チェンジング

 捜査一課に異動となってから松田は自身の車で登庁を許可された。機動隊の場合護送車や爆弾処理の機材等を積んだ大型の車両にて現場に臨場することが原則となっていたためそれまで自分の車を警視庁へ置いておくメリットが何もなかったのだが、捜一では逆に覆面パトカーとしてもマイカーを使用する刑事が多い。駐車場の利用許可がおり、かつ業務でも使用可能となれば松田も休日しか使用できなかった車を嬉々として使用申請し乗り回し始めた。
 マツダRX8、スピリット。軽量でコンパクト、ロータリーエンジンを搭載した馬力の高いスポーツカーである。真っ黒い車体に重苦しいエンジン音。萩原が初見で松田の車を見た際の第一声は「俺の好きなやつって言ったのに!」である。厳密には全くの別物なのだが思う所はあるらしい。先に乗ったもの勝ちだと松田は萩原の嘆きを一蹴し「揃いにしてもいいぜ?」なんて煽りもした。しかしながら一歩引いて車を見ると威圧感が凄まじく、運転中ももっぱらサングラスをかけているため松田の運転するスピリットに対して煽り運転をするような無謀な車は殆どおらず、高級感のある黒い車体も周囲に車間距離を取らせるに至っている。萩原もそれらを見て「警察に見えないわぁ」と黒だけはやめておこうと心に決めた。
「お、お邪魔します」
「いい加減慣れろよ」
 そしてそんなスピリットは同僚に対してもしっかり威圧を与えていた。完全に水瀬から刑事部の警護が外れたことから松田と萩原、そして水瀬の仕事のタイミングが合う限り、水瀬は2人の通勤手段であるマイカーにて連行されるように帰宅させられている。流石に朝は大丈夫だと言い張った水瀬が断固として譲らなかったため、日が落ちたタイミングでの帰宅時に両名どちらかの手が空いている、もしくは同時に帰宅のタイミングである場合に水瀬はズルズルと駐車場へ引きずられることとなった。水瀬のスケジュールを完全に把握している松田と萩原はタイミングを見てD課執務室へ出向いているため、D課課長ともすっかり顔馴染みとなってしまっていた。元から両者ともブラックリスト入りしているためD課課長からすれば嫌な刑事に好かれたなぁと若干部下を心配しているが、当人たちはそんなこと知らずに呑気に水瀬を迎えにいっていた。
 未だに松田の車に慣れない水瀬は緊張した趣で助手席に腰を下ろしている。ちなみに萩原に関してもスポーツカーのため、どちらの車になっても水瀬は肩を強張らせ終始緊張しっぱなしである。
「お前メシは?」
「家で食べる予定です」
「まだだな、どっかで食ってくぞ」
 ウィンドウを少しだけあけ、タバコに火をつけた松田は水瀬の遠回しな断りの言葉を無視して肺に煙を溜める。前までは誘えば快い返事が返ってきていたのがここ最近になって突然色が悪くなった。萩原も同じように感じており、「でも男ってわけじゃないと思うんだけど」と首を傾げていた。なんでも男女の問題に持っていく萩原は病気だと松田は思っている。
 捜査に使用する車両として申請しているため、松田の車にはパトランプをはじめ内線などが搭載されており、運転席は通常よりもごちゃつきが見られる。トランクには細々とした工具を乗せており、それを知った佐藤はまた勝手に爆弾を解体するのではないかと危険視しているのだが、もとから松田は爆弾に限らずなんでも解体してしまう性質があるため工具については標準装備と言えた。
 明日も仕事だというのに「餃子喰いてぇ」と零し水瀬に店を調べさせようとする松田は赤信号に車を停止させる。外へ向けて吐き出した煙がじわじわと車外へ溶けていく。そろそろ灰皿を空けないとな、八割り程積もった吸殻を見ながら松田はボヤく。断りたい素振りを見せながらも水瀬は結局はっきりとは断らない。今も素直にスマホを操作して店を調べはじめている。送迎に関する罪悪感だろうか、何が水瀬をこうさせているのかと松田は前方の車両のナンバーをぼんやりと眺めながら思う。嫌がっているというわけではない、嫌悪を感じるわけでもない。シニアマークのついたトヨタのヴィッツ。左側後方をどこかに擦ったのかゴールドの塗装が一部剥げている。
