チェンジング
扉を閉めた途端駆け足で道を戻った水瀬は、スマホのカメラを起動させて動画撮影を開始する。対象の車両は2車線あるうちの内側、前から2台目に止まっており横断歩道を渡ったとしても松田のいう情報が得られるか難しい位置にいる。最低ラインは車両ナンバー。車両照会をかけて盗難車だったらわかりやすいがそこまでうまくいくことはないだろうと水瀬は踏んでいた。スマホで道を探している素振りをしながら水瀬はキョロキョロとあたりを見渡し道を曲がる。正面ではなくサイド、もしくは後方から確認した方がいいと判断したためだ。どちらにしろまだ歩行者用の信号も赤だったこともあり水瀬は迷わず松田の視界から消えた。車の中で松田が盛大に舌打ちをしていることなど知りもしない水瀬はスマホを掲げて車両を映像に収める。助手席は空、後部座席は見にくいものの影が見える。運転手は大柄な男、シャツの色はグレー。運転手がこちらを向いた。水瀬は足を止めず、顔だけキョロキョロと動かして必死に誤魔化す。東都タワーが背景に見える位置であれば堂々とスマホを向けられたのだが位置関係的にそれは不可能、これで民間人だとしたらごめんなさいと思いながら水瀬はナンバープレートが見える位置まで移動する。
わざとらしく首を傾げ、足を止める。動画撮影を止めて振り返りナンバーを肉眼で確認、江古田ナンバーだ。スマホは向けずしっかりナンバーを記憶した水瀬はあたかも電話がかかってきたかのようにスマホを耳に当てて道を戻る。不自然にならない程度の最高速度で走り、道を曲がり黒のスピリットに駆け寄った。
「白のミニバン、江古田でした。照会してもらったほうがいいでしょうか」
「じゃあほれ本庁に伝えろ」
ずい、と無線を手渡され水瀬はギョッとする。そんな水瀬など全く見えないかのように松田は水瀬の手を取り無線を握らせ、その手の上から通信ボタンまで押した。グリーンのランプが点灯したことにすぐに気がついた水瀬はさらに目を見開いてなんとか口を開く。頭をフル回転させて、先ほど松田が無線を取っていた時の言葉を想起させる。
「そ、捜強308、より警視庁……東都タワー北部交差点、にて白のミニバンを発見、車両照会をお願いします」
する、と松田の指がスイッチからズレる。しかしがっしりとした手は相変わらず水瀬の手ごと無線を離さない。
『警視庁より捜強308、ナンバーをどうぞ』
「江古田409……日の出のひ、3456……江古田409、日の出のひ、3456です」
『警視庁了解、そのまま尾行をお願いします』
「了解いたしました」
パッと松田の手が緩み、水瀬の手から無線機が抜け落ちる。ぽとんと水瀬の太ももの上に着地した無線の感触に水瀬はドッと疲れたようにシートに体を預けた。解放された手がひんやりとした空気を感じ取っていた。
「可愛くねぇなお前」
もうちょいびびれや失敗しろや、と理不尽な言葉を言いながらも松田はどこか楽しげに笑っている。水瀬はいじめっ子だ、と両手で顔を覆いながら車に乗っていた人物や人数を松田へと伝える。やっと歩行者の信号が点滅し始めたのをバックミラーで確認した松田は、少し前進させた先で左折して小道へと入る。またすぐに左折をして先程の対象車両がいた道路へと車を移動させた。かなり距離はあるものの、あのまま反対車線に入るよりは見失わないだろう位置をすぐに確保した松田に水瀬は舌を巻く。
「そういえば、一応スマホで動画も撮りました」
「マジで可愛くねぇ〜」
ついにケラケラ笑い出した松田に水瀬は若干怪訝な目を向けながらも動画を自身の目で確認し始める。それを横目に、刑事としてもそれなりにやってけそうだなという感想を抱いた松田は、収まらない笑いを喉の奥に無理やり押し込む。くつくつという笑い方に変わっただけで全く隠せていないそれに水瀬はさらにジトっとした目を向けた。松田の笑いの沸点が水瀬にとっては未知すぎたのである。
自身で動画を見直し、運転手の顔が分かりそうなところで停止してスクリーンショットを撮る。関係のない民間人であれば即座に消去する心算である水瀬は一通りの作業を終えて前方に向き直る。現在尾行している車両に関しては松田に任せ、水瀬は念のため他に該当車両がないか目を周囲へと走らせる。指示せずとも必要なことを進めている水瀬を横目に松田は警官としても優秀なんだなと今日何度目かの感想を抱く。医大を出ているだけあって頭の回転も記憶力も悪くない。ストレスが少ないやりとりに松田はまた笑う。
