チェンジング


 降谷の希望も虚しく、やはり当然のように面談の担当が水瀬から変わることはなかった。あんな会議の後のため降谷の面談も流れるか担当変更となるかと期待していた部分もあったが、無駄だったようだ。それはそうだろう、誰からみても水瀬は白い。何せ基本的に職場と自宅、稀に病院に行く程度でプライベートらしい行動が見られない。その上自宅は公安にてピックアップしているのだ。槍玉に上がってきたことすら不自然なほど、水瀬は清廉潔白と言えた。
 しかしそれとこれとは別である。なんとか面談は回避したいというのが降谷の本音だ。ただ相性が悪いと伝えるのは簡単だが、もともと警視庁に無理を言って降谷の面談を担当してもらっていた手前、根拠を数字として叩きつけようと考えていたのだが、面談後の自身のダイナミクス数値が改善の数値を見せていたことに絶句した。諸伏の一件があってこの方、悪化の一途を辿っていた数値がだ。こうなってしまうと降谷が水瀬の面談を拒否できる要素がなくなってしまい、直前まで突発的な事件が起き外せない仕事が発生しないかと願うくらいしかすることがなくなっていた。
「こんばんは降谷さん」
「……こんばんは」
 入室してすぐ、前回の面談などなかったかのような普段通りの水瀬に迎えられ降谷は途端に機嫌を急降下させる。それをおくびに出すこともなく、ベッドに腰掛けて笑顔を貼り付ける。しかしいつも通りの会話を試みようと水瀬が口を開いた瞬間、水瀬の視界に入るパソコンにメッセージが表示される。パーテーションに区切られているため降谷からは見えない位置。そちらに目を向けた水瀬の表情が一気に固くなったのを見た降谷は眉を顰める。そんな降谷に構うことなく、水瀬は引き出しの中から毛布を取り出して問答無用で降谷に頭からそれを被せた。
「な、何を!」
「フロアに誰か入ってきました、心当たりは」
 険しい表情の水瀬が硬い声で降谷に問いかける。問われた内容に降谷も一気に空気を張りつめさせた。
「ない、尾行もなかった」
 そうこうしているうちに水瀬と降谷の耳にも何者かがバタバタと走っている音が聞こえてくる。降谷は靴のままベッドに乗り上げ、扉に背を向けて毛布に全身を包ませた。公安刑事が面談を行う場合のフロアへの立ち入りに関して、非常階段とエレベーターどちらからでもフロアへの立ち入りログがD課職員へと飛ぶようになっている。ここまで厳重になったのは水瀬が採用されてから、まだ使用を開始して一年未満であるが面談時に緊急アラートが飛んできたのは初めてだった。水瀬は一度深呼吸をしてから薄く扉を開けて顔を廊下へと覗かせる。制服を着た警官がウロウロと何かを探すように周辺の部屋を覗き込んでいるのを見て水瀬は一気に警戒心を強めた。廊下へと出て声をかける。
「どうかしましたか」
「ああ!よかった水瀬さん!探してたんだ!!」
 名前を知られている。水瀬の面談者ではない、男性の警官だ。若い警官は嬉しそうな顔で走り寄ってくる。もう深夜2時を過ぎた時間、もうこの近辺の部屋には水瀬しかいない。
「どちら様でしょう」
「生安の甘田です、甘味の甘に田んぼの田でカンダ。いやあよかったいてくれて!」
 人の良さそうな笑みでニコニコと笑いながら目の前にたった甘田は無遠慮に水瀬が出てきた室内を覗き込もうとする。水瀬は硬い声で「面談者がいます、覗かないでください」と咎めた。言わずともD課面談を受ける際には他の部屋を覗き込まないよう周知がされている。明らかに使用中である個室を除くのはマナー違反だ。
「大変なんだ」
「何でしょう」
「生安で任意同行させたストーカー疑惑のある容疑者がサブドロップして、手がつけられなくって」
 何言ってるんだ。水瀬は顔に出さなかったものの内心でキリキリと胃を痛めた。ただでさえ担当している中でも現在一番慎重な対応をしなければならない降谷を見ている時だったのもあり、普段であればおっとりと注意する水瀬の口調が次第に荒くなる。
「ケア係の当直に連絡はしたんですか」
「え?D課はここだろ?内線したけど連絡つかなかったから直接きたんだ」
「D課の安定係ではなく治療係です、そもそも生安課にも常駐のケア資格保持者はいますよね」
