チェンジング

 水瀬に渡されたマインドコントロールに関する書物は松田にとってあまり役に立たなかった。心の持ち方、考え方、物事の捉え方。のめり込めばいっそ宗教的に思えてしまうと考えてしまった時点で松田が本から得られるものは何一つなかった。
「向いてねぇわ」
「そうでしたか」
 貸されたものは全て目を通したが、なんのためにもならなかったとはっきりと告げる松田に水瀬も笑ってしまう。すでに松田ほど芯を持っている人間からすれば、新たに思考回路を制御しろと見知らぬ著者に指示されることは苦痛でしかなかったのだろうと水瀬も返された本を受け取る。「ダイナミクスにおける自己抑止」、「コントロールはメンタルから」など、確かにタイトルは一般の本屋にあっても隅の本棚の上層部に置かれるだろうラインナップ。学会ではそれなりに有名な教授が書いている本のため中身はしっかりとしており一般向けにわかりやすくマインドコントロールについて解説されているが松田には合わなかったようだと水瀬は本をデスクの上に乗せた。
「とりあえず、お前と入り口が違うっていうのは理解した」
 一瞬水瀬の動きが止まる。
「DomとSwitchだとコントロール方法が根本違うんならそりゃそうなるな」
「……そうなんです、ダイナミクスによって方法が異なるので……一応精神科医の免許を持つ私たちは他のダイナミクスを持つ方への指導方法を把握していますが、個人によって合う合わないもありますので」
「じゃあ俺にあう方法は?」
「一緒に探していきましょうね」
 まあそうなるか、と松田はため息をこぼす。本にも記載されていたが、独学でマインドコントロールを完全に会得するのはほぼ無理なのだそうだ。向き不向きもあり、会得への時間も個人によって異なるが基本長い時間がかかることからもダイナミクス精神科医の人数は少数となっている。それだけマインドコントロールが難しいと言うことだ。そして他のダイナミクスに対して指導まですると言うのだから水瀬の肩書きの凄さだけは多少理解した松田は、解決策がすぐに出ないことにも反抗を見せなかった。それも、精神科医は同じダイナミクスを持つ相手ではなく正反対の相手へ向けて指導をすると言うのだからかなりのマインドコントロールと話術を必要とするらしい。Sub相手に精神論を語れと言われても松田はビビらせて終わりだな、と素直に思った。並行してケアを行いながら模索するというのだから脱帽ものである。
「職業によってコントロール方法が違うと言うのは」
「ああ、読んだ。警察官はどうっていう詳細は書かれてなかったしネットで調べたが出てこなかったからそこで詰んだ」
 松田の勤勉さに水瀬は感心しながら頷く。
「今からお話することは、あくまで一説……多くあるコントロール検討法のうちの一つで簡易なものであることだけは念頭に置いてくださいね」
 やけに釘を刺すなど思いつつも松田は頷く。
「警察官や消防、自衛隊……いわゆる危険職業にあたる方へ向けてのコントロール方法はざっくりと3つに分かれます」
 話をしっかり聞こうと松田は姿勢を前傾させた。サングラスが下にずれたがそのまま鮮明になった視界で水瀬を見やる。
「1つは排他法と呼ばれるもので、これが主流です。自身の絶対不可侵である領域を定め、それ以外は他者として認識……悪い言い方をすれば大切なもの以外に関しては割り切りましょうという方法ですね」
「大抵の刑事はそうだろ」
「はっきりと不可侵領域まで定めてる方は少ないんですよ、無意識に家庭を大切にするという方は多くいますが、いざという時に家庭すら放棄してしまえるのが警官なので……ややこしいんですが、無意識の無自覚を強めて境界線を作ると思ってください。詳しく説明するとこの時間が潰れちゃうので」
 なんだそれと突っ込みそうになった松田は先手を打たれて口をとじ、言われた内容だけを咀嚼する。