『警視庁から各局。東都タワー付近にて不審車両が複数台、規定速度を無視し走行中との通報。近い局応答されたし』
「あ?近いな」
 まさに東都タワーが目前の位置にて停車していた松田と水瀬は無線から入った情報に目を見開く。通常であれば帰宅中である松田は無線を切断しても許されるのだが、まるでラジオのようにして松田は無線を垂れ流しにしている。周囲を見渡しても騒動が起きているようなざわつきはない。警ら中であった機捜の車両が応答しているが、東都タワー付近という情報では漏れが出る可能性もある。水瀬もそう感じ無言で松田を見つめた。その視線にフッと笑った松田はまだ長いタバコを灰皿へと押し付けた。
「餃子は今度だな」
 警視庁の通信司令部が受信できるGPSを起動させ、無線を手に取る。
「こちら捜強308、東都タワーの北部にて周辺警戒、現在異常なしどうぞ」
『警視庁了解、継続して近辺の警戒をされたし』
 無線を置いた松田は、助手席足元からパトランプを取り出して膝の上に乗せている水瀬を見て頷く。
「折角覆面なんだ、まだ出さなくていいが俺が指示したらすぐ乗せろ」
「はい」
 助手席側のウィンドウを下げた水瀬が神妙に頷く。
『警視庁より各局、車両は東都タワーにあるATMを破壊し現金を奪い去った強盗の逃走車両の可能性あり。現金を乗せていると思われる車両は白のミニバン、江古田ナンバーとのこと。警戒と共に該当車両と思わしきナンバーを発見次第報告願う』
 カバンからスケジュール帳を取り出した水瀬が慌ただしくメモをしている。松田は慣れが全く見えない水瀬のその姿にそういえばこいつは今年一年目の新人だったかと思い出す。チラ、と顔を確認すればあからさまに強張っていて松田は笑った。普段穏やか一辺倒の水瀬であっても緊張はするらしい。ただ、逃走車両の追跡とスポーツカーに乗る緊張感はそこまで差がないようであるが。大きく揺れ動かない水瀬のメンタルはやはり新人にしては座りすぎていた。
「江古田のミニバンなんぞ腐るほど走ってるっての」
「……暴走車両は複数、でしたよね」
「関連があるかは不明だが、ミニバンから目を背けるための餌かもな」
 カーナビにて他の警察車両の位置を確認すると、東都タワー麓に止まっているのは機捜の車両。これならすでに聴取、早ければ防犯カメラの映像の確認も終わっているかもしれない。警らを普段からしている部署はさすが、初動捜査が早い。信号が青になったため松田はカーナビから目を離し周囲を見渡しながら車を発進させる。
「松田さん」
「あ?なんだ」
「交差点で停止してた車、前から2台目……あれ」
 水瀬が指さす方向に松田はすかさず顔を向ける。車が前進していたため一瞬ではあったが、十字路で信号停止していた車両の中に確かに白が見えた。ミニバンかまでの判別ができなかった松田はすぐにウィンカーをあげて車を路肩へと寄せる。助手席に手を当てて振り返ったが位置的にも白い車両は見えない。松田は舌打ちを零したが幸いなことに信号は分離式のもので一度赤になると長い。このあと歩行者のみの信号が青になり、その後に水瀬が見つけたという車が停止している道路の信号が変わる。
「私見てきた方がいいですか」
「……行けんのか?」
 後部座席へ身を乗り出していた松田へ水瀬が恐る恐る声をかける。かなり疑問符の強い言葉が松田の口から漏れた。
「最悪私おいて車で松田さんだけでも追えるじゃないですか……」
「ならナンバーと可能であれば乗車人数、性別、運転手の人相」
 わぁ求められる情報が多い。水瀬は顔が引き攣りそうになったが耐えて助手席のドアを開ける。こんな場面だというのに降りる際にも縁石に細心の注意を払ってドアを開けるものだから松田は思わず「はよしろ」とせっついた。

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投稿日:2022/0710
  更新日:2022/0710