「生安のケア担当者はちょっと席外してて、緊急だから来てもらってもいい?」
「ケア係に、連絡はしたんですか」
 流石に水瀬の怒りを感じ取ったのだろう、初めて甘田が口をつぐむ。警視庁のダイナミクス課には安定係と治療係が存在しており、水瀬が口にしているケア係が治療係にあたる。名称の通りケアを専門とした部署であり、安定係以上の人数が在中している。立場的には医師免許保有者の所属する安定係が上となっており、講習などの場を設けて安定係がケア係へ指導なども行っている。甘田が言ったような案件であれば間違いなくケア係の職務となる。因みにこちらは警察庁のD課とおなじく、全員が警察官だ。警察庁とちがうのは主に容疑者や被害者等へケアをするという点だろう。
 緊急の内線番号も存在しており、状況に応じて職員が走って駆けつけてくることもある。警官となって一年目であれば間違うこともあるかもしれないが、水瀬は男を知らない、つまり同期の新人ではないのだ。警察学校の研修でもダイナミクス課のことについて話はある。何より警視庁の格フロアにその手の注意喚起の掲示物が貼られている。ケア係の内線番号の横には安定係と間違わないようにとのメモも必ずあるほどだ。そもそも基本が外部からの派遣医師であふ安定係である。民間人においそれと事件関係者を関わらせる訳にはいかないため、水瀬が配属されたあともその運用に変わりはなかった。
「甘田さんのおっしゃる内容は、ケア係職員が行うものです。なぜ、面談時以外立ち入り不可である面談部屋のあるここまで来たんでしょう」
 執務室で立ち往生ならまだわかる。しかし立ち入りログのアラートが飛んできたタイミングを考えるに執務室はほぼスルーしてこちらのエリアまで侵入している。面談室へと向かう前にも一枚扉があり、そこにも「面談者以外の緊急時の立ち入り禁止」としっかり記載がある。サブドロップは確かに緊急を要するものではある。だが、本当に急ぐのであればケア課への一報が確実かつ迅速となるのだ。面談中である水瀬を引きずり出していくものでは決してない。
「ねぇそれってこの状況で話すこと?」
「……は?」
「サブドロップで苦しんでる人がいるんだよ、ケア要員としてプライドないの?」
 はく、と水瀬の喉から音にならない空気が漏れた。構えていないところから突如刺されたような痛みが水瀬に走るも一度深呼吸をして気持ちを着地させる。ふー、と音がするほどしっかりとした呼吸が静かすぎるフロアに響く。
「甘田さん、ここへはどうきましたか」
「非常階段だけど」
「ケア係に連絡すれば、生安課のフロアから1つ、エレベーターで移動するだけです。それとも私と非常階段で、15階分フロアを降りますか」 
 よくここまで登ってきたものだと逆に感心する。甘田が知らずにここまで走ってきたというなら哀れであるが、水瀬は話していてそうではないと確信していた。ケア係の話題をわざとらしいほどにスルーしているのだ。注意に関しても知らなかったなどの弁明も謝罪もない。何なら1階からフロアを駆け上がってきたというのに息一つ乱していない。他のフロアはエレベーターが稼働している間、夜間の間は非常階段が基本的にロックされていて使用できないため、D課のフロアにくるためにはエントランスの1階に降りてから全て階段で上がってくる必要がある。本当に緊急事態であれば水瀬のキーカードの権限でどのフロアへでもエレベーターで行くことは可能だがそれはあえて説明しない。降谷を置いて、何よりケア係を差し置いてここを離れるつもりが水瀬に全くなかったからだ。何のためかは不明であるが降谷がここにいる以上水瀬は神経を張り詰めさせる必要があった。患者を守るのも医者の役目だ。
「サブドロップした方を思うなら、今すぐD課執務室へ案内しますのでそちらの内線をご利用ください」
「……わかった、案内してくれる?」
 降谷へ一言伝えたい気持ちもあったが、部屋の扉を少し開けていたため声は聞こえているだろう。もと取調室とあって防音がしっかりしているためこうしないとやりとりが聞こえないのだ。万が一にも降谷の知り合いだったら困るだろうと思っての対応だったが聞かせる内容ではなかったなと水瀬は反省しながら扉を閉めた。黙って執務室へと向かう水瀬の後ろに甘田も大人しくついてくる。患者を個室に残すことなど初めてのことなので、水瀬はどうかパソコンを勝手にいじらないようにと願うしかない。パスワードがいくつも設定されているとはいえ、あれには他の患者のカルテも大量に入っている。
