孤独への凱旋
「こんなもん、一人で抱えてたのか」インクの匂いとコーヒーの渋い匂い。昼間であれば誰もが忙しなく仕事を熟す執務室。夜が落ちた時間では互いの心拍を数えられそうなほどの静寂が隣に寄り添っていた。
心底と言ったように呆れた溜息が零された。手元の書類を机に滑らせて、男は疲れたように眼鏡を外す。男の机の上には家族の写真。あるべき家族像がそこには映っている。誰もが微笑ましくそれを眺め、けれど男の家族自慢に捕まるのはごめんだと苦笑して早々に目を逸らす。この静寂の中でも写真の中の家族は相変わらず幸せそうだ。
焦点があっていないだろうに真っ直ぐと刺すような視線がするどく、それでも温度を持って何かを射抜いている。しかしふっと、息をつくと同時にその険しさを解いて男は柔和に、嗜めるように言葉を紡いだ。
「なんでもっと早く上司の俺に報告しなかったと言いたい気持ちもあるが……こんな状態の軍の中で、俺を信用してくれたことを誇りに思っておくよ」
ミンク族であるベポは毎度、潜水の度にその暑さで溶けるようにへばってしまう。今回の潜水は通常のエンジンの稼働熱に加えて大将赤犬が海にマグマを降らせたせいか、水温自体も上がっており尚更船内の気温が上がってしまっていた。逃げるには十分な時間を潜水していたこと、暑いとベポが暴れ出したことでポーラータング号は海面へと浮上する。しかしその真横に海軍の軍艦が控えていたことに、シャチとペンギンと共にベポは己の死を覚悟した。キャプテンに殺される。オペ中のキャプテンに許可など取れるはずもないのだが、勝手に浮上してしまったことには違いがなかったためベポは歯をカチカチと震わせた。
「安心するのじゃ、海兵たちは全員石にしてやった」
海兵との戦闘になると覚悟して身構えていた3人だが、なんとそう言ってポーラータングに乗り込んできたのは海賊女帝ボア・ハンコック。麦わらの容体が気になるのだと言う。ちょうどオペが終わったこの船の船長、トラファルガー・ローが顔を顰めながら船内から出てくる。まだ未熟ではあるが見聞色の使い手でもあるローはハンコックの押しかけに難色を示しながらも、確かにそこに敵意がないことを読み取りルフィの状態を説明する。油断は許されない、信じられないほどのダメージを負った身体だった。なぜ生きているのかが不思議なほどのそれでよく動けたものだと思うほど。
「それは当然だっキャブル!!」
その答えを持っていたのが、革命軍インペリオ・イワンコフ。インペルダウンですでに立つことすら出来ない体だったが、イワンコフの能力で無理やり動かしていたのだと告げる。その言葉に納得したローは静かに戦艦を見上げる。どうも、とんでもない気配が混じっている。
「兄の為に気力だけで動いていたようなもの、それが……」
イワンコフはルフィを思い顔を暗くする。ルフィの無茶を1番理解していた彼は、同時にどれだけの思いでルフィがあの場にいたかを思い知っていた。ルフィの体を無理に動かすことを可能にしていたテンションホルモン自体、本来であれば一度打ってから一週間は間を開けるもの。それを立て続けに2本も打っているのだ。ホルモン自体に害はないが、体にまだホルモンが残っている状態で打ったことにより、ダメージの許容量も増えたはず。ルフィが溜め込んだダメージは相乗されたはずだった。
「おう、お前が『死の外科医』かよい」
「なるほど、『不死鳥のマルコ』か」
ローが見上げていた先にふらりと現れた影に、流石のローも冷や汗を流す。通りで威圧があったのだと睨みあげるローに対し、ベポとシャチ、ペンギンは「ぎゃー!本物ー!」と悲鳴を上げた。四皇のクルー、それも古参の1番隊隊長である。懸賞金の額を思い出したペンギンはそっと白眼を向いた。シャチはそんな相手を睨み上げているローを見て顎を外した。
「S型Rh−」
「……なんだ」
「あるか?」
そう言ってポーラータングの甲板へ静かに飛び乗ってきたマルコは、チラチラと不死鳥の炎を見せる。威嚇と捉えたクルー3名はぴゃっと船内に引っ込んだ。ローは情けないクルーを横目に舌打ちをしつつ、マルコの背中に乗せられた小さな影を見て顔を顰める。駆け込み寺でもないのだ、元から麦わらだけを逃すつもりが、ジンベエまでついでに助けていたローは眉を寄せて口を閉じる。
