頭上のヨルムンガンド

「人生の先輩として一つだけ忠告しておくわ」
 サンドウィッチが売りのカフェにて、テーブルに視線を落としながら女が呟いた。店主がこだわって選んでいるという紅茶の茶葉の香りと、香ばしい小麦の香りが店内の空気をより穏やかなものにしている。雑音混じりのラジオが歌うのは、13年も前にヒットしたグループのジャズ。
 渋めに入れられたアールグレイに、ミルクを落とす。ティースプーンをくるりと回した女は、普段は鋭くしている瞳をやんわりと細めた。猛禽類を思わせるキリリとした瞳ではあるが、それでもやはり心根が優しいのであろう、軍服を脱ぐととても軍人には見えない。唇に薄く乗せられたコーラルが、ほんのりとカップの淵に移った。カフェの隣にある花屋で、男が店員に煽てられてノースポールの小振りな花束を買わされている声がうっすらと風に乗ってくる。
「体に錬成陣なんて残さない方がいい……家族が悲しむだろうから、やめなさい」







 2年の時を経て再集結した麦わらの一味は集合場所にいなかった1人のことをふとしたときに思い出す。どうやら1年ほど前にシャボンディ諸島に先につき、シャッキーに伝言を残したらしいレイルスはまた会ったらとだけ告げてレイリーのビブルカードを今度こそ置いていったそうだ。シャッキーに会う時間がなかったためクルーからそれを聞かされたルフィはなんとも言えない顔をした。
 サニー号の医務室にはレイルスが置いていった贈り物らしきものまであり、ウソップとチョッパーがまさか本気でこのまま会うつもりがないのか、と涙ぐんだ。その疑いに関しては、直接手渡しで品を受け取っていたサンジによって解けたのだが、そう思ってしまってもしょうがないほどのタイミングの悪さだった。徐々にレイルスとの縁が薄くなっているのを一味全員が感じ取って、焦燥感に似たざわつきを個々の中に潜ませる。これだけの恩があるのに、当の本人は無事な姿すら見せてくれないなんて。サンジ以外のクルーは贈り物を使うことなく、また会う日まで大切にしまい込むことを決めた。ひとり、欠けているようなそんな感覚。もう麦わらの一味の中でレイルスはそんな存在だった。
「4億5000万ベリー……くそ!一気に10億になれ俺〜!!」
 辿り着いた魚人島でそんなことをルフィが叫びながら敵をぶっ飛ばしていたのを知っているものはいないが、誰よりもそのことを悔しく思っているのがルフィであることはクルーもわかっていた。マリンフォードでのことも多少聞き、誰もが口に出すことはしなかったもののひどくレイルスのことを心配していた。

 しかし、まさか上陸したパンクハザードでルフィを助け、レイルスを連れ去ったという七武海に会うなど誰も思ってもいなかった。クルー全員がルフィを助けてくれた感謝を伝え、次にレイルスの居場所を詰め寄ってローに聞いた。海賊同盟のことをそっちのけでレイルスのことを聞かれたローはこいつら大丈夫かと少し怖くなった。打ち合わせでもしていたのかと思うくらいに、二言目には綺麗に「レイルスは無事か?」の言葉である。しかし人のクルーのことを馬鹿にできないくらい、ハートのクルーもレイルスに対して過保護気味であるということをローは自覚してない。実際ローもルフィが真っ先にレイルスのことを聞いてきたため問わなかっただけで、聞かれなければレイルスのことを知らないかと麦わらの一味に聞いていただろう。
「……ついこの間まで一緒に行動していた」
 ローが七武海に入ったことでこれまでかけられていた懸賞金はリセットとなった。ギリギリ、七武海入り直前の額が4億4000万ベリーだったためレイルスの懸賞金に惜しくも届かなかった。レイルスは基本船の中で待機、壊れたものの修繕に回し戦闘には出るなと口を酸っぱくして言い聞かせていたため目立つこともなく懸賞金の更新はかかっていない。以前から外堀を埋めてしまえとペンギンがレイルスを見せびらかす案を提唱しており、それで額が上がったら本末転倒だと一蹴していたローだったが、麦わらの一味に知らしめるには良かったかもしれないと今更ながら少し後悔した。世間はレイルスが未だにハートの海賊団と共に行動をしている事すら知らないため、レイルスは半ば生死不明の亡霊となっていた。
「ほんとか!どこだ!この島にはいねぇのか!!」
「仲間はゾウに向かったと言ったはずだ」
「じゃあレイルスもそこにいんのか!」
「……」
 ローは返事をしなかった。確かにローのクルーは全員ベポの故郷であるゾウに向かわせたが、レイルスはその前にとある事件があり船から離脱している。それを思うとローの顔は自然と険しくなった。真正面からそれを見てしまったウソップが声にならない悲鳴を上げた。七武海の険悪な顔が怖すぎる。
 しかし兎にも角にも彼女は無事らしい。レイルスの安否を聞いてルフィはこの2年ずっと抱えていた錘を少し下ろせたような心地を感じていた。レイルスは無断でルフィの前から消えたことを反省するべきである。実際ルフィは頂上戦争から1年ほど、エースを殺される夢とレイルスの腕が焼け落ちる夢を何度か見て飛び起きていたほどである。
「俺は単独行動中だ、言ったろ」
「レイルスは俺の仲間なんだ、ありがとうな!」
「あ?俺のクルーだ」
「あ?」
 どちらのクルーでもないというのが正解である。途端に陰険に睨み合い始めた2人に周りはヒィと慌てた。ローの能力のせいでサンジの体の中に精神を入れられたナミはクスンと鼻を鳴らした。サンジとゾロがいなくて良かったような心許ないような。確実にサンジは暴れていただろうことを思うとなんとも言えない。ナミはレイルスがマリンフォードで戦っていたということを聞き恐らく一味の誰よりも動揺していた。無茶をするのは知っていた、自分が盾になるような行動も知っていた。だけどまさかそんなことになるとは、なんて目の前が真っ暗になったのを今でも覚えている。ルフィのこと、レイルスのこと2人を思うと悔しさと不甲斐なさでがむしゃらにならざるを得なかった。
 麦わらの一味の誰もがそうだった。シャボンディであんな別れ方をしたこともそうだし、まさかマリンフォードでルフィと共に暴れるなどとお人好しにも程があるレイルスの無茶のせいで心労ばかりが募っていた。レイリーから姓についても聞かされたが、それも本人の口から聞きたいと一味の誰も納得できていない。レイルスに聞きたいこと、言いたいことがたくさんあった。
「早くあいてぇなぁ!」
 ルフィの言葉に誰もが同意をしたのだった。ローも含めて。


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投稿日:2022/0315
  更新日:2022/0315