初診・降谷

 降谷零は一度、警察庁の面談で暴れたことがある。
 弁明するならば、担当の女性との相性がかなり悪かった。水に油なんて生易しいほど趣向が全くあっていないのにも関わらず、担当者のSubが降谷の容姿に惚れ込んでしまい、半ば強制的にプレイをさせられた挙句患者であるはずの降谷の趣向を完全無視し要望を一方的に押し付けられた。結果として降谷は座っていた椅子を蹴り上げて持たされていた鞭を引きちぎり床へ叩きつけて退出した。立派な器物破損である。その後はしばらく降谷の面談は男性のSwitchと固定されていたのだが、以前そうして暴れた話がカルテとして残っているからか、妙にびくびくとされてしまい帰って降谷のストレスが溜まるという悪循環に陥った。そしてそんな降谷の行動は大きく鰭をつけて警視庁にまで届き、結果としてD課面談室のパイプ椅子を一席減らすにまで至った。降谷本人すら知らぬ事実である。
 しかし、潜入捜査官の面談、定期的なケアは必須事項。降谷はD課が悪いのだからとケアを拒否しようとしたが、そうも行かないと上は認めず、なんと数年膠着状態にあった。断腸の思いで風見が打ち出した案が、警視庁のD課の職員にお願いできないかというものだった。しかし、警視庁の専門家は全員外部から呼び出している一般人。医者とあって個人情報の管理は徹底してはいるものの、降谷の仕事内容を思うと警官以外に任せるのは問題である。そしてそんな中D課に配属されることとなった、警視庁唯一の警察官で医師免許を持つ水瀬という新人に白羽の矢が立ったのである。藁にもすがる勢いで降谷と水瀬の面談は即刻設定された。
「降谷さんですね、よろしくお願いします」
「お願いします」
 べったりと愛想のいい安室透の仮面を貼り付けての対面。女の担当者というだけで鳥肌が立っていた降谷だがそれを全く悟らせない爽やかな笑みで入室した。
「水瀬さんは医大出身でしたよね、なぜわざわざその後警察官に?」
 プレイの話などさせてなるものかとニコニコと微笑みながら降谷は問いかける。これまでまともな面談ができたことのない降谷の全力の抵抗である。
「まあ、珍しいですよね」
「ええ、うちは後からケア資格を取ったものばかりですので全員警察官ですし、珍しいなと思いまして」
 警察庁のD課は、警視庁以上に内容を秘匿する必要性が高い。そのためいやがおうにも資格保持者が必要となり、後から適性がありそうな警官をピックアップして資格取得を進めるのだ。ある種キャリア形成にも関わるため、持っていて損はないと資格を取るものは少なくはない。しかし、医師免許を持っているわけではないので、本当の意味で警視庁のD課には劣っているのだろうと降谷は考えていた。実際、警視庁はダイナミクス安定係として課が存在しているが、警察庁ではダイナミクス緊急ケア係という名称のものしかない。D課が発足するまでは警察病院や警察の息のかかった病院にて診察をしていたらしいが、過去それで潜入捜査が明るみになった事例があるらしく、上層部はここ数年警察内部に専門医を置くことに力を入れていた。
「医大に通っていた頃、爆弾事件に巻き込まれまして」
「爆弾事件、ですか……」
「ああ、気絶していて当時の記憶は全くないんですけどね」
 へら、と笑う水瀬は確かにトラウマがあるような言動をしていない。一瞬ヒヤリとしてしまった降谷は繕うように笑みを深めた。爆弾を仕掛けた犯人に頭部を殴られ、爆弾に片腕を固定されたまま気絶していたのだと水瀬は笑う。笑い事ではない。目が覚めたら病院で、警察から話を聞いて全てを知ったのだという水瀬は静かに語る。
「捜一の刑事さんが聴取とお見舞いに来てくれて、その時助けてくれた人も同じ病院に入院してるって教えてくれたんです。私をかばってなのかその人、後遺症を負っちゃって……本人はそんなこと一言も言いませんでしたし、他の方の説明でもそんな話全く出なかったんですけど、多分そうなんだろうなって」
「それは、気に病みますね」
「多少は、そうですね」
 水瀬が過去を思い出すように空を見上げる。もたれかかった椅子がキィと高い音を立てて、泣いているような錯覚を覚える。水瀬の横顔は変わらず穏やかなままだ。
「その後、研修でカルテをまとめていたときに助けてくれた刑事さんのダイナミクスが相当不安定になったって知ったんです」
