初診・諸伏

 諸伏景光は数少ない貴重な登庁の時間を面談にとられることを嫌っていた。
 しかしながら、本人の生真面目な性格と先輩である風見が諸伏の予定を細かく調整した上で予約を入れているのもあって、渋々ながら毎度足を運んでいる。諸伏はSubではあったものの、Domから影響を受けることが少ない。それだけダイナミクスへの警戒心が強いというのもあるし、欲求が薄い性質だったというのも大きい。潜入捜査を行なっている以上、Subであるデメリットなども様々考えられていたが、それを覆すほどに諸伏は求められていた優秀な人材であった。そして、潜入捜査官のD課面談はほぼ強制と言っていいほどに義務化されている。どれだけ忙しく、警視庁に登庁すること自体が危険だとしても面談のために時間を捻出し身を隠してひっそりと面談室へと向かうのだ。
「遅くにすみません」
「いえ、最近は決まった時間に眠れていますか?」
「まだ不定期ですね」
 前回の面談から1ヶ月経過。諸伏はこの頻度が多いのか少ないのか把握できていない。面談時間は30分、掛時計に目を向けるのは流石に失礼だろうとあからさまに目は向けないが、スマホを確認するふりをして時刻を確かめる。深夜2時。前回は朝の4時。よくそんな時間でも毎回対応してくれるものだと諸伏は担当の水瀬を見る。やつれているようにも見えない、多忙そうにも見えない、目の下に薄らと隈はあるものの、顔色が悪いと言われるほどではない。決まった時間に眠れていないのは水瀬の方も同様だろうと諸伏は推察したが口には出さなかった。人払いされたフロアと諸伏の都合に合わせて登庁しているのだろう水瀬に軽率に問うてはならないとよく回る頭が判断したからだ。
「諸伏さんって眠る時は明かりを消すタイプですか?」
「え?ああ、はい消します」
「私も完全に暗くないとダメで、この前そこの仮眠室で寝てたら朝日で目覚めちゃいました」
「それは、相当ですね」
「あそこの仮眠室使わない方がいいですよ、遮光カーテンじゃなくてテーブルクロス使ってるので」
「マジで?」
 思わずといったように声を上げれば、水瀬は深刻そうに頷く。
「うちの警部に聞いたら、昔はブラインドだったらしいんですけど、そこでタバコを吸った挙句ブラインドを溶かしてしまったとんでもない人がいたらしく」
「……」
「総務へ報告できず、組対の倉庫にあったテーブルクロスを拝借して無理矢理かけてるらしいです」
「しかも組対……怖いもの知らずですね」
「この時間誰も使用してないので、よければチューリップ柄の可愛らしい柄を帰りのぞいてみてください」
 ぶ、とついに諸伏が噴き出す。
「組対が?」
「咲いた〜ですよ、びっくりですよね、私聞いてから暫く組対の方と会うの怖かったです」
 軽く歌う水瀬に諸伏は自然と口角が上がる。そういえば、前回もこうしてどうでもいい警視庁内の話をつらつらとしていたんだったか。ほとんどがDomばかりの組対は見た目がヤクザのような集まりである。ある程度見た目が厳つくないと相手に舐められるというのもあるのを、警察学校で習ったなと懐かしくも思い出す。伊達ならいける、態度のデカイ松田も目元を隠せばギリギリいける。くだらない会話でゲラゲラと笑っていた当時を思い出して口元が緩む。そんな厳つい集団がなぜチューリップ柄のテーブルクロスなど倉庫にしまっていたのだろうか。考えるだけで少し頬が上がる。
「案外かわいいな」
「現場に行くのと、別の課と手柄取り合うのさえなければとってもお茶目で可愛い方多いですよ」
「手柄?」
「この前は捜一と合同調査になって第三会議室で大運動会かってくらいお互いがなりあってました」
「そりゃ怖い」
「総務に用があって一つ下の階にいたんですけど、そこからでも声が聞こえたのでとてつもない声量ですよね」
 普段寄り付かないからこそ、知らないこと。警視庁に来て話すのは、公安の同じ班の刑事のみ。何なら三年目に入ってやっと初めて警視庁に足を踏み入れたくらいである。初めの二年は潜入捜査について学ぶべく上司が手配した場所で研修を受け続ける日々だった。潜入を開始してからは先に潜入していた降谷と、連絡係を担っている風見と関わる程度。当たり前だが外で関わる2人と警視庁での緩い話などするはずもなく、登庁したとしてもそんな話をする暇もない。そう、暇がない。
 スッと、血の気が引くように諸伏の表情が引いていく。
 ここでこんなふうに話している暇が自分にはあるのだろうか。自分にそんな余裕などあるのだろうかとゾッと血の気が引いたのを諸伏は感じた。諸伏の空気が固くなったのを水瀬も見逃さなかったが、あえて見ないふりをして話を続ける。
「その後暫くは休憩中とか、喫煙所とかでもギスギスしてる方がいたりしたんですけど、流石にベテランのより厳つい方はオンオフすごいですね」
