支配の剣

「何だってあんなことしたんだい」
 キセルをふかしながら、ため息とともにこぼされた言葉には非難が込められていた。紫煙と共に漂う叱咤と疑念。蒸気機関の排ガスが、晴天とも言い難い空へと立ち上っている。右手でコインと、切符を弄りながら静かにグレーに溶けていくそれらを見送る。ずっと遠くにあるはずの空へと混ざっていく輪郭が、少しだけ恨めしい。切符の端が徐々にボロっと草臥れていく。
 沈黙が横たわるのを良しとしなかった老婆は、再び口を開くも、汽笛の音がそれを遮る。乗車を急かす最後の音だ。中からは子供連れの家族の、和気藹々とした会話が聞こえてくる。鉄の箱舟はそれぞれの心境など構うことなく、煙を吐く。扉が閉まる前に、老婆の言葉が項をひっ掴むように届いた。
「頼まれたって言うもんかい、アレの墓荒らしなんぞあんたがしたって知ったら……あの子ら終いにゃ壊れちまうよ」







 軍艦への潜入はレイルスが想定していたよりもずっと容易だった。潜入なんて聞こえのいいものではなく、適当に小舟を作って海の方へと周り、海兵から見えない位置に小舟を「くっつけて」出港してもらっただけなのだが、これが上手いこと成功した。真後ろから見られない限り見つからない位置で船酔いと戦いながら船に揺られたどり着いたマリンフォード。レイルスの予想外だったのが、軍艦が他の島を一度経由してマリンフォードに到着したせいで、処刑当日ギリギリの時間に現地へ着いたということだ。おかげでその島で色々と物資の調達もできたのだが、ギリギリすぎて既に海兵が敷き詰められるようにして待機している状況なので喜んでもいられない。
 レイルスは知らぬことではあるが、乗り込んだ軍艦が実は湾を囲む50隻の艦隊のうちの1隻で、かつ1度物資を降ろすために早目に到着し、湾に接近するなんてレイルスにとっては非常に都合の良い役目を担っていた。他の軍艦であれば湾に寄らずに離れた位置で待機され、小舟を発見されていてもおかしくは無かったのだからこれ以上ない密航だった。
 マリンフォードに侵入したレイルスは近くの建物の中へと身を顰めた。どうやら家屋だったようではあるが大型の家具を除いて空き家同然の物のなさ。避難した海軍の家族の家が住む街マリンフォード。世界一安全なんて謳われているが、こうして戦場になりうるのであればそうともいえないよなとレイルスは椅子すらない場所を見て思う。戦場に家族を残して自分たちだけは避難する。いくら覚悟があるからと言ってもそれが酷なものであることもレイルスは知っている。残される家族の気持ちも、容易に想像ができた。
 さて、と思考を切り替えるように床に座り込んだレイルスは見つからないよう窓からの視線にだけ気をつけながら考え込む。本当はルフィの兄、エースが処刑台に上がる前に連れ出すなりなんなりしたかったのだがこうも海兵が多いとそれも難しい。処刑台の場所すら未だ掴めていないレイルスは顔を顰めたが、こればかりはしょうがない。エースが連れ出されれば多少なりとも注目の的にはなるだろう。その時を狙うしかないとレイルスは腹を決めた。
 1人の命で始まる戦争があることをレイルスは痛いほど知っている、それでもある程度サニー号とハイデリヒのところで常識らしいものは詰め込んできたレイルスだったがこの強硬手段はやはり妙だと感じた。これまでの歴史や経緯を見るに海軍は戦争を積極的にしたいというわけではないだろう。なのにこの状況、戦争を誘発することを目的とするにしてもあまりに規格外なのだ。確かにこれまで各地で海賊の打首があったことは否めない。それが海軍本部となるとまた別で、これまでそんな前例は一度もないのだ。うーんと首を傾げるも、しかしその理由を断定できるほどの知識をレイルスは有していない。違和感はそのまま流れてしまう。
