慈愛と峻厳の並ぶ丘
「自律神経失調症だ」
「……交感神経とかの機能が可笑しいやつであってる?」
知ってるなら話は早いな、とローはレイルスに顔を向ける。物資の調達に走る班と、船内にて周囲を警戒する班に分かれたハートの海賊団は、ついに目的の島に到着していた。しかしそれでもシャボンディ諸島の近海の島であることから警戒に越したことはない。顔が割れていないメンバーが揃いのつなぎを脱いで街へと向かい、残りは船内の清掃にあたらせている。ローもレイルスももちろん顔が出回っているため船内に残っている。レイルスとしてはここで降りても、と麦わらの船で思っていたようなことを思っていたのだが、その話をする前にローに船長室に連れて行かれて唐突に冒頭の宣告をされたのだった。
「交感神経と副交感神経のバランスが崩れて出る症状を総じてそういう」
「……」
「疲労感が溜まりやすい、眩暈、不眠、極度の末端の冷え、発汗不振」
「……代表的な症状?」
「今お前に出ている症状だ」
レイルスは顔を顰めた。いやそんなまさか。顔でそう語ったレイルスにローは呆れまじりにため息を吐く。
「お前はショートスリーパーだと思っているのかもしれないが、ただの不眠だ」
「んなバカな」
「寒がりでもねぇ、体温調節がなってねぇだけだ」
「いやいや」
「フラフラしてやがるのも貧血が原因じゃない、眩暈だ」
「……」
「まだいってやろうか」
「もういい……」
それでもレイルスは未だ納得ができていない。眠りが短いのはずっと前からだし、寒気を覚えるようなったのはこちらにきてからだ。それをローに告げれば余計に顔を険悪にされたためレイルスは思わず口をキュッと閉じた。下手なことをいえば殺すぞと顔が物語っていたためである。
「不眠はいつからだ」
「覚えてない……」
「……もともとあった失調症が悪化しただけか、なんで気がつかなかったバカなのか」
まさかそんな。馬鹿と言われても反論できないほど驚いたレイルスは顰めっ面で思考する。自律神経失調症は、確かストレスが原因によって引き起こされるものだ。レイルスとは無縁な単語である。心底不思議そうにレイルスは首を傾げた。ローはなんて厄介な患者だと内心で悪態をつく。自覚がなく自分を追い詰めているようだ。
生命維持に欠かせない機能である自律神経による体内管理は多岐に渡り、無意識下で行われるものだ。それが狂っているとなると体に支障をきたす。そのサインが出ていたにもかかわらずどうやら放置し続けていらしいと知ったローは自分のことを棚に上げてレイルスに呆れ返った。ペンギン曰くローも不眠、気怠さ、眩暈の症状が出ていたりする。全くもって人のことを言えない、医者の不養生を絵に描いたような男であった。
「血液量は戻った、代わりにこっちの薬を出す」
「……」
「生活習慣を正せ、夜は寝ろ、無理なら睡眠薬を打つ」
「こわ」
「なんか言ったか」
「いえ」
船を降りるなんて話は全くできそうにない。レイルスも空気を読んで口をつぐんだ。
「……なんだ」
毎回の検診のたび、レイルスは最後に何かいいたげにローを見上げる。その都度小骨でも刺さったような表情をして、結局首を横に振ってレイルスは席を立つ。そしてその背中をローが睨みつけるのも、恒例となっていた。
船長室から出てフラフラと廊下を進んでいたレイルスを見つけたシャチはその背中になんとなく覇気を感じられなくて声をかける。そしてローから伝えられた話を掻い摘んでぽつぽつと話すレイルスを見てこいつまじかと顔を引き攣らせた。
「気がついてなかったのか」
「え」
「いや、だってあんな長時間火の前にいて、あれだけの発汗っておかしいだろ」
「……」
「こんな暑い船の中で寒がってるし、いつまでもフラッフラしてるし」
う、と顔を覆ってしまったレイルスを面白そうにニヤニヤと見たシャチは、それにしても不眠もあったのかと内心では驚いていた。無断で行われるローによる不定期検診にどうやらレイルスは引っかかったらしい。あの医者はこちらのことなど何にも気にせずに思いついた時に艦内をスキャンして、クルーの体調を確認する。どうやらその度にレイルスは起きていたようだ。不眠はローもであるがもうシャチは突っ込むことを諦めている。ローは自覚して不摂生をよしとしていた。それを叱る役割はペンギンのものだ。
「というか、なんでそんな格好なの?」
「暑くて」
つなぎの上半身を腰に巻きつけたシャチは帽子も外して惜しげもなく上半身を晒していた。両手首の少し上の辺りに、ハングルの様にグルっと手首を一周する刺青が入っている。クルー曰く「脱いだら怖い」と評されているシャチの体はバキバキに鍛えられており、腹部には大きな傷跡がある。実はこのまえ入ってきたジャンバールを除くとクルーの中で一番筋肉量があることをローだけが把握していた。ローは心の中でシャチをゴリラと呼んでいたこともある。いくら鍛えても細身は変わらなかったローの恨みも混ざっている悪意ある呼び名だった。
「あつ、い……」
暑いの?とレイルスが途端に不安げな顔をしたものだからシャチは吹き出した。大抵は腹部の傷口についてとやかく言われるのだが、目に入っただろうにレイルスは何も言わない。ちなみに聞かれればシャチは武勇伝の如く嘘の話をするのだが。それを知っているのは金で買われた島の女だけである。船の連中は誰も人の傷痕について不用意にどうしたなんて聞いたりしないので、真実を知っているのはローとペンギン、ベポだけである。シャチは先日ペンギンが薄らとその話をレイルスにしたことを知らない。もっともシャチの話は全く出ていないのでレイルスもペンギンの腕爆破事件と同じ原因で負った傷だとは知る由はないのだが。
「ここは涼しいくらいだって、さっきまでボイラー室掃除してたから俺はアチーの」
それにしても、とシャチはそっとサングラス越しにレイルスを盗み見る。そんなに長いことストレスにさらされており、それを自覚できていないというのは結構問題じゃないだろうか。話していてさっぱりしている性格をしているのもわかっているからこそ、そんなでかいストレスを抱えているようにも見えないレイルスにシャチは内心で首を傾げた。腕のことだろうか、でも不眠は前からだと言っていたしな。ううんとシャチは唸った。
「温度計首からぶら下げようかな」
「まじで?面白すぎるからやってほしいんだけど」
まあその辺りはキャプテンがなんとかするか。大雑把シャチ、こんなところでもその性格は遺憾なく発揮されていた。
投稿日:2022/0312
更新日:2022/0312