舞台裏の奔走
灯もついていない水瀬の家のリビングで諸伏はいつになく張り詰めた雰囲気でいた。もうかれこれ水瀬の家に世話になってから数ヶ月も経っていたため勝手知ったる場所、なんなら諸伏がピックアップした物件のためその安全性すらも理解している水瀬の自宅。そんな場所で諸伏は珍しく気を張った様子で今か今かと連絡を待っていた。水瀬が登庁前、不自然な流れで諸伏の就寝時間を確認してきた時に、風見の面談が今日もしくは日付が変わった翌日明朝なのだろうと察した。スマホはデータを水瀬のパソコンに一時的に退避させてもらった上で破壊している。因みにしばらく通信料金が発生しない場合勝手に解約されるよう契約をしているため、そろそろスマホに連絡を入れられても跳ね返る様になるはずだった。公安へむけて破壊が完了していることを知らせるための処置である。
固定電話もないため、連絡手段はパソコンを用いてのメールしかなかった。一度水瀬からもう一台スマホを契約しようかと提案はされていたが、諸伏が水瀬も見張られている可能性があると言って拒否した。同じアカウントにログインし、メールの下書きを保存する。そうすれば家にあるパソコンと水瀬が所持しているスマホから同じ文章が見れるという安易な策である。緊急時は流石にメールを送信してやり取りするが、基本的には送信履歴に残らないメモ書きのようにして連絡を取り合っていた。もちろん水瀬のアカウントがハッキングされればすぐにバレる連絡手段ではあるが、あまりセキュリティが堅牢すぎても悪目立ちする場合もあるのだ。調べる価値もないと堂々としていることがいいこともあると諸伏は潜入捜査で学んだ。
逃走できるよう、外に出られる格好でパソコン前に待機していた諸伏だが、思っていたよりも早くに下書きが追加されたため仰天してマウスを操作した。
――彼の上司には伝えない方がいいでしょうか
諸伏は息を呑む。念のためと名前を伏せてくれたのだろうが、風見が上司とする刑事はそこまで多くない。公安でも特殊な案件を取り扱う風見への指示系統はゼロから……直属では降谷のみだ。まさか、なぜ今日このタイミングで降谷の名前が出るのかと驚きながらも、石橋を叩くつもりで上司の人物像を確認していく。
――上司だとKが言ったのか?
――はい
――F?
――はい
悩んだ末に、諸伏は最後の確認をする。
――ナンバーは?
伝わるだろうか、という諸伏の懸念など蹴飛ばすように、すぐに届いた返信。
――0
ああゼロだ。大きく息を吐き出して、手汗を握る。どうする、と諸伏は再考する。そもそも降谷に伝えなかったのは、潜入中であるバーボンのことを思ったからだ。加えて警察内部にいるかもしれない鼠に降谷の存在を少しでも匂わせたくなかった。警視庁にて警察庁、降谷の潜入の事実を知っているのは諸伏と風見のみ。組織は未だ完全にスコッチを諦めたわけではないだろう。バーボンとライには間違いなく見張りがついたはずだ。それが外されたかどうか諸伏には確認のしようがないが、水瀬の口から降谷の名前が出るということは登庁している可能性が高い。降谷が水瀬の面談者であることは知っていたため、諸伏は一つため息をついてキーボードを鳴らした。
水瀬の自宅から警視庁までは交通機関を利用して15分程度。車であれば交通量が少ないこの時間であれば10分弱で到着するだろう距離。最速で来るとすれば降谷のRXだろうが、あの車は目立つ。登庁するときに限っては別の車を使ったり、RXに偽装ナンバーを上から貼り付けているものの避けるはずだろう。諸伏の中で降谷に話を通したという時点で降谷が必ず来るだろうことがわかっていた。公安として安全策を取るのであれば、風見だけを水瀬の家へと送り降谷が警視庁で水瀬を拘束するというのがセオリーだ。しかしながら諸伏の幼馴染はセオリーを飛ばして効率を重視するきらいがある。自分の身の危険を度外視しての行動に諸伏は幼い頃から何度も冷や汗をかかされていた。
新着のメールが届く。メールが届いた時点で送信者が普段と違うのがわかり諸伏は喉をごくりと上下させた。件名は空欄、本文に短い言葉があるのみだ。
――N 1 2 1
ノックを1回、2回、1回のリズム。おそらく到着した後の玄関での取り決めだ。インターホンを押せば映像が投影されるが、無論それに映り込むような真似はしない。だからこそ、諸伏が確認できる手段を連絡してきたのだ。
ということは、水瀬の説得はほとんど成功したようだと諸伏は確信する。人畜無害もいいところの善人。諸伏はあそこまで悪意を削ぎ落とした人間を知らなかった。それを降谷も風見も感じ取っていたのだろう。そうでなければ、こんな連絡すら来なかったはずだ。油断はまだできないが期待に指先が震える。全部、あの日水瀬が頼る選択肢をくれたことから始まっている。
風見と降谷がきたら、水瀬にも問わなければ。水瀬の家に匿ってもらう中で、諸伏が問いかけなかった疑問。
どうしてあの日、あのタイミングで水瀬が連絡をくれたのか。諸伏もいい加減現実と直面する覚悟はできていた。
投稿日:2022/0823
更新日:2022/0823