 問題はどうやって処刑台を見つけ、そこまでたどり着くか。レイルスは1人腕を組んだ。
「……ん?」
 ふとレイルスの目に入った戸棚の1番下に、数冊何かの本が残されていた。手を伸ばせばマリンフォードにあるレストランが乗ったガイドブックとファイル。ファイルの方には色々と紙が挟まっており、どうやら海軍から一般市民へ配られたお知らせや、島で行われる行事などの詳細が挟まっている。月一で出ている地域新聞というやつだろうか。ありがたいことに限定的ではあるがざっくりとした地図も多少載っている。イベント開催場所近辺のものしかないのが難点だがあるだけマシだ。ガイドブックの方も似たようなもので、レストランは島のあちこちに点在していたようで、近場の地図については頭に入れられそうだ。
「白ひげ、やっぱり新世界からこっちに戻ってきてるらしい」
「目撃情報はないがな……新世界から姿を消したってことはそうだろ」
 耳に聞こえてきた話し声にレイルスはピタリとガイドブックをめくっていた手を止める。どうやら見回りで周回していた海兵が近場で足を止めて立ち話をし始めたらしい。窓の位置と扉の方向を確認したレイルスは物音を立てぬ様、死角へと体を滑り込ませる。
「これだけ多くの兵を集めて、他の警護やらをほとんど捨ててるんだ……こないならこないでいいが、この期にずる賢い奴らが悪さしそうで嫌だな」
「海賊なんて常にそうだろ、それに白ひげはいやでもくるさ」
 白ひげ海賊団。レッドラインを超えた先にある後半の海、新世界を拠点とする巨大な力を持つ4人の海賊。四皇と謳われる一角が白ひげである。海軍ですら迂闊に手を出せないほどの1人、だからこそ此度のポートガス・D・エースの公開処刑は、イコール四皇の1人と海軍との全面戦争となる。白しげは四皇のメンツを保つためにも、仲間が殺されるところを指を咥えてみていられない。
 しかし、海軍は白ひげを引っ張り出すためにこの処刑を行うのだと思っていたのだがどうやらそうでもないようだ。ハイデリヒの元で盗聴していた時も思っていたが、海軍側の用意が嫌に周到すぎる。しかも通信の中の海兵同士の会話には結構な頻度で不安が滲んでいた。
「どうして今四皇なんだろうな」
「さぁな……白ひげも歳だから今ならやれると思ったんじゃないか?」
「だったらもっと弱ってからでも、なんなら老いて死ぬの待ってもいいじゃねぇか」
 ほら今も。それほどまでに白ひげは強大であり、そして恐れられている。ならばなぜ危険を冒してまで公開処刑をするのか、という疑問が残る。レイルスは白ひげを知らない。しかし対面しようとしている海軍が、全滅を考えていることだけは把握できていた。そうじゃなければ本部なんて場所でどんぱちしようと思わないだろう。それだけ有利にもなり得るが、同時に心臓部であることも間違いない。そこを捨てる覚悟で海軍も挑んでいる。
 海兵のいう通り、確かにそんなに恐ろしい男を相手にするのにどうして今、という不審点が浮かび上がる。これまで全く手を出さなかった相手に、老衰を待った方が被害も出ないだろうに。
 サングラス越しのレイルスの目が、パッと見開かれた。海軍の狙いは白ひげではなく、ポートガス・D・エースの処刑そのもの?白髭が出てくることを加味しても、エースを殺す理由が海軍にある?
 いや、ないない。とレイルスは自分に呆れたように後方に両手を地面につけて天井を仰ぎ見る。エースの経歴はハイデリヒがざっくりとまとめてものを渡してくれたので、波に揺られながら見たが、そこまで凶悪という印象は受けなかった。なんならエースは以前海軍に七武海への加入推薦すら受けている。結局エースが蹴ったことでその話は流れたらしいが。
「やだなぁ死ぬの」
「そうだな」
 海兵の呟きが空っぽの部屋に響いた。


 - return - 

投稿日:2022/0219
  更新日:2022/0219