「その万が一以外の時はある程度割り切ってダイナミクスを一定に保つってか……明確な自覚は逆にデメリットにでもなるからさせず、ってところか?」
 コクリと水瀬は頷いた。
「2つ目が善悪法、自身の定めるルール、正義を芯に持ってそこを自身で破らないと言う方法です」
「あー……例えば?」
「1人でも助ける、仲間を見捨てない。職務を遂行するにあたっての譲れない部分ですね。人によってそれぞれですがルール設定を慎重に行わないと有事の際に一気に陥落するのがこの方法です」
 警察官には正義感を強く持つものが多い。単に正義と言ってもその幅は広く多用。その上水瀬の言う通りそれを突き通せない現場は多くあるだろうことを思うと確かにルール設定とやらが肝心となるなと松田も納得した。伊達が得意そうだと勝手に診断する。いやあいつは排他法か?彼女ともうまくいっているらしいし。
「最後が取捨法、ベテランの方にはこれを推奨します。これまでの事件で救ってきた命、防いできた事故をひとつずつ数えるものです」
 ふーんと松田は背中を壁に預ける。なるほどどれも警察にとっても、命を扱うような消防士や自衛隊にとってもありそうな心構えだ。自分はどこに当たるだろうと考えようとするも、当たり前すぎてそれを考え直すのが少し億劫になる程だ。それを見抜いたのか水瀬は松田へ言葉を続ける。
「マインドコントロールって、ようは自身への暗示なんです。だから普段からこなしていることを改めてしっかりと、輪郭を持たせて言葉にするところから始める……面倒かもしれないですけど、そう言うものです」
「暗示ってなると途端に胡散臭くなるんだよな」
「思い込みって一種の自己暗示ですからね、特にダイナミクスのストレスのほとんどは自己暗示からくるものです。良くも悪くも自己暗示で左右されるものがダイナミクスです」
 Dom、Subであれば他者からの影響ももちろんありますが、と水瀬は一言付け加える。
「ちなみにあんたは俺にどれが向いてると思う」
 ここでそれまで流暢に語っていた水瀬が困ったように口を閉ざす。
「現段階ではなんとも……ここで私が方法を限定してしまうと、松田さん実践してしまいそうですし」
「あ?実践あるのみだろうが」
「ダメですよ、あっていない方法を試して仕事に支障をきたすと大問題です」
「そこまで大事か?」
「大事ですよ、特に現場に出ている刑事さんは命のやり取りだって身近ですから」
 真剣にそう言われてしまうと松田もそうかと納得してしまう。水瀬の言葉にはやはり説得力がある。それはおそらく松田が例の爆発事件の時、水瀬を実際に見ているからだ。ゴンドラでの一時、状況的にサブドロップしても全くおかしくない状況下でも一言弱音を零すだけだった水瀬。それも松田が促してやっとだ。強靭なメンタルを見せつけられていたからこその説得力は松田を納得させるには十分だった。同時に危うさも感じたが。
「それに、今お伝えしたのはあくまで一般的に警察の方へお薦めする方法なだけで、人によってはこの枠を外して方法を模索することだってあります」
「ちなみにそのなんとか法って全部でどんだけあんだ」
「松田さんのご年齢で、職業問わずだと……34?」
「は〜、長丁場になる理由がわかった」
 水瀬の面談スタイルは、基本的にここまで細かい説明をするものではない。日常会話の中で本人の本心や仕事に対する向き合い方を模索してもらい、無意識の中で制御方法を獲得してもらう手法をとっている。松田のように自己暗示と言葉にしてしまうと嫌煙する人間が警察には多いからだ。しかし松田に関しては本人の意向もあり、普段の水瀬のやり方とは異なるアプローチをとっているためなおさら水瀬も慎重にならざるを得なかった。
「なるべく早めで頼むぜ先生」
 茶化したように笑う松田に、水瀬も苦笑を返したのだった。

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投稿日:2022/0708
  更新日:2022/0708