チェンジング

「宮もっちゃんの情報網マジで侮れない、何あの子」
 デスクトップに新着メールの知らせ。メールの件名を見た萩原はほぅと感心のため息を漏らした。目暮から聞いた情報司令部の無言通報。結局すぐに収束したため萩原の所属する捜一にまで話が降りてくることがなかったのだが、聞いてしまったからにはと萩原は情報を集め始めた。一つ歳下といえど、元から人との付き合いが抜群にうまいのだろう、なぜそこのその人物と知り合いなのだという繋がりが宮本には多く、ダメもとで通信司令部に知り合いなどいないかと聞いたところあっけらかんと「路駐を注意したのが司令部の係長だった」などととんでもないことを教えてくれた。これ幸いと松田を合コンに連れて行くことを条件に萩原は無言通報に関する詳細を聞いてくれないかと持ちかけたのだ。
 メールの件名は「松田さんお願いしまーす!」である。水瀬を条件に出してこなかったあたり、宮本の引き際、勘の良さを萩原は思い知る。どうも萩原が断り続けている理由を察したらしい。ポーズとして口頭では未だに声をかけてはくるが、それも水瀬を心配してのことだろう。萩原は心の中で松田にアッパーカットを決められるだろうことを覚悟してメールの添付ファイルを開封した。
 どうやら報告間近だったのか、他部署への周知文書としてまとめられたワードファイルと、根拠となるだろう無言通報の件数の増加件数のグラフがエクセルファイルで作成されていた。目暮が言っていた爆弾事件との関連性までは明言されていないが、11月7日に起こった事件一覧として一番上に事件名が記されている。デスクトップの液晶をコツンと指先で叩いた萩原は、今日も今日とて煩多な捜査一課フロアの喧騒の中とっくりと眺めた。
 無関係で片付けても問題はないだろう。何せ情報があまりに瑣末だ。ただ11月7日という日付に鋭敏になり、憶測にもならない懸念が先走るように萩原の中に吹き溜まっているだけだ。しかし、萩原はこの不快感が刑事の勘であるということを捜査一課に異動してきてから嫌というほどに思い知っていた。あれだけ構えていてまんまと人質を取られた。あと数十秒でも何かが遅ければ、歯車がずれていれば松田の命は吹き飛んでいたという事実は軽んじていいものではない。4年前と比べて萩原は憂慮することが多くなったし、おそらく臆病になった。アクセルしかないと豪語する松田、対してブレーキばかりの萩原。いいのか悪いのか、その判断は萩原自身でもできるものではない。
「あれ、萩原さん捜査会議終わったんすか?」
「なんかマトリも絡んでたらしく追い出されたんだよ」
「聞かなきゃよかった」
 うわ、と萩原の言葉に辟易とした顔を見せた後輩であり相棒である矢島がそそくさとデスクに座る。詳細は聞きたく無いらしい。萩原も当事者じゃなければそうするな、と思ったところでこいつ俺に似てきたのか?と教育係として受け持った後輩をチラリと眺める。矢島は交番勤務の後、特殊犯の中の犯人追跡班に配属された。犯人の追跡を担当する、特にオートバイによる追跡部隊である。「トカゲ」と称されており、事件発生時には真っ先に動員される。特殊犯の中でもこの追跡班と、犯人補足班(逆探知などで見つけた犯人を発見し確保する要員である)を合わせて警視庁ではSITと呼ぶことが多い。特殊犯全体をそう呼ぶ刑事も居なくはないが、今萩原や矢島が所属している犯人割り出し班は基本的には会議による業務が主なため、現場に出動する印象の強いSITからは仕事内容がかけ離れており、現場へ出る班をSIT、そうでない班を特殊犯と分けて呼ぶことがおおくなりつつある。
 ちなみに萩原は異動してすぐは後方支援班、主に機材や物品の整理、補充を行う業務からスタートしている。偶に雑談がてら捜査の話題を振られ自論を話しているうちに使えると思われたのか、直ぐに割り出し班へ移されたが、本音を言えば萩原は現場に出動したい質だ。もちろん特殊犯自体常に人は少ないので現場へ急行することもままあるが、常時の業務ではなかった。
 矢島がトカゲから異動してきてすぐはもっと四角四面だったがと思いながら見ていると、矢島も視線に気が付いたのか口を開いた。
「そういや、交通課の噂聞きました?」 
「お前が言ってたなんかやばそうな奴のこと?」