『警視庁より捜強308、先程照会した車両に関して持ち主が判明したが、所有者が2週間前に死亡していることが判明した。その後譲渡などの形跡がなく、盗難車両である可能性が高い、マル対の進行方向は皇居方面で相違ないか確認願う』
先ほどまで対応していた女性とは違う、貫禄のある男性の声。すかさず無線を手に取った松田は淀みなく言葉を続ける。
「こちら捜強308、マル対は皇居方面へ進行中で相違ない。引き続き尾行を継続する」
『警視庁了解――警視庁より各局、強盗犯が乗車していると思われる車両のナンバーが判明、江古田409日の出のひ、3456。繰り返す、江古田409日の出のひ、3456。該当車両は盗難車の可能性あり、現在東都タワーから皇居方面へ進行中。念の為その他に江古田、白のミニバンを発見した場合には報告願う』
無線から全体へ向けての通信が続けられる。まさか当たり車両だったとはとギョッとする水瀬を見ながら、松田は該当車両との距離を着実に詰めていく。
「後ろにもう1人いるな」
サングラスを少し下にずらしながら松田は目を細めた。水瀬の位置からは残念ながら全く見えなかったため、シートの上で背伸びするような格好をとる。しかしそれでも松田のいうもう1人は見えなかった水瀬は大人しくシートに体を預けた。
『至急至急。警視庁より各局、危険運転を行っている車両3台が東都タワー西側から皇居方面へ進行中、近い局は一般車両、民間人の避難を行ってください』
「え」
「こっちきてんのか」
無線から次々と近辺にいるパトカーや覆面から応答が入る。それが済んでやっと松田と水瀬の耳にサイレンの音が届き始める。歩行者もなんだと足を止め始めている中、警視庁より個別に指示を受けたのだろうパトカーが交通規制を始めていた。ピリピリとした空気が車内だけではなく街にまでじわじわと浸透し始めているのを水瀬は感じ取った。
「お前、シートベルトちゃんと締めてるか」
「へ?はい」
「パトランプ出せ」
水瀬の方を見ることなく、松田が指で指示を出す。水瀬は急ぎ窓から手を出してパトランプを車上へ乗せる。シートに再び腰を下ろした時、松田がまるで獣のように交戦的な目で正面の獲物を見据えていることに気がついた。
「頭ぶつけねぇように掴まっとけよ!」
松田が叫んだのとほぼ同時、前方を走っていたミニバンが蛇行運転を開始し突如スピードをあげた。ぐん、と慣性の法則に則って水瀬の体がシートに押し付けられる。咄嗟に両手でぶら下がるようにしてウィンドウ上のグリップにしがみついた水瀬は景色が凄まじい勢いで流れ、右に左に揺れ動いていることに気がつく。飛び出そうな悲鳴を飲み込んで、水瀬は必死に手を伸ばしてパトランプのスイッチをオンにする。サイレンの音がオンになると同時に、水瀬の視界の陰でチラチラと赤い光が強弱をつけて点滅を始めた。ぐるんと松田がハンドルを一気に回転させる。T字路をドリフトで急発進、車体の右側が浮いたが幸いなことに水瀬は気がつくほど余裕がない。ミニバンも道路にタイヤ痕を残しながら必死に逃走を続けているがそもそも松田の運転するスリピットと馬力が違う。グングンと車間が詰められ、とうとう並走するまで持ち込む。運転席側から助手席側に取り付けられているスピーカーへと手を伸ばした松田は、水瀬がスイッチをオンにしたのを横目に見ながらコードのギリギリまでスピーカーを引っ張る。
「運転手並びに後部座席の女!お前らには強盗の容疑がかかってる!さっさと車止めて観念しろ!!」
松田のがなり声が水瀬の内臓に響く。水瀬が松田を見ると視線は完全に犯人車両へと向けられている。ゾッとして水瀬は正面へと向き直り歩行者や民間車両が飛び出してこないか目を見開いて確認する。他の警官がうまく交通規制をかけているのか、民間車両の走行は少ない。また信号が青にもかかわらず停止している車両も多い。アナウンスもかけられたのだろうかと水瀬はスレスレで横切っていった対向車両にヒッと喉を鳴らした。こんな状態だというのに水瀬は松田からGlareが漏れていないことを無意識ながらに認識していた。仕事中となるとダイナミクスコントロールがずば抜けていいらしい。