 気がつけば降谷は話にしっかりと耳を傾けていた。貼り付けていた笑みが少しずつ剥がれていく。研修でそのカルテを目にしたのは偶然だったが、水瀬にとっては衝撃だった。見覚えのある名前に職種、そして面談を受けるに至った経緯。カルテ一つで水瀬は全てを察した。
「その時ですかね、命懸けで街を守ってくれている警察の人は誰に弱音を吐けるんだろうって考えて」
「弱音ですか」
「弱音でもやつ当たりでも、なんでもいいんですけど……人間らしい振る舞いっていうんですかね。説明が下手ですみません」
「そんなことないですよ」
「別に私が支えたいとか、ケアできたらとかそんなことは思わなかったんですけど……事件や事故に関わることが当たり前の警察の日常って、民間人からすれば非日常でしかないのが、こう……ダイナミクスがおかしくなるなんて当たり前というか、それが前提なのが嫌だった……うーん、改めて言葉にすると難しいですね」
 民間人の非日常が、警察にとっての日常。なるほど言い得て妙だな、と降谷は共感する。所属場所によってその度合いは様々であるが、確実に民間人よりはストレス負荷が高いのは確かだろう。警察学校でもそのストレス耐性実習で所属場所をある程度選別されていると知ったのは卒業して今の部署に配属されてすぐのことだ。
「降谷さんはケア専門家と私たちダイナミクス精神科医の違いってご存知ですか?」
「前者は治療行為がおもとなり、後者はダイナミクスの矯正や補正、安定が主な業務だったかと」
「博識ですね、この質問にそこまで正しく答えてくださったの降谷さんが初めてです」
 驚いたように水瀬の目がぱちぱちと見開かれる。確かに、ケア専門家とダイナミクス精神科医は混合して考えられやすい。それは精神科医の方がケアの免許も持っているためであるのが大きいのだろう。実際警察庁、警視庁どちらのD課もケア免許を有した警察官が属しており、必要に応じてケアを行なっている。ケア免許については医大を出ずとも、なんなら通信教育でも取得は可能だ。しかし精神科医はそうはいかない。かなりの専門知識が必要であり、6年生の医大を卒業し医師免許を取らなければ名乗ることが許されない。だからこそ精神科医は警察庁には1人としていないのだ。警察官として医師免許を持つその唯一が水瀬である。全国どの警察組織を探しても、おそらく水瀬だけだろう。
「不安定になりやすい職業なのにも関わらず、警視庁に在住している精神科医が居ないってどういうことだってびっくりして……きっかけはそんなところですかね」
「……ご立派ですね」
 降谷の賞賛の言葉に水瀬は曖昧に笑う。否定の言葉も受け取る言葉も吐かなかった水瀬に降谷は大いに反省した。しっかりとした信念を持った警察官だ、医大を卒業して警察学校に入校するなどおかしな経歴だと思ったが、相当苦労しただろうと水瀬を見る。他の女刑事と比べても線が細い、それまで碌な運動もしてこなかったであろう水瀬が、あの訓練に耐え逃げずに卒業し、目標であった課にしっかりと所属しているのはすごいことだと降谷は心から思った。
「本当に、すごいことだ」
「照れますね、ありがとうございます」
 ふにゃ、と困ったように笑う水瀬に降谷はやっと顔に張り付けていた安室の仮面を落としたのだった。そしてむくむくと湧き上がる欲求が素直に口から滑り落ちてしまう。
「褒めていいか」
 ギリギリ、表面張力のように保っていた欲求が溢れた瞬間だった。降谷は相手を甘やかしてやりたいという欲求があるDomだ。甘やかし、褒めてやりたいという性質が強い。しかしながら、潜入先ではそんなことできるはずもない。バーボンとしてはDomで通しているが、あんな裏の世界でそういった欲求が満たされるはずもなく、なんならGlareをぶつけて威嚇するレベルのことをしている。逆に安室は警戒心を解く為の設定もありSwitchと偽装していることもあって、Domとして振る舞うのがなかなか難しい。加えて降谷としてはぐいぐい来られると反射的に寄るな触るなと思ってしまう性質もあって、普段安室に寄ってくるような女性は受け付けられないのだ。
 警察庁内では部下を甘やかす立場にいない。上から求められているのは威圧感を持って部下を統率するという、降谷の趣向とは全く逆に位置する立場だった。降谷自身も仕事に趣向を持ってくる気はさらさらなく、意味もなく部下を甘やかしたいとも思えない。多少慰労の言葉はかけるがその程度だったこともあり、降谷のダイナミクスストレス値は相当悪い数値を叩き出していた。そのことを水瀬が把握していないはずもなく、降谷の言葉に動揺することもなく静かに「どうぞ」と告げる。
