チェンジング
「水瀬ちゃんこれってキッチン?」萩原は、水瀬の急な引越しの手伝いに自ら志願した。珍しく平日に時間休をとっていた水瀬にまさか怪我でも悪化したのかと慌てて本人に確認したところ引越しするのだと知り、偶然にも非番だったため嬉々として名乗りを上げたのだ。寝室から顔を出した水瀬は未だ申し訳なさそうな顔をしている。
「はい、すみませんこんな……」
「何言ってんの、怪我までさせちゃったんだからもっと奴隷のごとく使ってくれていいんだって」
いやそれは。咄嗟に否定の言葉を吐く水瀬に萩原は笑って食器を包む新聞紙を剥ぎ取る。怪我している腕で1人で梱包したんだろうか、そう思うとやるせない。もっと早く気がつくべきだったと大いに反省し、しかしそれを表情に出すことなく萩原は手を動かした。仕事中はスーツに白衣という格好をしている水瀬だが今はラフな格好だ。いい脚してるのに基本ズボンなんだよな、と下世話なことを萩原が思っているとも知らず、水瀬はせっせと衣類をしまっていく。
「水瀬ちゃん、晩飯何食いたい?」
「へ!?」
「冷蔵庫空っぽだし外食っしょ?一緒にどう?」
段ボールを潰しながら再びキッチンが見える位置に顔を出すと、萩原もちょうど食器の入っていた段ボールを畳んでいるところに遭遇した。ふわふわとした笑顔の萩原は、精神科医から見ても内面が読み取りにくい。水瀬は萩原が面談時わかりやすいように言葉を飾らないようにしてくれているのだということを改めて痛感していた。
「よ、よろしければ……あ、奢りま」
「こらこら、先輩に奢ろうとするなんて生意気な後輩ちゃんか?」
ふざけるように頭にぺしりと大きな手をぶつけられてぽかんとする。どうやら今日はDom寄りらしいと職業病のように水瀬は判断した。
「手伝っていただいたお礼なので」
「はいはい、いい子だから先輩をたてましょうね〜」
なんて卑怯な。水瀬はグッと唸った。
新しい自宅は、警視庁から程近く乗り継ぎなしで地下鉄で通勤できる場所。駅からも近く、すぐ近くにスーパーもある。セキュリティも前よりずっとしっかりしておりインターホンには以前なかった訪問者の顔を写すモニターが付いている。これがなかったために玄関を開けてしまい犯人を招き入れたのだから当然とも言えた。部屋の数こそ前と変わらないが、少し広くキッチンが充実している。風呂場も足を伸ばせる広さで条件が良すぎて事故物件を疑ったほどだ。この条件でなんでこの家賃?しかしいくら水瀬が調べても事故物件だという情報はない。不思議に思いながらも、降谷から勧められた中にあった物件のためそのまま内見、決定といたった。まさかマンションの所有者自体、公安の息のかかったものだとは水瀬も思ってもいない。
「そういやこの辺陣平ちゃん住んでるわ、今日もう帰ってっかな」
じんぺーちゃん、どなた。松田に直結させられなかった水瀬は内心首を傾げながら、スマホを弄る萩原を見上げる。こうして横に並ぶとその背の高さに目がいってしまう。普段はあの個室でしか対面しないが、外で見る萩原は新鮮だな、と水瀬はぼんやりそんなことを思った。
「もう1人来てもいい?」
「ど、どうぞ」
拒否などない、ぶんぶんと首を縦に振る水瀬に笑いながらついでのようにぽんぽんと頭を叩かれる。DomであろうがSubであろうが、萩原は基本的に接触を好む。Switchの性質は、その時の本人の心境に左右されて変動する。周囲のダイナミクスに左右されることはほとんどない。あったとしても、信頼のおけるパートナーの前でスイッチをするときぐらいだ。その名の通り、DomとSubを任意のタイミングで切り替える。相当の信頼関係がなければ不可能で、1人では絶対にできないダイナミクスの変動。いっそ神秘であると水瀬は考えている。
