盲目な女神
痛みで焼き切れそうな意識を荒い呼吸で保ちながらレイルスはばたりと倒れ込む。視界に見える赤犬を追いかけるように地面を何度も錬成するが足元のもの以外は全て効果なし。苛立ちからか、パシパシと地面を何度も叩くようにして錬成を続けるレイルス。その目元はバンダナの影になっていたが、口元はぎゅっと噛み締めるように歪められている。赤犬はレイルスの追撃を避けることもなく体をマグマへと変換し瓦礫を溶解させていた。煩わしそうにしているもののダメージを負ってすらいない様子にレイルスの唇がぷつりと噛み締めた歯に負けて裂ける。じり、という音が耳元で聞こえたレイルスは舌打ちと共にジャケットを脱ぎ捨てた。
「は、ぐ……」
悲鳴を押し込むような重苦をのせた音がレイルスの喉から漏れ出る。レイルスの左腕は赤犬の拳によって焼け落ちていた。エースは足元に転がるそれを見て乾いた笑みを浮かべてしまう。ああ、間に合わなかった。ワナワナと震えるルフィがエースの視線をたどり、その腕に気がつく。細く白い腕が爛れた断面を持って転がっている。ルフィの視界がブレる。倒れるレイルスの左腕の先が無い。
「イム、お前……腕……!」
倒れてくるエースを咄嗟に抱えるも、その背中に大きすぎる穴が空いていることに気がついてルフィはさらに言葉に詰まる。急激に視界が、聴覚がぎゅうと狭くなったのをルフィは感じていた。周りが煩いはずなのに溺れた時のように音がくぐもっている。エースの細く、聞いたとこともないヒューヒューと抜けるような呼吸だけが嫌に鮮明に耳に届く。
「でかした嬢ちゃん……!!」
飛んで赤犬に向かって追撃をするマルコは赤犬を2人から離してくれたレイルスに声をかけるも、エースの背中とレイルスの惨状を見て絶望に顔を染める。レイルスはジャケットを地面へ広げ、燃えていた部分を無事な右手で叩いて消火を行う。ばさりと広がったその布の内部には幾重にも描かれた錬成陣。ここまでの錬成はこれを使って行なっていた。複雑に絡まり合ってはいるものの、一つ一つは簡素。他の錬金術師がなしえなかった、一つの錬成陣による複数の物体への干渉。即席で作成したため真骨頂とまではいかず、限定的な錬成に限ったものではあったものの、戦場では遺憾無く力を発揮していた。見下ろしたレイルスはそれが一部ダメになっているのを静かに見下ろした。繊細な錬成陣だ、これだけ破損されてはもうほぼ役には立たないだろう。ぼたぼたと、なくした腕のあった部分から血が落ちている。緩慢な動きで頭のバンダナを外し、レイルスはそれで傷口を塞ごうと奮闘する。ばさりと見事な金髪が戦場の風に舞った。
「くそ、くそ……!」
小さく悪態をつきながら赤犬を遠ざけてきたマルコがレイルスの元へ飛ぶ。エースではなく、レイルスの元へ。一目見てもうダメだと船医でもあるマルコには嫌でもわかってしまったのだ。1人でも多くを救う。父親の最後の願いをマルコは歯を食いしばって実行した。震える右手と口でバンダナを巻こうとしていたレイルスからそれを奪い、一度炎を当ててやる。止まりそうにない血を見て顔を歪めながらマルコはレイルスから奪ったバンダナで傷口硬く縛りつけた。
「悪ぃ、腕……」
かけられた声にレイルスが目だけをエースに向ける。自分の炎でチラチラと輝くレイルスの目を初めて真っ直ぐと見たエースはその目が全く死んでいないことに安堵する。
「こいつら、頼む……マルコ」
「……わかったよい」
ぐったりとしてルフィにのしかかるエースと、その足元に広がる血を見てマルコは悲痛な顔をしながらもそれに応える。ルフィが助けを呼ぶように周囲に声をかける。船医、イワンコフ、誰でもいい。助けてくれと。しかし誰もが顔を顰めて同じ表情を浮かべる。もうだめだ、その目は雄弁だった。エースの声がどんどん小さくなる。ルフィだけがその声をしっかりと聞いていた、ルフィの叫び声だけが戦場に悲痛に響く。もう囁くような音量となったそれはエースが死に近づいている証拠でもあった。嫌でもわかる、エースの言葉は何処までも最期の言葉ばかりだった。
「嘘だ、嘘つけぇ!!」
ズルズルと、レイルスが体を起こす。髪に隠れて表情は見えないものの、マルコはその動きを止めることをしなかった。苦しげな短い呼吸を肩でするレイルスは最後に、真っ直ぐとエースを見上げた。血と涙で濡れたその顔はそれでも穏やかな笑顔を浮かべていた。ドサリと、少し水音も含んだひどい音が、響く。
エースのビブルカードが人知れず燃え尽きた。
投稿日:2022/0226
更新日:2022/0226