晦冥たるステージ
未だに足をルフィに取られたままのレイルスはローの能力で船外に出されはしたものの、木箱の上から動けずにいた。宴の場所から少し離れたその位置は考え事をするにはよさそうな場所ではある。ついでに言うとおそらくローのサークルが簡単に展開できる範囲内でもあるだろう。レイルスも一年と少し一緒に過ごしたため、誰に説明されなくてもローの能力についてわかる部分もできていた。
「鉱《あらがね》レイルス・エルリックか」
声をかけられたレイルスが振り返れば、葉巻を2本咥えた大柄な男。鋭い眼光と屈強な体付きに大抵の女は怖がるものだが、全くそんな様子を見せないレイルスにスモーカーはピクリと片眉をあげる。
「そうだけど、どちらさん?」
スモーカーは手配書の面影が残る女を見て、そして頂上戦争の時に遠目に見た金髪を思い出して苦い顔をした。あの手配書で成長したこの女を見つけ出すのはだいぶ苦労するだろう。特に色が鮮明でない手配書ではなおのこと。どうして政府はあんな使えない手配書を使い続けているのかと内心で呆れていた。
「スモーカーだ」
舌打ちとともにスモーカーはどかりと腰を近くの氷の塊に下ろす。コートの代わりの毛布でぐるぐる巻きにされているレイルスを見るに色々と欠けている。腕は頂上戦争の時、足は先ほどローが切っていたのを目撃していたスモーカーは、こちらを海兵だと分かっているだろうにあまり警戒心のないレイルスに少し苦い顔をした。抵抗など一切できない状態だろうにこうも無防備でいられるのは居心地が悪い。なんなら毛布の下は上半身裸なんて状態だがスモーカーも流石にそれは見抜けなかった。
実際レイルスに手を出せば、宴の最中こちらの様子を伺っている麦わらの一味が飛んでくるだろうが、レイルス本人はスモーカーに対して嫌悪の感情すら抱いていないようだった。
「ああ、白煙の」
レイルスの口からスモーカー自身を知っているような言葉が出てきたことで、スモーカーは選んでいた言葉を引っ込める。たしぎや部下から聞かされていた、海兵を助けた隻腕の人物。レイルスのおかげで海軍の死者はゼロ。ヴェルゴにやられた部下が一番重症だが、それも麦わらの一味が拾ったおかげで命に別状はない。アラバスタの時といい、スモーカーは再び苦渋を飲まされる結果となったのだった。
「青雉から聞いてたんだ」
「は?」
しかし、まさかの名前にスモーカーの顔が歪む。堅気には見えないその表情にレイルスはあははと笑った。青雉がいう通り本当に怖い顔だったので。
「元気そうだったよ、あったの半年前だけど」
「……」
青雉に対してはスモーカーも言及がしにくい。青雉が何か悪事を働いたわけでもない。それなのにも関わらず、海軍も世界政府も、青雉が軍を抜けるとなった途端に手のひらを返すようにして懸賞金をその首にかけた。サカヅキの正義と合わないから。それだけの理由だったはずがこんなことになってしまったことにスモーカーも当時は苦い思いをしたことを思い出す。実際今は、その懸賞金の額に相応しいほどの黒い噂が絶えないのだが。
「そうだ、伝言」
「なんだ」
「『近いうちに』だって」
なんだそれは。思わずスモーカーは葉巻を落としかけた。そしてその言葉の意味を理解して手のひらで頭を押さえる。典型的な頭が痛いポーズにレイルスは少しだけ笑った。青雉が言っていた通り、稀に見るいい海兵、らしい。実際スモーカーは一度たりともレイルスに敵意をぶつけてこなかった。
「軍部にいると流されがちになるだろうに、しっかりした人だ」
「何がいいたい」
軍の中にいると情報の波に攫われそうになることがある。何を信じ、何を疑うべきなのか。簡単に情報を操作してしまう権力を持っているからこそ、その真偽に踊らされてしまうのだ。中にいても外にいてもそれは変わらない。だが、中にいるからこそ見えるものももちろんあって、楽ではないがその波に争えば真実が見えてくることもある。レイルスはそれをよく知っていた。世渡りはあまり得意には見えないものの、スモーカーはそういった芯はしっかり持っているようである。
「黒といえば黒、そんな海兵しか今まで見てこなかったんで、ちゃんとした人もいるもんだなって」
「テメェが白だとでもいいたいのか」
「いや別に、ただ青雉は黒ではなかったでしょうとは思うよ……話した所感だから実際はとんでもない悪人なのかもしれないけど」
それを言われるとスモーカーも閉口してしまう。
「善悪の定義なんて人それぞれだ、けれどそれをある程度の基準で揃えないと世の中無法地帯ばっかりになる。だからこその『正義』で『犠牲』だろうし」
「……犠牲?」
「多かれ少なかれ見ないふりをしている部分はあるでしょ、シャボンディ諸島で人買いが横行してたのを放置してたのは海軍だ」
スモーカーは澄んだ空気の中、恐ろしいほどまっすぐと前を見つめる黄金色の瞳と向き合った。スモーカーも噂では聞いたことがあるが、天竜人がこぞって奴隷を要求するために軍としてもあの島のヒューマンショップには手を出せないのだという。自体はもっと悪く、店から上納金を受け取ることで海軍も口を出さないような利害関係が生まれてしまっているのだがスモーカーはそこまでのことを知らなかった。
「犠牲が出ないと正義は執行できない、それを回避するために絶対的に海賊は悪とするのであればそれはそれでいいと思うし……ただそれでいて世の治安を盾にして戦争起こして、目の前の島の惨状は無視っていうのは筋違いだとは思ったよ……あれだけ立派なヒューマンショップが乱立していれば、犠牲は充分でてる」
スモーカーは何もいえなかった。普段であれば海賊風情が正義を語るなと怒鳴るところではあるが、レイルスはこの島の中でおそらく、最も義を持って命を尊び動いていたのだ。己の身すら削ってのその行動はまさしく民衆が願っている正義なのであろう。事実、あの荒くれ者の集団が大人しくレイルスに感謝の言葉と、なんとか見逃してくれなんて海兵としてはあってはならないような発言すらしてきたのだから、それほどまでにまっすぐな心意気であったこともうかがえた。後悔は全くしていないが、落とし前をつけるためにヴェルゴの命を刈り取りに行った自分ではレイルスに対して言い返す言葉が出なかった。あの時スモーカーはレイルスが言うところの犠牲、拉致されてきていた子供すらも後回しにし、己の正義を優先した。知らず、スモーカーの歯が葉巻に食い込む。
そんなスモーカーの様子を見て、レイルスはふとその赤褐色の瞳に気がつく。白髪に、その目の色。同じ色でも、こうも違うものなのだなと思わずその目を凝視した。
そしてスモーカーが何か言葉を出そうと口を開いたタイミングで、ナミの「レイルスー!!ちょっと来なさいーー!!」という怒鳴り声が響いたのだった。それまでしゃんとした空気を纏っていたレイルスは間抜けにも「ヒ」と声を上げた。
投稿日:2022/0401
更新日:2022/0401