「こちらです、ケア係の内線はこれです」
「……ねぇ、やっぱり水瀬さんが来てくれない?心配でしょ、サブドロップした人」
「心配だからこそ、すぐに対応できるケア係に連絡するんです。加えて面談対応中です、ケア係が出払っていない時に私が対応するのは越権行為になります」 
 本当は越権行為まで行かないがそう言わないと折れないだろうと、再びケロッと打診してきた甘田に言い切る。安定係の夜間勤務にあたっているのは実質水瀬だけだ。公安の刑事の面談のためであり、外部から来ている精神科医に任せられないからである。暗黙の了解として夜間の安定係には誰も近寄らないはずがこれである。聞いているようで水瀬の話を全く聞いていない。それにうっすらと、Glareを出されているのを水瀬は執務室に入ってから肌で感じ始めていた。
「じゃあ今の面談が終わったら俺のこと見てくれない?具合悪くて」
「ケア係に依頼をお願いします、私は安定係です。それより早くケア係に連絡してください、サブドロップしている方がいるんですよね」
 降谷を放置して他者を見るなど以ての外。わざとGlareをぶつけて来る様な相手に1人で対応するほど水瀬も愚かではない。ふぅなんてわざとらしいほどの声を出してため息を吐き出した甘田がやっと内線を手に取る。当たり前のようにワンコールでケア係担当者が電話口に出たのを水瀬の耳が捉えた。何度か顔を合わせたこともあるベテランのケア資格保持者だ。ケア資格には階級があり、医師免許を持つものだけが取得可能な一級を除いて一番階級の高い準一級の資格を持つ人物である。案の定すぐさま向かいますと言って切られた内線、水瀬はふつふつと目の前の男に怒りを感じ始めていた。心配じゃないの?プライドはないの?その言葉を全て目の前の男へ問い直したい。警察としての行動が全く見えない。何をとってしても理解ができなかった。
「それではお戻りください」
「さっきの男のところ?もしかして彼氏?」
「はぁ?」
 おっと、思わず。パチンと水瀬は口を塞いだ。水瀬も人間である、常人よりも苛立ちや焦りが立ちにくいとはいえ、その感情を捨てたわけではない。医者だって人間である。それを体現するように水瀬は珍しくはっきりと不快感を声に出した。
「生意気な声でたね」
「もうしわけございません」
 どう見ても先輩だろう刑事に対する態度ではなかったと水瀬は頭を下げる。だが、だからといって職務を利用して異性とイチャイチャしていたのだろうと言外に言われれば水瀬も腹が立つし許せるものでもない。そう言ったことを思う人間がいるだけで、D課の面談が嫌煙される原因にもつながってくるからだ。
「傷ついたなぁ」
「すみません」
「じゃあほら、Kneel」
 突如向けられた強いコマンドに水瀬は息をつめた。頭を下げたまま微動だにせずにいると再び甘田が声を発する。隠す様子を見せないほど、どろっとした欲が滲んだ音に水瀬はぞわりと鳥肌を立てた。コマンドを発することに何の躊躇いもなかった。水瀬に対して断りも、前触れもない。あたかも当然のように振る舞った甘田にこんな警官がいるのかと水瀬は恐怖した。
「グズだなぁ」
「いっ」
 下げたままの頭をグッと掴まれる。男の指に絡みとられた髪がぶちぶちと抜ける音を水瀬は聞いた。水瀬は冷静に、静かに声を発する。
「この部屋には、監視カメラがついています……問題行動として、報告されますよ」
「大丈夫、俺ね、警察庁にお友達がいるんだ」 
 こうも堂々と揉み消す発言をされて水瀬は呆れそうになった。なぜここまで話が通じないのか、水瀬は一つ思い当たるものがあった。先ほど当てられたGlareにコマンド。通常のDomにしては強いものだったが、水瀬の頭の中にあるリスト、警視庁に所属するDomの指数が強い人物の中に甘田はいない。D課職員は万が一にも強いDomの警官が暴走した時に対応できるよう、ある一定指数を超える強いDomの名前と顔を頭に入れている。先ほど当てられたGlareはその指数を超えるものだ。なのに水瀬は甘田を知らなかった。
