舞台裏の奔走

 諸伏が目を覚ました時、どうしてこうなっているのかという疑問と焦りで思わず声をあげかけた。カーペットの上に水瀬と隣あって寝転がり、その上諸伏は水瀬の上に腕を回しほとんどのしかかる様にして寝ていた。慌てて退けながら必死に頭を回転させるも、水瀬の家に逃げ込んでからの記憶が朧げだ。酒を飲んだわけでもないのに起こっている記憶障害のような状態に冷静になれと諸伏は深呼吸を繰り返す。床に目を向け、無防備にゴロンを仰向けで眠っている水瀬に目を向ける。そこでやっと水瀬の手を握っている自分の手に気がついて慌てて離し、自分だけコートやストールで暖をとっていたことにギョッとして水瀬に投げつけるようにかける。遂に耐えきれなくなった諸伏の喉からか細い「ひ」という悲鳴のようなものが微かに漏れた。全くもって男がする反応ではなかったが、あまりにも情けない自分の声に一周回って落ち着くことができた諸伏は一つずつ確認するように昨夜を回想していく。
 ギリギリ、ケアをお願いしたことは覚えている。座ってそして……そこから記憶がない。まずいと顔を覆ってちら、と水瀬を確認する。服は乱れていない、目元が赤くなってもいない。だが無慈悲にも諸伏の方へ伸びている手にがっつりと歯形が残っているのを発見し諸伏は絶句した。歯型から言って男のもの、口の小さい水瀬のものではない。やらかしている。いくら弱っていたとはいえ、人として男として警官としてあるまじきことだ。流石にサブスペースに入ってはいないだろうと思いたいが、いかんせんサブスペースに入ったことがないので何とも言えない。文献で読んだことのある症状などは出ていないので可能性は低いだろう。どちらかというとサブドロップの症状が当てはある気がした諸伏はそれ以上考えることをやめた。精神衛生上よろしくない。
 そこでふっと冷静になる。冷めた頭の中で昨日ぐるぐると思考してしまった嫌な考えがまたわき上がり諸伏は項垂れた。命の恩人だ、そんな相手にまで薄暗い思考を押し付けるところだった。サブスペースおよびサブドロップ時に自白をさせて情報を抜くというのは裏の世界では常識だ。ないとは思うが記憶のない部分でどうか何も口走っていないでくれと思いながら立ち上がる。まだ早い時間だが勝手にキッチンを借りることとした諸伏は、色々な感情を押し殺し今後どうするかを考えながら行動を開始した。

 寝返りを打った水瀬の顔にかけていたストールがずれた時、諸伏はあっと声をあげた。そして案の定、陽射しに気がついた水瀬は目を覚ます。かつて明るいと眠ることができないと言っていた通り、のっそりと放漫な動きで起き上がった水瀬は寝ぼけているようでその状態から動かない。声をかけるか迷った諸伏は結局おはようと声をかけた。
「あ、あ!諸伏さん!」
 一気に目が覚めたのだろう、振り返って諸伏を目にとめた途端バタバタと立ち上がろうとして足元に丸まっていたストールに引っかかり水瀬はソファへと崩れ落ちた。一瞬の出来事に諸伏はつい笑ってしまう。寝起きとは思えない慌てた動きは小動物を思わせた。水瀬は諸伏よりも先に起きて、勝手に出ていかないよう引き止めなければと昨夜決意していたのもあって、諸伏が先に起きていたことに混乱してしまったのだ。
「大丈夫?」
「だい、おはようございま……」
 コクコクと頷きながら、心配そうに見上げてくる水瀬を見て相当心労をかけてしまったようであると理解した諸伏はできるだけ明るく笑う。
「勝手に朝ごはん作ったんだけど、食べれる?」
「え……え?」
 言葉を飲み込んだのだろう、目をキラキラとさせて食べますと言う水瀬に苦笑しながら水瀬の今日の予定を確認する。当たり前のように水瀬は警視庁にて仕事があるとのことのため、先にシャワーでも浴びてくるよう促す。時計を確認した水瀬がバタバタとバスルームに消えていったのを見て諸伏は再度自分の身の振り方を考えた。
 まず、警視庁の公安には頼れない。連絡がつかなかったこと、そして一晩経って連絡を入れてきたのが降谷だけだったのを見て鼠がいる可能性を諸伏は察していた。NOCだと露見した時もいったいどこからという驚愕で頭が回らなかったものの、公安の犬であるとまで断定された情報が流れたのだ。降谷に連絡を入れることも考えたが、万が一鼠ではなく警察組織に諸伏が切られた場合降谷に生存を伝えてしまうのは互いの首を絞めることになりかねない。少なくともまだスマホに連絡が届くということだけは降谷も把握している。
 組織の方でもスコッチを始末したという情報が流れない以上どこかに逃げ延びていると考えるはずだ。組織はスコッチを探し続けるだろうが、問題は公安側の動きだろう。一番は風見と連絡を取ることだが、このスマホから連絡をとって鼠に察知されないかどうか。万が一にも、風見にも切り捨てられたのだとしたら、そう思うと恐ろしくてしょうがないが見た目以上に優しく誠実な先輩のことを諸伏は降谷と同じくらい信じていた。
「も、諸伏さぁん」
 シャワーから上がったのだろう、水瀬が洗面所の扉をうっすらと開けて声だけかけてくる。なんだと思って近寄れば慌ててストップです!と悲鳴を上げられた。扉の隙間からふわりとしたサボンの匂いと湿度の高い空気が漂ってくる。
「ご、ごめんなさいあの、着替えを持ってくの忘れまして目を背けていただけますと」
 ガチリと諸伏は面白いくらいあからさまに動きを止めた。そういえば彼女は手ぶらだったと諸伏は唖然とした表情のままぐるぐると思考する。何とか再起動し顔を覆った諸伏はすかさず匂いがわかるまで近寄っていた扉から離れた。
「わかった、わかったから10秒数えたら部屋へ向かって、死んでも見ないから」
「もうしわけございません」
 泣きそうになっている水瀬の声を聞いて俺の方が泣きたいと諸伏は内心で絶叫した。

