盲目な女神
白ひげ傘下の海賊団船長、スクアードは白ひげを刺してしまったことにケジメをつけるためにもと戦場に残ろうとパドルシップで戦場を突っ切ろうとする。しかしそれも白ひげが片腕で止めてしまう。親より先に死ぬなんて親不孝は許さないと豪語した彼に海賊は皆涙する。そして船長命令まで出して、全員に逃げろと告げた。レイルスはその様子を見て、こんなにも多くの人に慕われる人が馬鹿げた戦争で命を落とすことを心から惜しいとそう感じた。そう思わせる気迫と覚悟が空気から迸るほどに漂っているのだ。何も知らないレイルスでされそう感じたのだから、息子の、それもこの戦争の元凶となってしまったエースの思うところは想像を絶する。
「エース、おっさんの覚悟が!」
「……」
足を止めたエースに、レイルスは顔が歪むのを感じた。エースの出生が原因で起こったこの戦争。おそらく白ひげはもとから死ぬつもりでここにきたのだ。エース以外の仲間が死んだこの戦場で、自分が生き残ることを考えていない。それが白ひげなりのケジメなのだ。
「わかってる、無駄にゃしねぇ……」
ひどく硬い声で呟いたエースは周囲の海兵を能力で薙ぎ払う。巻き上がる火炎に思わず目を細めたレイルスはその目に地面に頭を擦りつけるようにして頭を下げるエースを見つける。ハク、とレイルスが音もなく息を飲み込んだのと同時、ルフィも自然とレイルスを抱える手に力を込めた。吸い込む空気が酷く熱くて、喉から腹の底の部分を焦がす。炎に照らされる背中のマークがレイルスの目に焼き付くようだった。エースの背から吹き出た汗が、丁度そのマークの目元からたらりと流れる。
「一つ、聞かせろエース」
白ひげとエースの間に敵も味方も誰もいない。エースが炎で全てを薙ぎ払ったからこそできた一瞬の道。
「俺が親父でよかったか」
「もちろんだァ!!」
2人の声がレイルスの心に突き刺さるように鮮明に残る。親子、血のつながりがあろうがなかろうが、彼らは本物の親子だ。炎の中で笑う白ひげは豪快に笑い、とても幸せそうに見えた。目を逸らしたいほどの感情に襲われながらもレイルスは歯を食いしばってそれに耐えて瞳に炎を反射させる。再び走り出したエースにルフィも続く。振り返らないエースに反して、レイルスはルフィの背中の上で身を捩って白ひげの姿を目に写した。しかしその視界もすぐに海兵と海賊で埋まってしまう。レイルスは睨むようにしてその先の白ひげを一瞥し、前を向いた。自然とレイルスの手がしがみつく様にルフィのベストを握り込む。
「エースさん、ルフィくん!前を走れ!」
「ジンベエ!」
「お前さんたちは狙われとる、1人でも多く生き残ることが親父さんの願いじゃ!」
合流したジンベエがエースとルフィを隠すようにその巨体に2人の影をしまい込んで走る。船まで全員が一直線に走りだすも、それを咎めるように冷たい言葉が耳に届く。大将赤犬は誰もこの場から生かして逃すつもりがなかった。
「火拳のエースを解放し即退散とは、とんだ腰抜けの集まりじゃのう白ひげ海賊団」
分かりやすいほどの挑発は誰の足も止められない。それでも苛立ちに顔を歪めながらも足を進める海賊は揃って血が滲むほどに口や手に力を込めている。当然だろう、愛してやまない父親が決死の覚悟で戦場に残るといったその矢先の愚弄。顔を険しくしながらも、最後の父の願いのために海賊は走る。しかし、次の一言がエースの琴線を焼いてしまった。
「船長が船長、それも仕方ねぇか……白ひげは所詮、先の時代の敗北者じゃけぇ」
白ひげをバカにした。その言葉によって足を止めたエースの顔は鬼のようで無意識なのだろう体からはその能力に相応しい、メラリと炎が揺らめいて威嚇を始める。ルフィやエースの仲間が呼び止めるも、耳に入っていないのだろう形相で、エースは赤犬と対峙する。
「ジンベエ、こいつ頼む!」
横にいたジンベエにレイルスを託し、ルフィはエースに一歩近寄る。大将相手では自分は勝てない、ルフィは自分の今の力量を正しく推し測り拳を悔しさで握り込んだ。レイルスは離れていくエースとルフィの背中を見ながら、血塗れの足を引き摺るようにして進む。ジンベエが止めようと声をかけるも、ちら、と振り返ることもせずにノロノロと歩みを進める。ジンベエは一瞬覗き見たレイルスの顔がひどく怒りに塗れていたせいで動きを止めてしまった。自身が知らぬだけの白ひげの傘下のものだろうかとその華奢な背中を止めることができなかった。ジンベエ自身も、赤犬の言葉に思うところがないわけではない。それでも白ひげのことを思えばやはり、エースはいち早くこの場を離脱するべき。エースが死んでしまえばそれこそ白ひげの負けになってしまうということをジンベエは理解していた。
