チェンジング


 水瀬にマインドコントロールの方法が多数あると聞いて、松田はすぐさま水瀬が口にした具体名をネットで調べた。やはりヒットしない検索結果にふと思い至って英語に変換して検索をかけると面白いぐらいにサイトも文献もヒットしたため、日本での一般知識の浸透がいかに遅れているかを痛感する羽目になった松田はそれだけでげっそりとさせられる。内容が濃いしっかりとしたものを選ぼうとすると論文しか当てはまらなかったため、長ったらしいそれに目を通すしかなく、多大な時間を割くこととなった。英語が読めると言っても専門用語の多い医学論文だ、何度か単語を調べながら読み解くこととなりその作業は暗号の解読にも似ていた。自宅にいる時間をほぼ論文の解読にあてた松田は、なぜD精神科医が少ないのかその理由を知った。どう考えても多少賢い程度で手を出せる学問ではないのだ。気合いで論文を読んだ松田も、結局内容を理解できたかといえば微妙なところ。精神科医と一口に括っているが、脳からの分泌物やホルモンバランス、血液型や遺伝、果てには患者の食生活や性格、言動に加えて服装や仕事内容まで。プロファイリングの方がまだ優しいというぐらいに多岐にわたって統計を行い全てを統括したり分類したり、果ては何やら数学式に当て嵌めたり。そこでやっと水瀬が口にしていた方法を検討する段階に入る。
 挙げ句の果てに、患者に合致する手法を提案する際にも取り決めやパターンが信じられないくらい用意されており、医師免許を獲得するには全ての情報を頭に入れていなければならないのだという。それはそうだ、精神科医が毎回分厚い事典をせかせかと捲りながら面談なぞできるはずがない。最初はどうせならと水瀬が携わっている論文に目を通したのだが、サマリーの時点で理解が及ばず断念。おそらく応用に応用を重ねた研究なのだろう、基礎がない松田が読める内容ではなかった。ノートパソコンに映る小さい英字をひたすら睨み続けたせいで悲鳴をあげる眼球を労るように、松田は眉間をぐりぐりと揉んだ。
 鬼門だ。爆弾の解除が可愛く見える。この学問の恐ろしいところは、関連性がないように見える様々な要素が全て数字による結果で紐付けられ、影響しあっているということだ。他分野よりも要素の数が凄まじく多いのがわかるのは、松田も理系だったからだ。工学系ではあったものの、化学は多少齧っている。だからこそギリギリ、全く意味がわからないなんてことにはならなかったのだ。いっそ全く理解が及ばなければ早々にリタイアできたというのにと松田は初めて理系であったことを後悔したのだった。
 水瀬がいかに面談室で噛み砕いて話していたのか松田は痛感し、そして一般向けの書物がさわりだけをわかりやすく解説しようとすると宗教の勧誘本になるのも納得がいった。表面上しか一般的ではないのだ。ブルーライトカットのメガネを外し、口に含んでいたガムを吐き出すべくティッシュを手に取る。すっかり味が飛んでゴムのような異物に成り下がっている。それだけ松田が集中していたという証拠だった。数週間かけて読み終えた成果はほとんどなし、強いて言うならば精神科医になろうとする奴はマゾヒストだろうと言う松田のひどい偏見が生じただけ。こんな学問学ぼうと思える人間の気がしれない、数値で裏付け根拠がしっかりとした列記とした医学。日本で海外ほど理解が得られていないのは、この根拠部分を一般的ではないからと忌避していることが一因だ。
 タバコに手を伸ばしたときにスマホが着信を知らせる。松田にとって気がしれた相手だったため疲れを飛ばすように一度体を伸ばしてから画面をタップした。
「よぉ後輩」
『はは、よろしくな先輩』
 もう時期同じ課に配属されることとなった伊達。一度挨拶回りで警視庁には来ていたらしいが、ちょうど松田も萩原も出払っていたタイミングだった。班こそ違うものの、中谷とも笑顔で話していたと目暮に聞かされていた松田は伊達の出世術に脱帽した。警察学校時代もあの鬼教官に爽やかな笑顔で淡々と嘘を押し通していたのを思い出す。嘘と言っても誰が見ても法螺だとわかるようなのっぺりとした笑顔付き。入校初日にあそこまで堂々と教官に虚偽を伝え、その上で適正と思われる罰則を自らで提案する度胸と精神力は目を見張るものがあったのだろう。その後も教官は何かと伊達には一目置いている節があった。それはおそらく嘘をつくことが苦手な癖に、まだ顔と名前も一致していないような教場の同期を一瞬の躊躇いもなく伊達が庇ったからだろうと松田は踏んでいた。
『まさか松田が先輩とはなぁ』
「どういう意味だ」
『楽しみだってことだよ』
 黙った松田に伊達が豪快に笑う。松田はタバコを取り出し咥えながら火をつけた。こういうところが誰にでも好かれる要因なのだろう。ストレートで裏がないからこそ気兼ねないのだ。
『にしても相変わらずやることが派手だなお前』
「あ?」
『東都タワー目下でのカーチェイスだよ、テレビで報道されたろ』
「……なんで俺が噛んでるって知ってんだ」
『はぁ?知らないのか松田。お前ガッツリテレビに車も顔も出てたぞ』
「はぁ!?」