だが、あまりにも劣悪な事故現場や強いDomによるGlare放出などを受けることによって精神が揺らぐこともないわけではない。その時Subにメンタルが傾いていればサブドロップしてしまうこともあるし、Domに傾いていれば対抗してダイナミクスが興奮状態となってしまうこともある。ただ、その比率は純粋なDom、Subの人間とは雲泥の差でやはりSwitchのダイナミクスをもつ人間は、周囲の見知らぬ人間に与えられる影響はとても少ない。そのためSwitchの面談を行う精神科医に最ももとめられるのは信頼関係の構築だったりする。懐が深そうに見える萩原だが、病院で別の精神科医にかかっていたときは尽く相性が合わなかったというのだから引いている境界線は案外堅牢なのだろう。水瀬は萩原の信頼を得ているとは思っていない。偶然にも萩原が抱えている爆弾事件の被害者であると言う立ち位置がそうさせていると認識している。
事実、萩原はどのような混乱した現場であっても自身で思うところさえなければ特段後に引く素振りは見せないタイプだった。Glare耐性も高く、他人のダイナミクスによって己を揺さぶられない屈強な精神を有している。逆に言えば例の爆弾事件がそこまで萩原の奥深くに根付き精神を侵しているということでもある。今回の再犯に当たって萩原のダイナミクスが荒れていないかどうか水瀬はかなり慎重に観察をしていたが、今のところ大きな乱れは見られていない。
水瀬の自宅から徒歩5分程度、かなり近い場所の居酒屋に前にもじんぺーちゃんと来たことがあるのだと萩原は笑う。居酒屋特有のガヤガヤとした空気はあるものの、半個室となった作りのテーブルは暖簾で一つずつ区切られており、どこにいても目を引く松田と萩原にとっては落ちつける空間だった。ついでに連絡の取れない同期2人もここなら来れるだろうと、そういう目線で店を探すことが多かったため萩原と松田、伊達の見つけてくる居酒屋の空気は似たり寄ったりのものとなっていた。
「あいつも今日もう上がって家にいたみたいよ、すぐ来るって〜」
水を刺すのはもうしわけないと思いながらも、本人が来てから問うのも失礼だろうとビールを3つ頼んだ萩原に水瀬は恐る恐る問いかけた。ちなみにビールは水瀬の許可なく頼まれたが、以前面談時に居酒屋で何を飲むか等話したことを萩原が覚えていたための行動である。
「あの、これから来る方って……」
「あれ?え、あいつもしかして水瀬ちゃんのお見舞いいかなかったの?」
水瀬の足りない言葉で察したのだろう、萩原がギョッとした声をあげる。萩原も降谷同様、水瀬は観覧車で終始気絶したままだったと誤認していた。以前松田からD課の面談について愚痴を零され水瀬のことを話していたため松田の方は水瀬を認識しているのは確実。うそ、あいつあの成りで忘れられてんの?萩原は吹き出しそうになるのを必死に耐えた。観覧車で一緒に死にかけ面談が取り付けられないと文句を零していたのを思えばこの笑いもしょうがないものと言えよう。
愛想さえ悪いものの見目の良い松田は学生時代からひっそりと人気があったし、萩原自身も松田と同じく同学年で自分たちの名前と顔を一致させていないものはいないだろうと自負していた。警視庁に配属となってからも爆発物処理班のWエースとして相当職場を騒がせていた自覚もあった。それが、まさか珍しく松田から話題に出すほどの人間から認識されていないとは。萩原は笑うのを必死に耐えた。
そんな萩原の内心などつゆ知らず、水瀬は困ったように苦笑した。面談室で起こったことを潔癖なまでに話さないために起きている状態だろうと薄らと察したからだ。松田、萩原との関わりが事件以外では面談室の中のみだったため、萩原に松田のことを話したこともなければ、逆もなかったため2人が古くからの知人であるなど思ってもいなかった。担当している誰かだろうとは理解していたが、セーター姿で現れた松田に水瀬は「ええ」と素直に驚いた。知り合いも知り合い、タイムリーに先日の事件からお世話になりっぱなしの刑事が現れるなど思ってもいなかった水瀬は萩原と松田を何度も見比べる。
「お知り合いだったんですね……」
「なぁんだ、俺の呼び方と松田がイコールにならなかっただけかぁ」
「お前の薄寒い呼び方のせいで俺はよくある、反省しろ」
