チェンジング
降谷が組織の仕事があると面談を2回ほどスルーしてすぐ、上官から召喚命令が降った。登庁を余儀なくされた降谷は定期連絡で話していた風見が震えるほど低い声で了承を伝え、面談をねじ込まれるのだろうと覚悟してスーツを纏った。しかし降谷のそんな覚悟も不要だった。面談の予約はなく、デスクに積み上げられていた書類の始末に追われ上官との打ち合わせ時間を迎えたのだ。それとなしに風見に問いかけたが、降谷が前2回を受けられていないということすら知らなかったらしく顔を青くして急ぎ取り付けようとしたため笑顔で制止した。笑顔の降谷は般若もかくやというほどの憤怒を背負っていたため風見は再び震え上がることとなった。それでも風見は歳下の上司を思いやれる正義感の強い男でもあったため、咎めるように降谷に問いかけた。
「降谷さん、お言葉ですが数値が著しく悪くなっているのは」
「ああ、分かっている」
諸伏の一件以来、一度水瀬との面談で持ち直した降谷の数値はまたじわじわと低迷していた。警視庁に属する公安刑事の全てを水瀬が担当、とは言うが元から警察病院へ通院をしていた刑事に関してはその限りではない。ベテランの刑事ですでに顔が割れてしまったものや、もっぱらハッキングを行う内勤刑事は潜入捜査官ほど気を使う必要がないためである。なんとかそちらに混ざることができないか降谷も考えてみたが、私情を切り捨てると無理だという結論にしか至らない。それほどまでに降谷の抱えている案件は大きく重要であり、同時に命の危険も多大であった。そもそもそれが可能なのであれば、もっと早くに病院へ送りつけられているはずである。水瀬が来るまで、降谷の健康維持よりも情報秘匿を優先しこれまで精神科医に罹ることができていなかったのがその確たる証拠でもあった。
陰鬱そうにしている風見に見送られながら、指定された会議室へと迎えば予想に反して複数名の上官が着座していた。主要室長の寺尾に加え警視の役職のもの。いずれにしても降谷の存在を知るごく僅かな上司だけが重苦しい表情で席を埋めていた。ここで怯む可愛げなどとっくの昔に消失している降谷はマニュアル通りの挨拶と敬礼を熟す。
「来たか、かけたまえ」
「失礼します」
会議の内容、集まるメンツの影響か警察庁の中でも奥まった位置にあるこの会議室には窓のひとつも無い。文字通り息の詰まりそうな薄暗い空間。
「君を呼んだ理由は2点だ」
全員の顔を観察するように見渡しながら、降谷は顔を顰めそうになるのをグッと堪えた。何を話すために呼ばれたのかは不明だったが上官たちの中でも話がまとまっていないようだと気がついたのだ。だからこそ複数名での会議。降谷の意見を聞いた上で何かを判断しようとしているのだと察した降谷は佇まいを正した。空調の音だけが室内に響く。
「一つ、警視庁の捜査官の件だ」
降谷は表情を変えずに頷く。このタイミングで諸伏の件以外で呼び出される理由がない。降谷の目が鋭利な刃物のように尖った。
「現在の調査ではどこまで判明している」
「組織ではスコッチ――諸伏が公安のNOCであることだけ、本名も正式な所属も不明とされています。また先日報告させていただいた通り、諸伏がミスをした形跡も見つかっておりません」
「彼のセーフハウスおよび自宅は?」
「セーフハウスについては組織側で全て回収されていますが、自宅についてはこちらで押さえています。組織に感づかれた様子もないため自宅までは割れていなかったと。最後の在室ログは事件の3日前です」
「定石で考えれば、諸伏刑事が公安を思わせる発言、行動をとってしまった結果……と考えるところだが組織側で詳細が上がっていないのか」
「通常であれば上がってきますが、諸伏の件に関しては一切が不明です」
組織もNOCに対して過敏ではあるものの、決定的な理由がなければ名前持ちが殺されることは滅多にない。それだけ名前持ちが組織に与える影響は絶大なのだ。組織としても無駄に戦力を減らすことは本意ではない。だからこそ諸伏の粛清の流れは不自然だった。特に諸伏は先に組織に潜っていた降谷以上に早く、異例の速さでスコッチの名前を与えられている。それほどまでに期待もあったはずだったがそれにしては粗末な情報だけで切り捨てられている。
「ここまで詳細が不明な場合、情報漏洩が考えられ」
「あるはずがないだろう!!」
降谷の言葉を遮って警視の1人が怒鳴る。なるほどそこで揉めているのかと降谷は平坦な表情で口を閉じた。
「君も諸伏刑事も、公安刑事にすら顔を知らせていない!」
「十分あり得る、ないと断定して鼠を放置する方が危険だ」