「大変申し訳ございませんでした」
「いや、寝起きだったしね」
 フォローになりきらないセリフで慰めながら諸伏は朝食を並べる。自分で作ったものなので、水瀬には申し訳ないが分けてもらうことを前提にして席に着く。
「そっか、こうすれば食べれるのか」
 諸伏が伝える前に納得した水瀬は「ありがとうございます!いただきます」と微笑み朝食に箸をつける。
「おいしい〜」
「……ありがと」
「まさか諸伏さんの手料理を食べられるとは」
 上機嫌に食事を進める水瀬に苦笑しながら、そういえばこうして食事をするのも久しぶりだなと思い出す。おいしいおいしいすごいすごいと幸せそうに食事する水瀬を見て、諸伏も気が抜けた。おそらく意識して褒めてくれているのだろうというのがわかる。ケアしてくれなんていっておきながら諸伏は今更羞恥に見舞われそうになっていた。咳払いを一つし、意識を切り替える。
「助けてもらっておいてなんだけど、やっぱり詳細は話せないんだ」
「はい」
 コクリと味噌汁を飲み込んで水瀬は頷く。当然だろうというくらい素直な返事に諸伏は眉を下げる。
「公安にも……今は連絡が取れない」
「はい」
「今日中にはどこか別の場所に移るから、俺のことは」
「あれ?しばらく居ないんですか?」
 本気で驚いた声を出した水瀬は、話を遮ってしまったと体を小さくした。水瀬の言葉に驚いたのは諸伏も同様で箸で摘んでいた卵焼きを皿の上に落下させる。
「何言ってるかわかってる?」
「だ、だって私何もしてないですよ」
 諸伏が怒っていることには気がついたんだろう、水瀬は箸をおいて両手を膝の上に乗せた。
「何をしたらいいか、それだけ教えてください」
 頑張るので。諸伏の目を真っ直ぐと見る水瀬の目は揺らぎない。
「俺、警察を裏切って追われてるのかもよ」
「ないです」
「証拠は?」
「諸伏さんだからです」
 諸伏はついに頭を抱えた。頭が痛かった。潜入捜査で嘘まみれで過ごしているような男を前にこれだ。たった数回の面談、接点はそれだけの後輩。
「……私、諸伏さんのこと誰にも言いませんよ?教えてもらったレシピだって、今まで誰にも教えてないです」
 そこじゃない、水瀬が口が軽いとは思っていないしレシピは別に秘匿すべきものでもない。味噌汁が呑気に湯気を立てているのが異様に思えるほど諸伏は内心でぐるぐると難しいことを考え、頭脳を駆使した。
「それか、どなたかに伝言した方がいいですか?」
 それは諸伏も考えなかったわけではない。公安の刑事は漏れなく水瀬が担当している。風見もいずれ水瀬と面談を行う機会はある。自然かつ安全に風見と2人きりになれる空間を水瀬が権利として所有しているのは利点であり僥倖だ。安全策を考えるのであれば、水瀬の協力はどうしても必須となってくる。
 水瀬は水瀬で、このまま諸伏を1人で行かせることに酷い焦燥感を感じていた。あれだけ絶望してた声で連絡がきて、見つけた諸伏は全てを諦めたように脱力していた。いつ消えてしまってもおかしくないような雰囲気を纏っている諸伏を引き止めておかないとまずい気がすると水瀬の勘が訴えていたのである。あのとき水瀬に連絡をくれた諸伏の信頼に水瀬はどうにかして答えたかった。
 両者の睨み合いは静かに続き、水瀬が「ご飯も美味しいし」とやけっぱちのように零したことで諸伏は白旗を挙げた。

 - return - 

投稿日:2022/0808
  更新日:2022/0808