ちゃん付けされるキャラではないのも相まっているのを松田はしっかり理解していたが幼少期からの呼び名である。今更変えろと言う気もない松田だが、せめて松田がいない場所でくらい気を使えとは思う。驚いた水瀬のセリフにすぐに事態を察したのも長年の付き合いのたわものである。
「もう怪我いいのか」
「おかげさまで、ありがとうございます」
多少お叱りは受けたが、水瀬の置かれていた状況と爆弾の制限時間、実際被害なしで終わったことから厳重注意として松田は始末書を書かされた。許可を出した目暮の方が罰を受けていたくらいだったため多少の罪悪感もあった松田はこれまでで一番早く始末書を書き上げ、目暮に頭を下げた。それを「君らが無事でよかった」の一言で済ませるのだから、目暮の人柄の良さを痛感させられた松田は、強行犯でしっかりと学ぼうと決意を新たにしたのだった。事件はまだ解決していない、早くて一年後。それまでにできることは全てやる。あれだけの数の刑事が現場に急行したというのに犯人を見つけることすら叶わなかったのだ。
「本当、二度とやめてほしいね」
「わかったろ、お前が4年前俺にしたことだ」
「それを言われると何も言い返せないんだよなぁ〜!」
うう、とわざとらしくうなだれ、水瀬の肩に寄りかかってみせた萩原に松田はじとっとした目を向ける。セクハラだぞそれ。
「でも、4年前から接点あったのにこうやって3人で会うの初めてなの面白いね」
「おも……」
「面白かないだろ」
水瀬が詰まった言葉を松田が引き継いだ。
「だって水瀬ちゃんは俺と陣平ちゃんが大親友ってことも今日まで知らなかったんだろ?」
「おっえ、ヤベェ吐きそう」
胸糞悪い表現するなと松田が舌を出した。交互に2人を見やる水瀬は本当に気心知れた仲らしいと知る。どちらも、見たことのない緩やかな空気と表情だ。水瀬は松田の表情がこんなに動くのを初めてみた。
「小学校からの付き合いだしなぁ」
「そんなに長いんですか!?え……10年以上?」
「なんなら中学高校、大学の学部……そんでもって警察学校でも同じ班」
「いっそ呪いの腐れ縁だ」
焼き鳥を串から歯で引き抜いた松田がげっそりとした表情でいう。それで職場まで同じとは。しかも最初の所属すら一緒とは。素直に感嘆の声を上げた水瀬の皿に萩原は唐揚げを勝手に乗せた。
「いいですね、なんか」
「そうでしょ」
「はい、羨ましいです」
上機嫌な萩原は無垢なほど純粋にいいなと告げた水瀬の頭をウリウリと撫でる。四角いテーブルの一番奥、コの字型のソファーに松田と水瀬が萩原を挟んで座る形のため松田は斜め前にある萩原の足で蹴って戒めてやった。セクハラだっての。
「引っ越した後もしばらくは護衛はつくけど、気晴らしだったらいくらでも付き合うから呼んでね〜陣平ちゃんなんてご近所だし」
「あ?近所?」
そういえばなぜこの駅で飲んでいたのかと今更ながらの問いかけをすれば、なんと水瀬の新居がこの最寄りとなったらしいと知り松田はそうかと頷いた。ふーん、そうか。なるほど近所か。
「ほれ」
「え?」
「連絡先」
ん、とスマホとガラケーを取り出した松田は反対の手を水瀬へとのばす。おろ、とした水瀬は結局スマホのロックを解除して松田へと差し出した。すでに萩原は連絡先を知っているため絡むことはしない。手早く自身の携帯へ連絡先を打ち込みメールと着歴を水瀬のスマホへ残す。連絡ツールのアプリも入っていたためそちらも勝手に友達申請を行い水瀬のスマホを返却した。
「通知いってるやつは全部スマホ、メールにガラケーの方の番号とアドレス入れてあるからそっちも登録しとけ」
「あ、あの普段連絡はどっちに……」
「私用なら申請したLINEでいい、仕事の至急はガラケー」
「は!?ちょっと陣平ちゃん手が早くない!?俺もLINE教えて!!」
萩原が割り込むようにスマホを取り出した。誰よりも手が速い萩原には言われたくない言葉に松田は無言で萩原が頼んでいたつくねを掻っ攫った。
投稿日:2022/0628
更新日:2022/0628