「エースの弟を庇って腕を落としてきた」
そう言って背中を見せるように体を反転させたマルコの背を見たローはその姿が嫌に細く頼りないことに余計に顔を険しくさせた。長い金髪の女。自分の血で汚れているのだろう、煤も被ってみれた物ではないがあまり見ない色を見てローは思い出す。確かに、火拳がやられた時にそばにいた女がいた。映像電伝虫の電波をジャックして戦場を覗き見ていたハートの海賊団は、それを見て浮上を開始したのだ。船内から甲板に顔だけ出して様子を見ていた3人も、「あの時の!」と声を出す。
「誰だそいつは」
「なんでもエースの弟に恩があったとかで、見ての通り死にかけてるよい」
「クルーじゃなッキャブル!?」
唾を出して大声を上げたイワンコフの驚きもマルコはなんとなくわかった。特にルフィと2人戦場をかけていく様子はとても息が合っていて、ルフィも背中を預けているように見えたのだ。ハンコックは「誰じゃその女は」とギリギリと奥歯を噛み締めた。残念ながらハンコックはレイルスのマリンフォードでの行動を全くと言っていいほど見ていなかった。ルフィしか目に入っていなかったともいう。
ローは映像で見ていたことを思い出し、ニヤリと笑う。船員に提示された血液型のものはいないが医者の船、小柄な女1人に輸血する分なら問題なくストックがあった。
「血はある」
「……条件はなんだよい」
話が早くて助かる、ローは言葉を続ける。
「そいつもこの船に乗せる」
マルコはローの言葉を聞いて一考する。目的は読めないが、実際この船の奥にはジンベエもルフィもおり、オペが完了したと言っていた。圧倒的にローの立場の方が強いにも関わらず要求は弱い。弱いものの、マルコが1番提示されたくないものではあったのだから喰えない男だとローを一瞥した。
「なら俺も嬢ちゃんの容体が安定するまで同乗するが」
「構わねぇ、その代わり『力』は貸してもらうぞ」
「やめてよキャプテン〜!!不死鳥だよ!!俺殺されちゃうよ〜!」
クルーの悲痛な声を無視してマルコを見つめるローは多少聞き齧ったことのある不死鳥の力を思い出し、相手を眺める。こちらは気まぐれで救った命だが、向こうは違う。それも珍しいこの血液型は、場合によっては島に1人も同じ型を持つ人間がいないなんてこともザラにある。
「場合によるが飲むよい」
まあいいかとマルコは頷く。最悪怪我人3人を残して殺せばいいなんて思っていた。白ひげが絡まなければマルコは大概雑だというのは同じ隊の隊員の言である。その時、船内がざわつく。ペンギンにマルコを案内させようとしていたローは顔を顰めて背後に振り返る。一命を取り留めたばかりのジンベエが重い足取りでのっそりと歩いていた。ハートのクルーは全員それなりに医学の心得がある。だからこそ、ジンベエの容体も把握できており、声をかけて止めようとしているがそれを無視してジンベエはついに甲板へと出てしまう。
「ノースブルー……トラファルガー・ローじゃな」
「寝てろ、死ぬぞ」
それでも首を振って無理だというジンベエにメンタル的なものだろうと専門外なローは判断する。あの時気を失ったのはルフィの防衛本能、目が覚めたとしても現実を受け入れられない可能性があるルフィが起きるその前に、自分だけでもエースが死んだという事実を受け止めるというジンベエにイワンコフとハンコックは息を呑んだ。
「ジンベエ、」
「マルコ!無事であったか」
震えた声でマルコを呼ぶジンベエは目元にうっすらと涙を浮かべている。死の外科医という二つ名は伊達ではないらしい。ジンベエの処置を一瞥したマルコはローの言った言葉をもう一度繰り返す。
「寝てろよい」
マルコに言われては、ジンベエもすぐに無理だなんて言葉は言えない。マルコが船医であることをわかってるのもあるが、何よりエースのことで辛いのは、マルコだってそうだということを知っているからだ。エースは兄弟の中でマルコに1番懐いていた。彼らの言葉を聞いたハンコックはある決断を下す。船での治療には無理がある。
「彼らを、女ヶ島で匿おう」
投稿日:2022/0301
更新日:2022/0301