二輪のアイリス


 ハイデリヒの家の地下には様々な資料が押し込まれていた。遠くイーストブルーで出された新聞に始まり、世界政府が設立されてからの世界情勢についての細々とした資料。ハイデリヒの性格なのか、きっちりラベリングまでされた多くの資料は圧巻ものだ。盗聴機材を抜きにしても、海兵に地下に入ってこられたらハイデリヒは職質を受けるだろう。一般人と言い逃れが許される量ではなく、仲間からは何度も本部外へ出すな、資料室をいく先々で作るなと口すっぱく言われているがなんのその、ハイデリヒはそれを無視して強行している。
 しかしレイルスにとっては宝の宝庫、恐ろしい量の資料に目を輝かせてすぐさま閲覧許可をハイデリヒからもぎ取り、凄まじい勢いでそれらを読破していく。傍聴室の真横に位置する倉庫のようなその場所でランプの灯りが揺れる中資料の埋もれるレイルスを見たハイデリヒは、声をかけなければ食べない寝ない怪我人に何度目かわからないため息を吐き出す。
「もう寝なよ……レイルスさん、レイルスさん!」
 今日もなかなか反応しないレイルスの肩に触れてガタガタと揺すれば、緩慢な動きでレイルスが振り返る。動きの割に驚いたらしく、目をパチパチとさせたレイルスにハイデリヒは苦笑をこぼす。しょうがないななんて態度ではあるが、ハイデリヒも人のことを言えないくらい、集中をすれば寝食を疎かにする。今は同居人の動向が気になり集中しきれていないだけであった。
「まだ万全じゃないんだから寝なよ」
「……何時?」
「23時」
 一瞬、服のポケットに手をやって顔を顰めるという動作を挟んだレイルスが時刻を問いかける。以前であれば肌身離さず身につけていた時計があったせいで、時間を確かめようとしてしまうのだ。サニー号で目覚めた最初の時からないそれなのに、癖とは恐ろしい。レイルスは気まずげに鼻をかいた。
「……まだ」
「だめです」
「もうちょっとだけ」
「だめです」
「あと1ページ」
「だめですって」
 渋るレイルスの手から資料を奪って頭上に掲げる。ちら、と表紙を見ればどうやら法律関係のものを見ていたようだ。なんだってこの人はこんな資料をマジマジと見るんだろうと疑問には思う。ハイデリヒから見てもレイルスの頭脳は眉唾物レベルで優れている。そんな人が今更?と思うような資料を読み漁っているのはいささか違和感があった。本人の知的欲求も非常に強く、覚えもずば抜けていい。今までこういったものに触れていないことの方がおかしいと思うほどにレイルスは世間知らずに見えた。しかし必要以上の詮索は、革命軍ではタブー。これ以上レイルスから革命軍として聞き出すことはしないと決めていたハイデリヒは、少しだけ気になってしまったそれにむずむずとした。突き詰めたい主義にとっては死活問題にも近い。しかし同じようにレイルスも必要最低限の詮索をしてこないものだから、ハイデリヒもそれ以上の踏み込みができなかった。お互い、妙に距離は近いもののその間にはしっかりと溝があることをわかっていた。その溝を飛び越える気がどちらもないことも。
「背が高いなぁ、ハイデは」
「え?そうかな……」
「身長いくつあるの?」
「190は超えてるはずだけど」
「190!」
 床に座り込んだままハイデリヒを見上げていたレイルスはふと問いかけた質問に想像以上の数値が帰ってきて素直に驚いた。あまりそう言われたことがないハイデリヒは首を傾げながらレイルスの反応を新鮮に感じていた。200センチどころか300センチ、なんなら巨人だっている世界である。190のハイデリヒはそこまで自分は大きいと思っていなかった。
 レイルスはまるで眩しいものを見るかのようにハイデリヒを見上げる。頭の中では先ほどまで読んでいた資料の情報と、過去の情景が入り乱れていた。
「……ハイデリヒは天竜人にここまで権力を与える理由ってなんだと思う?」
 資料の方が軍配が上がったらしい。似てはいるものの他人。ちょっと懐かしく見つめてしまうことくらいは許容してくれと勝手にもレイルスは思っていた。あとたまに間違えて呼びそうになるのも許してほしい。外野が聞けば本当に区別がついているのかと疑問に思われそうなふわふわ具合だった。
「理由か、考えたことなかったな……そういうものとしか捉えてなかった」
 ハイデリヒのレイルスを思っての夜更かし防止対策であるが、今のところこうしてレイルスが議題を振るせいであまり芳しくない結果に終わっている。それもこれも妙に考えさせられてしまう一言をレイルスが放つせいだ。
「直接会って思ったけど、そんな大したもの?こうまで守る意味がわからない」
 会ったなんて豪語したが、レイルスはレイリーの覇気によって気絶した天竜人の白目を剥いた顔をレイリーに抱えられているときにちらっと見た程度である。しかしシャッキーの店であらかたあらましを聞いて天竜人の傍若無人具合はしっかりとインプットされていた。状況から見ても、一味の話やケイミーたちの様子を見てもそう判断できるほどに人災だと理解できた。
「世界の創造主だから……神とかそういう括りとされてるのは、まあわからなくはないけど……確かに権力をそこに付随させる理由はないのか」
「そうそ、それこそ宗教的なものでしょ」
「天竜人教?」
「信じたとしても救いはなさそうだけど」
 腕を組んで危ないことを平気でいうレイルスに苦笑しながらハイデリヒも床に座り込む。レイルスは勝利を確信してニヤリと内心でほくそ笑んだ。レイルスにとって資料読破も大事な作業ではあるが、ハイデリヒとの討論も非常に大事なものだった。
「レイルスさんはどう思うの?」
 そしてそれはハイデリヒにとっても同じことだった。

