舞台裏の奔走
「遅かったね」帰宅が遅れる場合自宅にあるパソコンを経由して知らせてくる水瀬から連絡もないまま、予定時間を3時間超過しての帰宅。玄関から音がしたため、出迎えた諸伏は心なしかくったりとしている水瀬を右半身を壁に預けながら見下ろした。いつの間にやら勝手に水瀬が買い揃えていたウニクロの服をきて、腕を組んでの体制。玄関先で靴を脱ぐために座り込んでいた水瀬は見上げた先に恐ろしくスタイルのいい諸伏がいて少しだけ笑みを溢す。体格のいい諸伏が廊下にいるせいで、どうしてかグッと空間が狭く見えた。
「カーチェイスに巻き込まれて」
「……もしかしてニュースでやってた皇居付近の?」
「あはは」
白バイが走っている光景をテレビ局のヘリが上空から撮った映像がタイムリーに流れていたのを見ていた諸伏はギョッと目を見開いて改めて水瀬を検分する。怪我をしている様子はない、血の匂いもしない。それでも不安になって立ち上がった水瀬をその場に留め、目を走らせて再確認する諸伏に水瀬は眉を下げる。
「大丈夫です、怪我もむち打ちも何もないです」
「どこかぶつけたりは?というか何で巻き込まれたの?」
居間へと水瀬を誘導し、ソファへ押し込めた諸伏はケトルからお湯を注ぎ茶の準備を始める。その間に水瀬はことのあらましをざっくりと話す。諸伏も水瀬がまだ一部の刑事――同期の2人によって日が暮れている時間帯、可能な限り家まで送られていることは知っていたためタイミングの悪さに頭を抱えてしまった。悪運が強いというか、水瀬はここのところ巻き込まれてばかりだなと諸伏は自分のことを含めて自嘲した。
「そうか……刑事部って自分の車に無線つけられるんだ」
「諸伏さんのところだと場合によってはあんまり馴染みないですもんね」
捜査一課の当たり前を知らなかったこともあり、絶句しつつも納得はする。しかし無線となると通信司令部から飛ばされる全ての通信が流れてくることとなる。情報の取捨択一がうまくなければパンクしそうだなと諸伏は感想を抱いた。
「そしたら飯食ってないだろ……今からなんか食べるか?」
「いえ、この時間なので……」
「食べるか?」
あ、と水瀬は諸伏を見上げる。ニコニコと音が聞こえそうなほどの笑みで迎え撃たれてしまい、頷くほかなかった水瀬はノロノロと首を縦に動かす。満足そうにしてキッチンに引っ込んでいった諸伏はここのところ水瀬の食生活についてかなり徹底して面倒を見ていた。面談時の会話の時から判明していたものの、諸伏の料理の腕は相当いい。元から好きだというのもあるのだろうが、面倒見の良さも発揮され水瀬はすっかり食育されてしまっている。
「そういやさ」
「はい」
「そろそろ、お願いをしようと思って」
諸伏はうどんの麺をほぐしながら、静かに口を開く。自身の置かれている状況を鑑みれば、信じられないほどに心穏やかである。それは間違いなく匿ってくれた水瀬のお陰だと諸伏は理解していたし、前向きな気持ちで進もうと思えているのも水瀬のさりげなくも気遣いあふれる会話は何気ないやりとりによるものだと痛感している。視線を感じた諸伏は、水瀬と目を合わせる。急かすわけでも驚いた顔でもない、いつも通りの水瀬にどれだけ救われただろう。変に力も入ることなく自然と言葉が漏れた。
「警視庁公安部に、風見裕也という刑事がいる……その人に俺が生きていることを伝えてほしい」
「……はい」
「できれば風見先輩にだけ知らせて……先輩にもこのことは他言無用としてもらうよう要請してほしい」
「わかりました」
しっかりと頷く水瀬に、何でこうも簡単なことのようにしてくれるのだろうと諸伏は顔を覆う。危ない橋だ、万が一にも風見が諸伏を切り捨てた側の人間であれば、諸伏はもちろん水瀬も必ず消されるだろう。詳細を伝えていないとはいえ、それくらいの察しはついているだろう水瀬が何もきいてこないことに諸伏は甘えている。
「……風見さんって面談者だよね?」
根本を聞いていなかったと手を顔から避けて改めて確認すれば、水瀬はキョトンとした顔をした後ニコリと微笑んだ。
「教えられません」
「う……徹底してる……」
「信用に関わりますから」
がっかりしながらも諸伏はできるだけ栄養素が取れるよう、野菜を冷蔵庫から取り出しながら食事の用意を進めた。水瀬が言わずとも、公安刑事が水瀬の担当となっていることは公安内部では周知の事実だ。面談時間こそ伏せられている場合が多々あるが、ゼロとの橋渡しや黒の組織の担当となっている刑事に関しては特に神経質にならざるを得ないため、人避けを徹底し夜間での面談となっていた。諸伏の件ではっきりしたが、前々から警察内部にネズミがいるだろうことは想定されていたのだ。だからこそ少数精鋭。対組織案件に人員を割けなかった最大の理由でもある。
諸伏が警察組織に餌として使われていた場合、最初はその考えが強くよぎっていたものの、水瀬と過ごすうちに頭がクリアになり客観的に状況を考えられるようになった。諸伏を餌とする場合本命は降谷。諸伏を降谷に始末させてより降谷を組織の深部へと潜らせるための布石。考えられなくはないがしかし、降谷にスコッチをNOCだと言って始末させるにしてはタイミングが悪すぎたのだ。バーボンは別任務で国外に出る準備をしていた間際だったことに加え、そもそもバーボンとスコッチは組織側の指示で組んで仕事をしていた。そこにライもいたものの、組んでいるうちの1人がNOCだった場合降谷の立場も悪くなる可能性の方がずっと高い。これまでの組織のやり方を多くの潜入捜査官で探っていたからこそ、それを警察側もよく理解していた。
本来であれば潜入捜査中の失敗はいかなる場合でも古巣とのつながりを残してはいけない。犯罪者として死ぬことも少なくない。だが降谷とともに細心の注意を払っていた諸伏だけがNOCであると露見する理由がやはり情報漏洩しか浮かばないのだ。そうなると諸伏は幼馴染のためにもなんとしても生還せねばならない。
「可能であればここにきてもらった方がいいですかね?」
「……追々かな、危なすぎるから」
「わかりました」
無茶言うな、と諸伏は叱るように水瀬を咎める。危険性がわかっていないのは、諸伏が話していないせいだと理解はしているもののこうも簡単に水瀬自身の危険を顧みない発言をされると叱責しそうになってしまう。危機感の欠落とまではいかないが、あまりに諸伏に委ね過ぎなのだ。同じ公安でもここまで同僚に信頼を預けることはない。公安に配属になり、別の施設にて潜入捜査について2年ほどかけて叩き込まれたのち潜った諸伏は、その後に公安に配属された後輩を知らない。後輩に関わらず、あったことのある先輩すらもごく僅かだ。そう言った意味ではある意味諸伏にとって水瀬は関わっても許されていた貴重な後輩だったわけだ。……そうか後輩か。
「なあ、ピッキングとか教えようか?」
「どうしていきなりそんなことに……?」
先輩らしく何かしたいと思ってしまった諸伏は、身になってギリギリ犯罪じゃないかなと思われるピッキングを伝授してあげとうと、ワクワクした様相で水瀬に持ちかけたのだった。
投稿日:2022/0816
更新日:2022/0816