チェンジング

 夜通しの張り込みを終え、仮眠だけでもしろと帰宅させられた松田は欠伸を押し殺しながら帰宅し、シャワーを浴びた後にタバコが無いことに気がついた。帰宅するつもりがなかったので警視庁のデスクにカートンで置いて来てしまったと思い出し、舌打ちと共に財布片手にコンビニへと向かう。早いものは通勤を開始している朝7時。スエットとモッズコートで歩く松田は徹夜明け独特の気だるさを隠すことなく背を丸めている。もうすぐ桜が咲く季節のはずだが、いまだに冬の色が濃い。シャワー浴びて外に出るものじゃないな、と両手をコートに突っ込みコンビニの自動ドアを潜る。いらっしゃいませ〜と緩い店員の声に迎えられながら、暖房の効いた店内にホッとしつつレジに目を向けて知っている顔を見つけた。
「……お前まだ勤務中だろ」
「え、あれ松田さん」 
 驚いたという顔をする水瀬がレジにて会計をしていた。袋を受け取り店員に礼を言いながら、それでも驚きが大きいのだろう松田のことをチラチラと見る水瀬に松田は次第に顔を顰めていく。幸い水瀬の後に並んでいる客がいなかったため、松田は「待ってろ」とだけ水瀬に伝え店員にタバコを頼む。
「14番カートンで」
「はーい」
 とんでもない数を頼む松田に、店員は当たり前のように対応する。普段から使用しているコンビニのため松田のヘビースモーカーは承知されており、店側でも松田が吸うメビウスを多く仕入れるようになっていた。当たり前のようにタバコをレジ袋に詰めてもらっている松田を水瀬が驚いた顔で眺めている。タバコとは袋に入れて持ち帰るものだっただろうか。
 カードで会計をする松田の横で大人しく待っていた水瀬は嫌な予感に襲われ、じわじわと後退りしていた。何せわかりやすいほどに松田が苛々としているのだ。邪魔になってはいけないと誰も使用していないセルフのコーヒーメーカーの前に移動し、水瀬は松田をそろりと観察する。視線に気がついたのだろう松田の視線とサングラス越しに目があって水瀬は力なくヘラリと笑った。サングラスと前髪の隙間から見える眉間に皺が寄っているのが見えてしまって松田の怒りは気のせいではなかったと確信した水瀬は視線を落としてため息を小さく吐き出す。
「まだ勤務時間だよな、何で帰ってる」
 項垂れるようにして俯く水瀬の正面に立った松田が覗き込むようにして体を折って問いかけた。
「少しありまして」
「黙秘か」
 松田の纏う空気がさらに重たくなり水瀬はキョロ、と目を逸らす。レジを担当した夜勤終了間際のコンビニ店員は、メビウスさんと渾名をつけられて裏でキャイキャイと騒がれているイケメンに彼女がいたのかと2人のやりとりに聞き耳を立てていた。松田も水瀬も店員の存在をすっかり忘れコーヒーメーカーの前で向かい合っている。常時であれば人目を気にして場所を変えたであろう警官二人も、あくまで客のやり取りをのためと出歯亀を控えたであろう店員も悲しいことに揃って徹夜明けだった。
「首」
 たった一言。松田の言葉にビシリと水瀬は固まった。
「普段登庁するときに使ってる鞄は持ってない、ってことは一度帰宅はしている……にも関わらずこんな時間に一度コンビニまで来て、買う必要があるものがあった」
 そろ、と水瀬は松田を見上げる。目線を合わせるために体を折っていた松田はそれを見てやっと体をまっすぐに戻す。
「お前は昨日萩に会ってる、首のそれについてあいつは何も俺に連絡を遣してこなかったってことは、夜勤中にトラブルがあり帰宅せざるを得なかったってことだ」
 ごくり、と水瀬は喉を鳴らした。コンビニの暖房が強いせいか、嫌に乾燥が強い。
「まだ自供しねぇか?」
 まるで犯人扱いに水瀬はふるふると首を横に動かす。水瀬のもつレジ袋に目を落とした松田はふーんと平坦な声で水瀬を責めた。水瀬は諸伏に言われ首の怪我を自宅でも手当てできるよう消毒液や包帯を購入していた。公安で内々に処理すると決まった以上、下手に病院にかかることができないからだ。水瀬はぎゅうと手を握り込む、手の中でかさりとチープなビニールが音を立てた。松田の指が無遠慮に水瀬の首元に伸びる。逃げる間も無く捕まえられたのは首元の布で、弱い力で下へと引っ張られたタートルネックから少しだけ覗いていた包帯が晒された。
「何があったらこうなる」
 松田の目は真剣だった。ピリピリとした空気に混ざるGlare、松田は真剣さを孕んだ視線で水瀬を問い詰めた。乱暴と取られてもおかしくない態度、怒りをぶつけられていると思われてもしょうがない言葉遣い。しっかりと一部始終を目撃した店員の方が緊張し震えたほどだ。しかし水瀬はストン、と松田の言動の理由をその視線から読み取ることができてしまった。
「ごめんなさい」
 頭を下げて謝る水瀬に松田は動かない。するりと松田の指が引っかかっていた水瀬の襟元から滑り落ちる。その際松田の指に水瀬の髪がさらりと触れる。
「ご心配をおかけしました」
 ゆっくりと頭を上げた水瀬の顔を見て松田は盛大に眉を顰める。殊勝な声の割に水瀬が普段通り微笑んでいたのだ。舌打ちをこぼしそうになるのをなんとか耐えた松田は、代わりにため息を吐き出してコンビニの出口へと向かう。松田の後ろについて歩く水瀬とともに外へと出る。ソワソワと見守っていた店員はメビウスさんドエスだなぁなんて思いながら、険悪な空気から解放されて安堵を漏らしていた。冷たい風に吹かれた見慣れない私服のコートは松田の背中を遠く感じさせるようで水瀬は思わず駆け寄ってしまう。
 冷たい空気に水瀬が目を細めた時、松田が振り返る。
「イッ……!」
 ばちん。鈍い音が水瀬の脳を揺らす。思わず閉じてしまった目を片方ひらけば、松田が無感情に水瀬を見下ろしており、その指先が水瀬に伸びていた。痛みの走った額を抑えた水瀬は目を白黒させて松田を見上げる。
「同じこと言わせるな、お前は今業務中なのか」
 がらんとしているコンビニの駐車場半ばで立つ2人はその場で見つめ合う。水瀬の額をはじいた指先を水瀬へと突きつけた松田はやっと笑顔以外の表情を作った水瀬に肩の力を抜くように息を吐き出す。
「周りは敵じゃないだの言ってたお前がその態度とはいい度胸だな」
 わざとらしく「あーあー」なんて言いながら松田はそのまま足を進めてしまう。立ち止まっている水瀬にも気がついていたが、一度も振り返ることなく去っていった松田に水瀬はどうしてかぎゅうと喉が詰まったような感覚を覚えたのだった。

 - return - 

投稿日:2022/0729
  更新日:2022/0729