「安全な場所で大所帯を持ち、お山の大将で満足してたんじゃぁないのか?世間では白ひげの名で今もいろんな島の安全を守ってるっちゅう馬鹿どももいるようじゃが……わしに言わせりゃ、雑魚の海賊ども相手に睨みを効かせたくらいで英雄気取りとは、笑わせる」
レイルスはおぼつかない足取りで進みながら赤犬の言葉を聞く。レイルスの歩く道には引きずる足から血の線が残り白い地面を汚していた。
徐に顔を上げたレイルスはその顔を眺める。赤犬の目は挑発というより本音を語っているのだと示すように鋭くエースを突き刺していた。逃げ惑う海賊、追う海兵。捕縛を目的とした攻撃を行なっているものはレイルスの目にはほとんど映らない。海兵が行なっているのは殲滅戦だ。喘鳴があちこちから聞こえてくる、地獄のような光景の中にたっているのだとレイルスは再認識する。
「思えば悲しい男じゃのォ、親父親父とゴロツキどもに慕われて家族まがいの茶番劇で海にのさばり、しまいには口車に乗った息子という名のバカに刺され、それを守るために死ぬ……実に空虚な人生じゃありゃせんか?」
一歩、一歩エースが赤犬へと進んでいく。しかしそれを止められるほど、周りも赤犬の発言を許せなくなりつつあった。やめろとエースを口では止めるも、引きずってでもというクルーがいない。エースの気持ちも痛い程に理解出来る仲間だからこそ、本気の静止が出来なかったのだ。
「親父は、俺たちに居場所をくれたんだ……お前に親父の偉大さの何がわかる!!」
「人間は正しく生きなけりゃあ生きる価値なし、お前らゴロツキどもの海賊なんぞに生きる場所はいらん」
レイルスはルフィの後ろで足を止めた。エースと赤犬がついに衝突する。エースの体から人体の焼けた音がして、唸り声を上げてエースが地面へと転がる。マグマと炎ではエースは勝てないのだと赤犬は嘲る。レイルスはルフィが足をふらつかせ、両膝をついたのを見て息を呑む。イワンコフの言っていた「打った後」という言葉を思い出していた。とっくと言っていいほど、ルフィの体は限界を超えていた。ルフィの肩が不自然に震えているのに気がついてしまったレイルスはヒュ、と喉を鳴らした。
ルフィはエースのビブルカードが自分から離れて地面を滑っていったのを見て反射のように手を伸ばす。これがなかったらここまで来られなかったのだ、これから先もこの紙にエースの居場所を教えてもらえる。うっすらとこれをこの場に残していく危険性も脳裏に浮かんでいたルフィはビブルカードから目を逸らせなかった。
レイルスの頬をぶわりと嫌な熱気が襲ったのはその時だ。だというのに背中には冷水でも引っ掛けられたかのような悪寒。ルフィに向けてしまっていた視線をハッとあげて、赤犬がルフィ目がけて拳を振り上げてきているのが目に飛び込む。まるで溶岩が噴き出ているかのような右手。転ぶようにルフィの前にでたレイルスは左腕を広げ、右手を地面へと伸ばす。色々な選択肢がレイルスの頭の中に駆け巡る。ルフィをどこかへ突き飛ばす、間に壁を錬成する、マグマであれば酸化で一気に硬化するのでは、いっそまた地下に逃げ込むか。ぐるぐると考えながらもバチ、とレイルスの人差し指から錬成の光が迸る。しかし視界にもう一つ影が飛び込んできたことで一瞬ためらいが生じた。レイルスの思考が真っ白に塗りつぶされる。その一瞬で、全てが決まる。
「ルフィ!」
赤犬に背中を向けて、ルフィを庇ったエースがレイルスの目の前に覆い被さるようにして立っていた。エースが血を吐くと同時、ぼとりと何かが地面へ落下する。
「エース、イム……?」
「っこの!」
レイルスは痛みで朦朧とする視界で前を睨みつけながら、今度こそ右手を地面へとつける。バチバチという音と共に、赤犬へと地面が迫り上がって襲いかかる。一瞬顔を顰めた赤犬は自分の足元すらも上昇していることに気がついて腕を引き抜いた。じゅう、水が一気に気化する音。吸い込む空気の熱さと、皮膚にべたつく嫌な感覚。濃厚な血の匂いと不快感を呼ぶ焦げた何かの匂い。点滅するような視界の中、レイルスはハッキリとその光景を認識する。
エースの胸には、赤犬の開けた穴がぽっかりと残されていた。
投稿日:2022/0226
更新日:2022/0226