めていいものじゃないと、見るたびにそう思う。太陽の下で見たら、きっと忘れられない色をするのだろう。
「……最果てに向かえ」
 意味のわからない言葉にレイルスの顔が険しく歪む。わかりやすい変化に笑ったハイデリヒがくまの意図を教えてやった。
「くまのいう最果てはきっとラフテルだよ」
「どこ?」
「ログポースを辿っていく最後の島、海賊王ゴールド・ロジャーだけが行き着いた最後の島だ」
 ハイデリヒの言葉にレイルスはじっと考え込んだ様子を見せる。レイルスはラフテルという言葉を心にしっかり刻み込んで、そしてハイデリヒを正面から見つめた。うん?と首を傾げる姿は成長した弟にそっくりだ。何度見てもそうとしか見えないハイデリヒだが、弟よりずっとズボラで意外に間抜けであることも知ったレイルスは大きくため息をついてちょいちょい、と彼を手招く。
「革命軍は正直知ったこっちゃないけど、ハイデ、あんたのことは信じられる」
 誰かのために判断、決断を下せるだろうとレイルスはポケットに突っ込んでいたメモを引っ張り出す。ハイデリヒは見覚えのあるそれに、部屋から勝手に持ち出したんだなと苦笑するもおとなしくそれを受け取った。
「わかった限りの軍の座標コードと暗号書き出した」
「は……?」
「詰まってたんでしょ」
 レイルスの言葉に目を見開いたハイデリヒは、恐る恐る手元のメモに目を落とす。そこには確かに座標コードと思われる数字の羅列と、海図と組み合わせれば特定できるであろう文字列が続いている。レイルスのいう通り解読と読み取りに苦慮していたハイデリヒは思わぬ情報を握らされて驚愕を浮かべる。
「僕が悪用するとか思わないの?」
「思わない」
 ふわりと思ったよりもずっと優しい声と笑顔でそう否定されてハイデリヒは言葉に困った。レイルスの頭の良さを思い知らされていたハイデリヒは間違っているかもだとか、嘘をつかれているかもだとかそんな疑問や疑念を抱くことなくしっかりと頷いた。その様子に満足げに笑ったレイルスはまるで眩しいものを見るように目を細めた。

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投稿日:2022/0215
  更新日:2022/0215