「重くないの、それ」
 ハイデリヒはあくびを噛み締めながら、毛布やカーディガンを羽織っているレイルスに声をかける。ハイデリヒしか住んでいない場所なので、当然のように衣服はハイデリヒのものだ。サイズが大きいもののため、服の中で泳いでいるかのようにぶかぶかであるし、その分重さもあるだろう。にも関わらず、更に上から毛布を2枚も重ねていればハイデリヒの疑問も当然と言えた。
「動きにくくはある」
 ペラ、とくまが読んでいたという物語を読み直しながらレイルスは言葉を返す。何度目になるか、もうレイルスは内容を諳んじられる程度にはこの物語に繰り返し目を通している。何か発見があるかもしれない、見落としているものがあるかもしれない。そう思うと、どうも手が伸びてしまう。レイルスの勘のようなものがそうさせていた。
「そんなに寒いかな」
 いやに寒がるレイルスを見てハイデリヒは怪訝そうな顔をする。確かにこの島の気候は寒い。降水量が少ないために雪こそ積もっていないが、年中春前のつんとした寒さをした場所だ。いつもストーブを焚いていないと家の中は朝方、凍えるような寒さになるものの日が出ている時間帯はその限りでもない。だというのにレイルスは常に寒そうに毛布にくるまっている。それを見てしまうとハイデリヒもせっせと薪をくべてしまうので、だいぶ絆されているのだが。
「それなりに寒い」
「ええ、今日は暖かい方なんだけど」
「ハイデは寒いのに強いんだね」
「そうでもないんだけどなぁ」
 ふと、思い至ってハイデリヒは本を持っていたレイルスの手の甲に触れてみる。冷え切っている、というほどではないが確かに温度が低い気がする。戯れるように触れてきたハイデリヒに、少し驚きながらもレイルスは朗らかに笑って手を差し出してやる。躊躇いなくハイデリヒはその手を握り、指先がびっくりするほど冷えていてギョッとした。
「末端冷え性?」
「さあ」
 握られた手がじんわりと暖かい。体温を感じる手のひらに、レイルスはなんだか色々な思いがごちゃ混ぜになって口数が少なくなる。純粋に驚いているハイデリヒは、その手に自分と同じくらいのペンだこを見つけて少しだけ親近感に似たもの感じた。ひっそりと、ペンだこ同士をすり合わせるようにさせてみる。硬くなった皮膚同士がざり、と音を立てた気がした。ハイデリヒよりもずっと小さく細く白い手。ハイデリヒよりもずっと冷たくそして傷の多い手。包帯こそ取れたが、レイルスの手にはたくさんの切り傷と、打撲痕があった。ちょうどハイデリヒが掴んでいる手のひらには、抉られたような、何かの模様のようにも見える傷がある。そっとそこに指を滑らせて、凸凹とするそこにハイデリヒは顔を歪ませた。
 戦う人の手だ。きっとこの人は誰かのために傷を負うことをなんとも思わないんだろうな、とハイデリヒは悲懐を胸に押し込める。そうやって傷を作ることで嫌がる人がいることも、悲しく思う人がいることも顧みてくれないのだ。
「部屋のストーブじゃ小さいかな、最近変な音も鳴ってたし」
 そんなやり場のない、八つ当たりじみた気持ちを飲み込んでハイデリヒはレイルスの手を解放する。
 レイルスは本に慌てて顔を隠す。レイルスが出て行ったあときっと驚くであろうハイデリヒを思って、いたずらっ子のように本の中で笑った。


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投稿日:2022/0217
  更新日:2022/0217