 衝撃の情報に松田は思わず咽せる。煙がおかしなところに入り若干涙目になりながら伊達に詳細を問い詰めれば、カーチェイスを生中継していた局があり松田の顔もしっかり写っていたらしい。道理で妙に視線を集めていたわけだと松田は途端に疲弊を覚えた。事件後から警視庁内でジロジロと視線を集めていたのだが理由が判明した。謎の視線にはイライラしていたがGlareを出さないことに集中していたためそこまで松田も頭が回っていなかったのだ。
『今代車か?戻したら目立ちそうだな』
「あ〜……クソがぜってぇあのヘリだ……」
 そういや飛んでやがったと松田は悪態をこぼす。伊達は慰めるように「噂も75日だ」と笑い飛ばした。なげぇよと松田は力なく返す。
『公務に支障は出ないだろうが、やりにくいようなら本庁で持ってる車の利用も視野に入れとけよ』
「だな……いやだ……」
『ご愁傷さん』
 松田がスピリットを気に入っていることを知っている伊達は嫌がる気持ちも理解しつつ、何をしても人の目を引いてしまう松田に少しだけ呆れた。警察学校時代からそれは変わらない。もちろん松田の派手な言動も原因ではあるが、そこに見た目も追い討ちをかけているのを伊達はよく理解していた。揃いも揃って伊達が率いていた班員は目を引く容姿の男共だった。だが密かに一番人気を集めていたのが伊達自身だということを伊達本人は知らずにいた。警察官を目指す女性というのは堅実で逞しい男性が好みである傾向が強かった。
「そういや萩から聞いたか、飲みのこと」
『いや?』
「班長も晴れて本庁だし、久しぶりで5人で行かねぇか」
『いいな!でもそう考えたらすごいな、全員本庁……か?』 
「多分」
 そのうち所在がわかっている3人が捜一。同じフロアで仕事をするというのだから巡り合わせとは面白いものだ。
『あの2人はあのビルの事件以来さっぱりだしなぁ』
「明らかにオフだったのに当たり前に拳銃所持してたなそういや、しょっぴきゃよかった」
『銃刀法違反ではあるな』
 どちらかというとルールを破るのに都度躊躇いを見せていた降谷が銃刀法違反、仕方がないと言わんばかりに伊達と松田は笑った。松田はふと、伊達に疑問をぶつける。
「そういやまだ彼女と続いてんのか?」
『……松田からこの手の話振られるの珍しいな、なんかあったか』 
「本気の心配やめろ」
『続いてるが……』 
「ケアってどうしてんのかと思ってよ」 
 D課に新しく精神科医が配属されていること。萩原が妙に気に入っており、件の新人に男ができたらケアを頼めないなどと抜かしていること。愚痴のようにポロポロとこぼす松田に伊達は本当に珍しいと内心で思いながらも普段通りの声を纏って答えた。
『俺とナタリーはお互いで成り立ってるな、どっちもSwitchだし』
「んじゃあ仮に向こうが別の男にケア頼むようになったら?」
『多少複雑だがナタリーの健康が第一、飲み込むだろうな』
 複雑なのか。松田はタバコの灰を落とす手を一瞬止める。
『男女関係なく、知らない奴に頭とか撫でられてるのかと思うとモヤっとはするだろ。医療行為だし、ケア認定だったか?あの等級によってコマンド制限されてるしそこまで心配はしないが』
「等級?そんなのあったか」
『あー、出せる、受けるコマンドが等級が上がると増えるとかそんなんだったはずだ』
 へぇと松田は感心する声をあげて目の前でスリープ状態になっていたパソコンを操作する。伊達のいうとおり、ケア認定というものが存在し準一級までであれば医師免許なく取得可能だと記載があった。一級に関しては医師免許を持つものしか受験資格がないようだ。
「じゃあ萩の束縛じみた発言はどうよ」
『専門職の、それも付き合ってるわけでもない子だとしたらまぁ引くな』
「だろ」
『あいつそんなに重たかったか?それだけ本気って言うなら口は出さないが……新人てことは後輩か、圧に感じてなきゃいいけどな』
 本気、という伊達の言葉に凄まじい違和感を覚えた松田は口を閉じる。伊達がいうように萩原という男は軽い、それはもう風に吹かれれば飛んでいくような軽さをしている男だ。立ち回りと本人のキャラクターがそうさせるのか後から恨まれるなんてことは滅多にないが、一歩間違えると泥沼寸前といった状況に陥ったことも少なからずある。巻き込まれていた松田だからこそ知っていることだ。来るもの拒まずというスタンスが悪いのだと苦言を呈したこともあるが、それが懐の深さだとも知っているためあまり強くも言わない。拒まずといっても一線から全く立ち入らせない潔癖さもあるためある意味バカなやつだとは思っているが。
 それが本気。いや、ないない。短くなったタバコを灰皿へと押し付けた松田は新しいタバコを取り出して笑う。
『萩原のことだからその辺りの線引きは心配ないだろうが……お前ら恋バナとかするんだな』
「ぶ」
 咥えていたタバコをスコーンと吹き飛ばした松田はすかさず「誰がんな気色悪いことするか!」と激怒した。


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投稿日:2022/0715
  更新日:2022/0715