「ッテメェ!」
ガン、と車体が揺れる。松田の剣幕が一気に悪くなったのがわかった水瀬は一瞬そちらに目を向けてミニバンが信じられないくらい近距離にいることに気がつく。どうやら車体をぶつけられたようだと気がついたのは、ミニバンの後方座席のウィンドウが開いたのが見えてからだった。
「松田さん!後ろに乗っている女が」
銃を、と言い切る前に事態に気がついたのだろう松田が一瞬視線を後ろへ飛ばす。そして銃を構えて松田へと狙いを定めている女を目視した瞬間ハンドルを切る。ガン!と先程以上の衝撃で今度は松田から車体をぶつけにいった。衝撃で舌を噛んだ水瀬は涙目になりながら状況を確認する。松田に向けられていた銃は女の手にはなく、どうやら様子から落としたらしいと察する。水瀬はドッと冷や汗を背中に伝わせた。たった今銃が、松田に向けられていたのだ。
『警視庁から捜強308、2km先より規制線を越えるため2つ先の交差点までに車両を停止させて欲しい!』
「誰にもの言ってんだ!」
できるということだと判断した水瀬は無線に手を伸ばし「了解!!」と叫ぶ。声がガタガタに震えていたのはご愛嬌だ。スピリットがミニバンを追い越し、ピッタリと前についた状態で少しずつスピードを落としていく。すでにミニバンと接触してからの減速ではあるものの、ミニバンは全く減速なし。加えて振り払おうとめちゃくちゃにハンドルを切っている。後方から追跡をしていたのだろう、白バイがミニバンの左右につき動きを最小限に止めようとしているのが水瀬の目に映ったがバイクで暴走車両に挑む白バイ隊員に対して心臓が痛くなっただけだった。
「ブレーキ踏むぞ!3、2、1!」
ギギギギギ、とひどい音と振動が水瀬に襲いかかる。ぼ、と音がしてエアバックが飛び出したがシートに体を押し付け耐えていた水瀬はギリギリ接触せずに済む。下手をすればエアバックが膨らむ衝撃で怪我をしかねなかったため腕で顔や頭を保護するべきなのだが水瀬もそこまで頭が回らなかった。しかし、スピリットの車体が軽いせいかなかなかミニバンの完全停止に至らない。ずるずるとスピリットを押し出すように前進し続けるミニバンに、白バイ隊員が運転席に手を伸ばし、なんと運転手を引き摺り下ろした。目撃した松田はギョッとしたが、サイドミラーで確認し後方のパトカーから降りてきた刑事にすぐさま確保された運転手を見て己を棚に上げて乱暴だなと感想を抱いた。運転手がいなくなったことでとうとう停車したミニバン、後部座席の女もすでに武器がなかったのか両手を上げた状態ですぐに確保となった。
車が停車した時点でスピリットからすぐさま降りて犯人確保に回っていた松田だったが、松田が手を出さずとも白バイ隊員によって地面に押さえつけられた女を見てやることがなくなったとすぐさま理解した。ほっと溜息に似た疲れを滲ませた息が漏れる。
「ご協力ありがとうございます、レッカーの手配しましょうか」
「……あー、たのんます」
駆け寄ってきた三課の刑事にスピリットを指さされて言われた松田は頷く。走れなくは無いが目立ってしょうがないだろう。何よりエアバックを出しっぱなしで運転したくない。そこで松田は水瀬が車から降りてきていないことに気がつく。後処理も報告もあるためすぐ帰るのは難しい、終わるまで待たせるのもな、と考えながら助手席側へと足を進めた松田は水瀬が膝に顔を埋めるように上体を折っていることに気がついた。パッとドアを開けてその場にしゃがみ込む。嗚咽は漏れていない、呼吸も荒れていない。確認したものの、水瀬が泣くわけがないと半ば確信していた松田はその体制に疑問を浮かべる。具合が悪い、どこかぶつけた。どれもピンとこず薄く小さい背中を見つめる。
「どうした」
「…………」
「おい、言わなきゃわからねぇぞ」
深呼吸によって、水瀬の背中が一瞬膨らみ徐々に萎んでいく。呼吸の短さに肺も小さいのかと松田はうっすらと感想を抱いた。体を起こした水瀬はそのままくしゃとしてしまっていた髪を整え、ふっと軽い息を吐いて松田に向き直る。個室で会う時と何ら変わらない普段通りの顔だった。
「銃まで出てくると、思ってなくて」
へらっと笑う水瀬の言葉に松田は無表情で考えた。第一声間違えてないか。
投稿日:2022/0711
更新日:2022/0711