ペンタクルに祝祷


「そっちじゃない!」
「早く言え!」
 時折道を戻ろうとするゾロを引き止めながら、足を進めていたレイルスとゾロだったが、目視できるほどにガスが迫って来ていることに気がつき廊下を走って進む羽目になっていた。地下にいたせいで気がついていないのだが、ローが能力で建物を真っ二つに切ってしまったため、ガスが先ほど以上に侵入してきているのだ。
 レイルスは自分の状態があまりよろしくないことを把握していた。どうも視界が曇ると思っていたのだが、ガスマスクの曇りではないようで、何やら呼吸も苦しい。いくら呼吸をしても酸素が回っていないようであると客観的に判断を下し、毒ガスが体内に回ってきたらしいと推察する。そんな中で走れば、余計に酸素不足になるというもの、レイルスは呆気なく足を止めてしまう。
「おい!何やってんだ!」
「っハ、ハ……ゴホ」
「どいつもこいつも世話の焼ける……!!」
 R棟への道を何度も間違えながらも、ゾロはレイルスを抱えて全力で走り続けた。レイルスは意識こそ失わなかったものの、朦朧とする意識の中、あいも変わらずこういうところで手を差し伸べるゾロに、変わっていないななんて思わず笑ってしまう。突如胸を押え粗い呼吸となった女にゾロは不審な顔をするも、後ろにガスが迫ってきているとなれば選択肢はないに等しく、たしぎの時のように問答無用で抱え上げて荷物よろしく搬送を始めた。
 マスクの中で嫌な咳をする女を一瞥しながら、道を間違えてはぐれたゾロを何度も探しに戻ってきた女に呆れてため息が漏れた。随分殊勝な精神だが、それで自分の身を滅ぼすのであればただの無謀だ。見ず知らずの海賊に対して身を削る女にゾロはそんな感想を抱いた。レイルスは段々と細くなってくる呼吸の中、どうして一本道で来た道を戻ろうとするのか取り留めなく考え続けていた。ものすごい勢いで逆走をし始めるゾロを見てレイルスは神経を疑ったし、なんならわざとなのかと思ったほどである。残念なことにゾロは真剣だ。
「あ?ありゃブルックか!」
 ゾロが驚きの声をあげる。ゾロの前方ではガスによって固まってしまった錦えもんを抱え上げて走っているブルックと、そのさらに前方にチョッパーと海兵が、キャンディーの影響で急遽応急処置が必要になった子供のモチャを抱えて走っていた。
 ゾロの声を聞いたレイルスもなんとか首を捻って前方を見ようとしたが、人影らしきものは何も見えない。ゾロの見聞色があったからこそ気がついたというのもあるが、それを知らないレイルスからすれば目の良すぎるゾロにまるで獣だな、なんて感想を抱いてしまった。
「邪魔だなこれ!」
 ガシャンと音を立ててレイルスの視界で一度跳ねたのは、今までゾロがつけていたガスマスク。ゾロにしてはもった方であるがレイルスからすればゾロの無鉄砲さに声も出ないほど呆れた。そうは言っても、もうレイルスのガスマスクもとっくの昔にガスマスクとしての役割を果たせなくなっているのだが。レイルスがこの建物内に入ってから、有に2時間は経過していた。
 ふう、と息を吐き出したレイルスはゾロの背中に手をついて、グッと上体を起こす。ゾロは背中に触れた軽い圧に一瞬振り返って女が身を起こしているのを見た。同時に距離感が掴みにくいほどの質量を持って毒ガスが背後に迫っているのも目に入る。「ヤッベ」ゾロはさらに足を早く動かした。
 レイルスはなんとかゾロの背中から右手を浮かせ、毒ガスを一瞥する。そのまま右手を伸ばしたレイルスは空気中の水分をかき集め、水滴を発生させていく。群がるように水滴が付着した地面へ集まるガスもあったが、間に合わないほどのガスの量にレイルスは顔を顰めた。コートの中に海水を入れた瓶もあるが、取り出せる体勢ではない。道を塞ぐという手もあるが、一瞬で塞げるものではないため、細くなった場所から今以上のスピードでガスが迫ってくる可能性が否めないせいでそれも実行しにくい。
「おい今何した!」
 ゾロは突如背後で発生した雷鳴に近い音におやと思いながらも、振り返ることはせずに声をあげる。ナミの武器のせいか、麦わらの一味には割と慣れ親しんだ音。しかし近くにナミの気配もない、背中の女が何かをした気配もあった。殺気こそ感じなかったが余計な真似をされてはたまったものではないとゾロは舌打ちを漏らす。