「セーフワードは、そうだな……Bombにしよう」
「ば、爆弾……」
 物騒なワードに水瀬は笑いながらデスクの引き出しからラグを引っ張り出す。
「嫌なコマンドは?ああ、いきなりKneelなんてしないからラグはいいよ」
 紳士的に振る舞う降谷に水瀬も首を振って答える。
「職場であることをご理解いただけている降谷さんであれば、ラインは問題ないかと」
 警察官としての信頼を部下以外から殆ど初めて寄せられて降谷は癒されていくのを感じていた。そして同時に、水瀬は他の誰にも同じ対応をしているのだろうと理解する。それ以上を求めるのであれば、容赦なく専門の病院か施設に搬送されるのを降谷は察した。
「Sit」
 ぽんぽん、と降谷の腰掛ける簡易ベッドの横を叩きながらコマンドを口にする。バーボンの仕事で無理やり相手を座らせたり、相手から情報を吐かせるためにコマンドを使用していたが、その時とは全く違う穏やかな気持ちだ。指示された通り、しかし少し距離を空けてポス、と隣に腰掛けた水瀬。初対面の男女が許容される適正距離より、拳一つ分近い程度。本当にしっかりした子だと降谷は笑みを深めた。降谷は水瀬へと体を向けたが、水瀬は正面を向いたまま少し俯いており表情がみえない。それが降谷には懐かない猫のように思えた。
「ありがとう、いい子だな水瀬さんは」
 警察庁のケア要員とは雲泥の差だ。あんなものと同一視してしまったことを改めて申し訳なく感じた降谷は眉を下げて「頭に触れても大丈夫か」と問いかける。これまでの警察庁のケア要員は、この時点で降谷の放つDom特有の気配に耐えきれずふにゃふにゃにされてしまうのだが、水瀬はしっかりと「大丈夫です」と応答して見せた。普段であればここでベタベタとまとわりつかれて降谷が拒絶するという流れになるのだがそれもない、降谷の機嫌はグングンと上向いていく。おそらく水瀬はSwitchなのだろう、怯えた様子を見せるわけでもなく、パーソナルスペースを弁えている水瀬を見て降谷はそう判断した。強いDomである降谷のコマンドは、場合によってはSubを怯えさせることが多々あった。
 指通りのいい黒髪をそっと撫でるようにして頭に触れる。
「医大をでて、警察になるなんて大変だったろう」
「そうですね……最初は何度か倒れてしまいました」
「医大を出るだけでもすごいことなのに、本当に頑張ったんだな」
「……ありがとうございます」
 しっかりとした発声と、もたれかかってくるような素振りすら見せない水瀬に降谷の勢いが増していく。
「今日もいきなり警察庁のDomを見ろと言われて驚いたろう」
「初めてでしたので、少し」
「それなのに君はしっかりと対応して見せた、正直こうしてケアまでできるとは思っていなかったんだ、ありがとう」
「いえ、当然です」
「当然なんてことはないさ、実際警察庁のD課が匙を投げてここに来たんだから、君がいてくれて本当に助かったよ」
「それは、嬉しいような心配なような」
「うちの心配もしてくれるのかい?優しい子だ……今年入ってきたばかりで医大を出ているから、まだ24か?」
「はい」
「すごいな、ダイナミクス精神科医の免許をストレートで取るなんて、相当難しい試験とストレスのかかる研修なんだろ?本当に偉いよ、君はすごい」
 ふふ、と俯いている水瀬から微かに笑い声が溢れる。嬉しそうなその音にじわじわと降谷は久しぶりに満たされる感覚を覚えた。普段は飼い犬のハロを褒めに褒めてなんとか誤魔化していたがやはり限界があったらしい。ちなみに風見はこの報告を聞いてストレス値がグッと上がったのは余談だ。尊敬する歳下の上司が動物でダイナミクスの安定化を図っていたなど知りたくなかったと風見は誰にも言えない爆弾を抱えさせられて途方に暮れたのだ。
「……もう一つコマンドを使っても?」
「大丈夫ですよ」
 すぐに帰ってくる了承の言葉が、まるで信頼のようで一気に穏やかな気持ちになる。
「Look」
 こっちを見てと指示を出す。頭をなでる手とは反対の手を水瀬の前へとだし、誘導するように指先を降谷の方へと動かしていく。ゆるゆると水瀬の顔が降谷の指を追いかける。指を挟んで目があった降谷はふわふわとした嬉しそうな純粋な笑みを浮かべる水瀬を見てほぅと息を吐いた。ただただ穏やかで柔らかい子供のような表情にグッと降谷は喉を鳴らす。
 どうしようか。かわいい。


 - return - 

投稿日:2022/0612
  更新日:2022/0612