「そうなんですか」
「喫煙所で怒鳴り合ってた若手の方達にゲンコツして、偶然居合わせビビってた私にイチゴチョコくれました」
「いち……」
「あ、食べます?屋沢警部のくれたチョコ、鷲掴みでいくつも貰ったので」
 個包装されたピンクのファンシーな包みを渡されて、つい受け取ってしまった諸伏は、自分でも知っていたとんでもなく厳つい顔をした片耳が拳銃で吹っ飛んだと言う伝説を持つ警部とのギャップに暫く慄いてしまった。警察学校時代、剣道の特別顧問で教鞭を取っていた人物。とんでもない強さで学生を切り捨てて怒鳴り、数名生徒が泣き出していた。諸伏もあれは少しきつかった。Glareを当てられているのかと思ったほどだ。熊のような巨体で、同期の中でもガタイのいい伊達と並んでも一回り大きな体をしていた。そんな男がいちごのチョコ。
「……水瀬さん、でしたっけ」
「はい」
「話すのが上手いとか、人の懐に入るのが上手いって言われません?」
「どうでしょう、正面切って言われたのは諸伏さんが初めてです」
 精神科医とはそういうものなのだろうかと諸伏は考え込みそうになる。この話術、潜入で使えないだろうか。諸伏自身もそういった話術に関する本やメンタルをコントロールする術を公安で学んではいる。しかし水瀬のトークスキルは、今まで諸伏が接してきたどれにも当てはまらないような気がして、興味が湧いたのだ。実際、気を引き締めたはずの諸伏はペースを乱されて結局水瀬の話に乗せられている。
「諸伏さんはピンク似合うって言われません?」
「え?」
「イチゴチョコ持ってるの、似合いますよ」
「……初めて言われたなぁ」
 思考が溶けそうなほど緩い会話、ふわと諸伏の中で固まっていた何かが融解する。
「ちなみにそちらのパーカーでどのブランドですか?」
「え?ウニクロだけど……」
「本当ですか?」
「ええ……?」
 赤みがかったブラウンのパーカーを指さされ、これもピンクの内に入るのかと驚きながらも、二度の確認をされるとなんだか自信がなくなってしまった諸伏は、首元を引っ張ってブランドタグを確認する。思った通りのブランドで、それを見せるために水瀬へ「ほら」とタグを向ける。
「ほ、本当だ……」
「なんで疑われたんだ……」
「ハイブランドにしか見えなくて……諸伏さんスタイルいいですもんね……マネキン体型」
「ぶ」
「私なんてウニクロ行ったら毎回ズボンの裾5センチは切りますけど、諸伏さん逆に足りないんじゃ……?」
「……あー」
 思い当たる節がある声を上げた諸伏に水瀬は感嘆の声を素直に上げた。やりにくいな、と諸伏は苦笑する。会話の主導権は常に水瀬だが、それをあまり不快だと感じない。それくらいにどうでもいい日常会話だからというのも理由の一つではあるが、諸伏にとってはそんな会話こそ非日常である。
「この前、少しお高めの服を着て友人とあったんですけど第一声で「それウニクロ?」って聞かれちゃって」
「傷つくな」
「ファッションセンスがないのかと5分ほど落ち込みました」
「5分?」
「傷ついたってごねてご飯奢っていただいたので」
「がめつい」
「ギンだこ美味しかったです」
「しかもたこ焼きか」
 ふ、と笑い声が漏れてしまう。ぬるま湯のような会話は気が抜けるものだ。ここが警視庁内だというのもあって、警戒をしなくてもいい場所だとはっきりしていることも諸伏にとっては大きい。
「諸伏さん自炊されるんですよね」
「ああ、前回も話したな」
「諸伏さんに教えていただいた時短のレシピ、本当に大活躍してます、ありがとうございます」
「……前回何教えたっけ」
「カルボ丼です」
「え、俺そんなの教えてた?」
 女の子に教えるレシピではない。諸伏はついギョッとする。ベーコンをフライパンで炒め、卵とチーズを入れてぐちゃぐちゃに混ぜ込んでカルボナーラのような雰囲気のものをご飯にかけるという男飯である。
「私がカロリー取りたいって話をして……」
「ああ……思い出した、教えたな……」
「本当に助かってます」
 深々と頭を下げる水瀬にあんなレシピで、と諸伏は少し申し訳なくなる。このモヤモヤを持ち帰りたくはないと、胸元に入っていたメモ帳を取り出して、別のレシピを走り書きしていく。割と美人な年下の子に、カルボ丼はない。前回自分は相当疲れていたようだと苦笑する。
「も、もしかして……」
「別のレシピ」
「本当ですか!?諸伏先生!」
「はは、先生は君だろ」
「本当、本当に助かってるんです……いつかレシピ本出したら買います……ありがとうございます諸伏さん」
 目をキラキラさせて心底嬉しそうにしている水瀬に、諸伏もついに朗らかな笑みを向けたのだった。


 - return - 

投稿日:2022/0612
  更新日:2022/0612