 そんなゾロの剣幕にも全く尻込みせず、レイルスはバチバチと錬成を続ける。幸いなことに島の性質上なのか、湿度は常に高い。
「ああ!?クッソまた締め出された!」
 ゾロの前方では、ギリギリ、ブルックが閉まり始めた扉の隙間を縫うように飛び込んだのが見えた。こうなるとゾロの取る行動は一つである。
「二刀流」
 刀を片方抜きとり、それを徐に咥える。そして片手でもう一本。口と右手による二刀流。左手はレイルスを落とさないようがっしりと腰を抱えているためこんな形にはなったが、ゾロには関係ない。
「『七十二煩悩鳳』!!」
 飛ぶ斬撃は、真っ直ぐに重厚なゲートへと向かっていく。レイルスはゾロのセリフにまさかと前を向いて、斬撃がピッタリとしまっているゲートを一部破壊したのを見た。レイルスがこの研究所の入り口で見た、ゲート破壊再びである。その時にはレイルスの耳にも、ゲートの向こうから人の悲鳴が聞こえてきて、思わずゾロの上で頭を抱えた。飛び込むようにしてゲートを抜けたゾロに一味が歓声をあげるも、G5やシーザーの部下たちはたまったものではない。阿鼻叫喚と言ってもいいほどに取り乱し、毒ガスがまた襲ってくるとこぞってトロッコに群がった。
 トン、軽い音を立ててゾロの太ももを蹴り上げたレイルスはそのまま空へと躍り出る。前傾になって走っていたゾロは、上げていた右脚に軽い重さを感じてそのまま流れるようにレイルスの腰に回していた手を緩めてやった。空中で一回転したレイルスはそのままゲート前に着地し、バン!と音が出るほどの勢いで地面に右手を押し付けた。
 バチバチ!という音とともに、ゲートの穴がみるみる塞がれていく。眩い光に目を細めた数名、あの時の兄ちゃん!と感動の声をあげるもの多数、何事だと身構え怯えるもの数名。目を見開いてレイルスの後ろ姿を凝視する男、2名。どおん、レイルスの手のひらに鈍い振動が伝わる。ガスがゲートに衝突した音だ。しばらくし、錬成の光が収まってレイルスが一歩ゲートから離れて全貌を見渡しても、どこからもガスが漏れている様子は見られなかった。ほっと、レイルスの肩から力が抜ける。静寂の中誰よりも真っ先に声を上げたのは、ルフィだった。
「ゾロ!そいつ!!捕まえろ!!」
 ルフィの声はただでさえ通るものだ。それが大声を上げて、必死の形相。一歩出遅れたローはチッと舌打ちをこぼす。ゾロが不思議そうにしながらもレイルスの右腕をがっしりと捕まえた。驚いたのはレイルスである。捕まえろなんてルフィが言いそうにないセリフに、何かしただろうかと首を傾げる。
「レイルス!!」
「……は?」
 突き抜けるような、真っ直ぐな声。レイルスは貫かれたような感覚を覚えるほど、その声は直向きで混じり気がなかった。初めてルフィに名を呼ばれたレイルスは、驚きで反応をしてしまう。振り返れば、ルフィがキラキラとした笑顔でレイルスを見ていた。なぜその名前がここで出るのだ、と不思議に思うクルーと、覚えられていたのかとまた驚くレイルス。マスク越しに目が合ったと確信したルフィは笑みを深めた。ゾロが油を刺し忘れた機械のような動きで、自分の手で捕まえた女を見下ろした。まさか、いやそんな。たらりとゾロの額から汗が流れた。
「『シャンブルズ』」
 見かねたローが手元にあった瓦礫と、レイルスがつけっぱなしにしていたガスマスクを取り替える。反動で、かぶっていたフードまでずるりと後ろにさがり、レイルスの顔が、頭が露わになる。冷気にさらされたレイルスが驚いてぱち、と音が出そうなほどその特徴的な瞳を瞬かせた。ローの能力でレイルスの眼前に現れた瓦礫がからん、と地面に落下した。その場にいる全ての視線がレイルスへと集まる。ヘラ、力なくレイルスが笑った。
「あ、ははは……どうも」
「は、はぁ〜!?」
 ルフィとロー、子供達を除くほとんど全員が各々様々な感情のもと悲鳴を上げた。


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投稿日:2022/0327
  更新日:2022/0327