「それっす、あまちゃん」
 あまちゃんと呼ばれるその男を萩原は知らないが、矢島が以前合コンで居合わせたらしい。その際警察官にしては振る舞いがおかしく、仕切りにダイナミクスに関する話題を出してはD課の新人についての話題を振っていたようで矢島は不信感を持った。その後矢島自身も身辺警護などで水瀬本人と関わるに至り心配になり、面談を受けておりかつ爆弾事件でも関わりがあった萩原に相談をしていたのだ。ちなみに矢島はその時の合コンでちゃっかりと彼女を獲得している。
「生安って内容的に被害者からの聴取およびメンタルケアも重要っつーか、責務じゃ無いっすか」
「そうね」
「ここのところ積極的にそのケアにあたるらしいんですけど、センスないのか何度かサブドロップさせたみたいで、上から業務から外されたらしいっす」
「ヤベェな……Domなんだ?」
「あそこに配属されるDomなんで、多分あんま強いわけでは無いでしょうけど……ほら、DVのマル対相手だとGlare対決もあり得るんでそれ対策でDomが数名いるんすよ」
 ダイナミクスで配属先が決定付けられるわけではないが、傾向というものはやはりある。未成年を相手にすることの多い少年課ではなるべく相手に恐怖感を与えないためにSubおよびSwitchが多くいたり、逆に威圧感がなければ仕事にならない組対ではDomが大半を占めている。そうはいってもDomとSub自体そこまで多いわけでは無いので比較的、という言葉がつくが。警察学校でそれを聞いた時、松田は顔こそ童顔だが柄の悪さと態度のデカさゆえに組対かもな、なんて話していたことを萩原は回顧していた。同じくDomの降谷は童顔な上に物腰柔らか、腕っぷしは強いもののぱっと見ではちょっと鍛えている大学生くらいにしか見えなかったこともあり絶対無理だなと馬鹿にしていたんだったか。
「ダイナミクスが不安定ってことになったらもしかしたら水瀬さんの面談こじつけてくるかもなって」
「うわぁクソ野郎だな」
 自分のことを棚上げして萩原は心底と言ったように罵倒した。
「仕事なんで避けられないかもっすけど……話通じないタイプだと思うんで個室に2人きりはちょっと……だいぶ……」
「D課の課長もそれは把握してはいるだろうけど、俺からも言っとくわ。サンキューな」
 いえ。そう言ってほっとしたように笑う矢島の人の良さにうんうんと頷きながら、水瀬の仕事の危険性を改めて直視することとなった萩原はデスクトップを見ているふりをしながら思案する。
 精神科医の仕事上、突如錯乱した患者に襲い掛かられるという事件は実は少なくは無い。特にダイナミクス精神科医においてはその事件数はダントツで多く、病院などでは複数名、患者に感知されないよう声の届く範囲で待機などして面談を行っている。しかし警視庁のD課では情報をなるべく少数が管理すると言うことを徹底しているため面談は常にマンツー。年頃の若い女である水瀬が腕っ節のいい、それも精神が不安定な警官と密室で過ごさなければならないと言うのはかなり心配になる状況だ。水瀬が配属されてからずっとその心配をしている萩原なので具体的に標的が見えている分まだ心労は少ないが、聞く限りそのあまちゃんとやらは警戒を強めたほうがいいなと思案する。そこまで問題行動を起こしていれば、自然と査問委員会にでもかけられて左遷、もしくは懲戒免職と流れていきそうだが。その前にD課にて面談をさせた上でとなる可能性は非常に高い。
 萩原が一番恐れているのは、そのあまちゃんとやらがD課……水瀬との面談を取り付けるためにそんな捨て身の行動をとっていたと言う場合だ。何をしでかすかわかったものじゃない。松田には具体的に誰が、と言う話まではしていなかったのだが、流石にしたほうがいいだろうかと三度考え直す。番犬には全方位に向けて警戒をしてほしかったためあえて個人名まで出さなかったのだ。
 教えなかったことがバレたら、ラリアットもされそうだ。萩原はサンドバックにされることを涙を飲んで決心し、一服するべくタバコを手に取って席を立った。

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投稿日:2022/0717
  更新日:2022/0717