「悪魔の証明だ、いないものを探し続けるなど」
「諸伏刑事と関わったもの全て一度洗う、数は少ない」
「彼と関わりがあったものはそれこそ公安にいて長い刑事ばかりだ!」
「1人いるだろう、新人の精神科医が」
ぴたりと口論が止まる。降谷も思わぬ流れに眉をしかめた。
「その精神科医に関しては、なんの裏もないことは私が責任を持つ」
この場にいる中で1番の権力者である寺尾が悠々と告げるも、流石に数名が食い下がる。以前降谷に水瀬のことについては触れるなと釘を刺した張本人だ。あからさまな擁護の発言だが、その理由の一端を知るのは降谷のみなのだろう。降谷は気取られないように顰め面を取り繕った。
「だが件の新人に関しては諸伏が探っている形跡もある、なぜそこまで言い切れるんですか」
諸伏が調べていたのは偶然だ。なんなら諸伏の好奇心によるものだと降谷がよく知っていたが口を挟むことはしない。
「だから反対だったんだ、新人に公安を担当させるなど」
「随分……水瀬刑事だったかな、彼女を黒くみていますね?何か理由でも?」
「公安に内通者がいるとは考えにくい、ならば他の部署の警官である可能性が高いと言うだけだ……その女刑事が意図せずペラペラと喋ったと言われた方がまだ現実的だ」
悪意のある言葉選びに、会議室がしんと無音になる。言い捨てた警視はそれでも意見を変えるつもりはないのかギョロリと目を回している。擁護があからさまなものもいれば、敵意を隠さないものもいる。水瀬の取り巻く環境がどうやら複雑らしいと言うのを再確認した降谷は寺尾の言っていた囲い切れていないという発言の訳を把握した。
「降谷、これが2つ目だ……君も今話題に出ている者と関わりがあるね」
「はい」
降谷の返答にざわつきが生じる。降谷が警視庁へ面談を受けに行っているということは秘匿されており、この場の人間でもそれを知るものはごく僅かだった。
「君の意見は」
一音一音、言い聞かせるように寺尾が降谷に問うた。水瀬は国によって保護されているといった寺尾が信用にたる人物であることを降谷は身をもって知っている。頭を回転させながら求められているであろう、そして自身の意見を率直に声に出す。私情はいらない、諸伏のためにも必要なのは正しい情報とその後の迅速な対応だ。
「僕が警察庁から面談を受けにきていたと言うことを水瀬は承知しています。その上で諸伏のみの情報を流す理由が不明です。両者、もしくは警察庁からの潜入である僕の情報リークの方が警察としては痛手……その僕を見逃すメリットが彼女には皆無かと。もちろん諸伏が彼女に漏らしたから、という極端な考察もできますが、諸伏はそこまで愚かではありません」
「意図せず水瀬が情報をしり、漏らす可能性は?」
「公安刑事との面談前に、必ず盗聴器の類がないか確認するような慎重さがあります。警視庁の部下からも、面談室の外で鉢合わせた際には初対面を装われたと報告を受けており……また組織の人間が彼女へと接触したという情報もありません」
「君は末端構成員も把握していると言うのかね」
「正確には、スコッチがNOCであるという不完全な情報のみで幹部を信用させるほどの人物の接触が無い、と言うことです」
「ふむ、随分詳しいね……洗ったのか」
「部下に調べさせました、それに彼女が仮に鼠だとして諸伏の名前も漏れていないのは不自然です。スコッチが公安のNOC、情報が杜撰すぎますし彼女が漏らしたとすれば“諸伏は警視庁公安部の刑事である”と流れる方が自然かと」
真っ直ぐ、瞬きすらせずに伝える。口にした情報は元から諸伏が零していた内容であって、改めて調査をしたものではない。水瀬を調べたという形跡すらも残したくないと釘を刺されていなければ、降谷もこんな方便を答えるなど決してなかった。調べた体を装って納得するのであれば降谷もそれでいいと思えたからこその判断だ。前回の面談時から思うところがないわけではない。しかし、どうあっても水瀬が組織からの鼠だとは考えられない。私情を抜きにしての状況証拠からも、水瀬は白だ。身内に裏切り者がいる可能性を考えたくないという気持ちもわからなくはないが、だからといって別のものに黒を擦りつけて鼠を探すことを放棄することは降谷とて許せない。公安を疑いたくない側と、水瀬を調査させたくない側。本音を言えば全員洗えと言うのが降谷の意見だがそれを口にできるほどの権力も後ろ盾もなかった。
「改めて、公安内部の監査で問題ないね」
否を唱える声は上がらなかった。
投稿日:2022/0716
更新日:2022/0716