 Domの数値を一時的に高くするという謳い文句の薬が存在する。一種の精神興奮剤のようなもので、Dom指数が著しく低い患者に本当にまれに処方されるものだ。容量を守って服薬すれば、コマンドが出しやすくなる。それを甘田が多量に服薬したとすれば、現状に説明がつく。会話が成り立たないのも、ふわふわとした物言いもおそらくは多量摂取による副作用。そもそも病院で処方されたのだとすれば、その場での服薬のみ許されており、持ち出しは厳禁。多量摂取するほど甘田が薬を所持できるはずがないのだ。
 だとすれば、違法に手に入れている可能性が高い。もうそうなると文字通り違法薬物でしかない。それほどまでにこの手の薬は取り扱いが難しく劇薬なのだ。
「はいお座り、聞こえなかったかな?」
 ぐ、と首が外れてしまうと思うほどの力で押し付けられて水瀬は倒れる。派手な音を立ててチェストに足をぶつけ、室内に音が響いた。
「はは、それは伏せだよ、可愛いなぁすごいバカだ」
 何とか膝をついて立とうとするも、依然として顔を床に押し付けるようにして押さえ込まれている。両手を使って甘田の腕を掴むも、「握手したいの?」と笑って反対の手で握られただけ。ひどい手汗が滲んだ甘田の手が力加減など一切せずに水瀬の手を握る。痛みに水瀬の顔が歪む。
「Strip」
 床に押さえつけられたまま水瀬は目を向いた。
「ほら脱いで、そんでPresentして」
 立て続けにぶつけられる性的なコマンド。知識として知ってはいても初めて己にぶつけられたのもあって水瀬は息を忘れる。ケアを行う医療従事者へ向けて性的コマンドをぶつけることは禁じられている。性的欲求の解消が伴うものは、ダイナミクスのケアに置いて必須ではないからだ。逆に言えばそこまでパートナーでもない相手に要求すると犯罪になる。
「首輪、首輪はどうしような、渚が苦しいくらいの大きさのがいいなぁ。赤い痕がついてかわいそうに見えるのがいい」
 吐き気がする、目眩がする。いつまでも動かない水瀬にじれた甘田が水瀬の白衣を乱暴に引っ張り始める。殴りつけるように仰向けにひっくり返された水瀬は甘田がニコニコとした笑顔で己の腹に跨ってくる様を呆然と見上げた。
「泣かないねぇ、偉いけど、泣き喚いてる方が好みなんだよなぁ」
 ヒ、と引き攣りかけた水瀬の喉に甘田の手が伸ばされ、水瀬の細い首に回る。じわじわと狭くなる呼吸に水瀬は両足をばたつかせて必死に暴れるも甘田はそれすら楽しいとばかりにゲラゲラと笑っている。一体どれだけの量をのんだのだろうか、それとも覚醒剤や麻薬の類だろうか。水瀬がそう思ってしまうほどに甘田の行動は破綻していた。理性のかけらも感じられない。
「ね――――――ケア――仕事に――――?」
 声が遠い。何か話している甘田の声が途切れている。水瀬は必死に目を開こうとするも、カチカチと点滅し始めた視界に抗えない。必死に足を動かし締められている首を解放せんと爪を立てるも、その一切をないもののように甘田は微笑んでいる。苦しんで赤らむ水瀬の顔をうっとりと甘田が見下ろし、徐々にその顔が近づいてくる。水瀬の意識が飛びかけるのと、甘田の口が水瀬の口を塞ぐ寸前。ドガン!というけたたましい音とともに甘田は吹き飛び、卒倒した。あまりの一瞬の出来事に水瀬も恐らくは甘田も何が起こったのか理解が及ばなかった。
 呼吸を荒げ、咳き込みながら体を丸めた水瀬は必死に目を回して状態を確認する。吹き飛んだ甘田は動くことなくぐったりとしているが呼吸が見られることから死んではいない。ではなぜ甘田が吹き飛んだのかとさらに顔を動かそうとするも、ばさりと水瀬を覆うように毛布がかけられて視界が遮られる。大袈裟なほどに驚いた水瀬は抵抗しようと力の入らない手を振り回すも、パシリとその腕を捉えられてヒュ、と喉からひどい音を出した。
「……遅くなった、もう大丈夫だ」
 面談室に残してきたはずの降谷の声。水瀬は一気に冷静になった。

 - return - 

投稿日:2022/0720
  更新日:2022/0720