育むデプレッション

「びっくりだよなぁ、あまちゃんだっけ?」
 喫煙所にて松田と共に煙を吐き出していた萩原は、不意に松田へ問いかけるように話題をふる。
「誰だそれ」
「生安にいた野郎」
「誰だっつってんだろだから」
 灰をとん、と落とした松田が睨むように萩原を見る。
「前に話したじゃん、いい噂聞かないやつって」
 吸い込んだ煙をゆっくり吐き出しながら熟考した松田は、やっと引っ掛かる記憶を一つ思い出す。萩原が合コンがどうのと騒いでいたときにでた中に生活安全部の名が出ていた。思い至った松田に気がついたのだろう、萩原が短くなりつつあったタバコを押し付けて壁へと寄りかかる。
「知らない間に懲戒免職だと」
「は?」
「職場に出てこねぇと思ったら、同僚も知らない間に査問委員会が終わって沙汰が出てたらしい」
「いつの話だ」
「先週」
 査問委員会にて、警察内部の調査及び監査が行われ対象者になんらかの処分が下ることは珍しいわけではない。だからこそ査問委員会が開かれる時点で噂は回るのだ。それが同僚すらも把握していない間にことが全て終わっていたなど、あり得るのだろうか。
「理由は?」
「金使い込んだとか、自宅に拳銃持ち帰ったとか噂だけ色々飛び交ってる」
「んだそれ」
 正確な情報が回っていない。おかしな話だなと松田は顔を顰める。
「ちなみにお前が聞いてた悪い噂ってのは?」
「合コンで連れて帰った女の子に乱暴したとか、無理やりプレイさせてるとかそういう話」
「生安が強姦魔かよ」 
 世も末だな、と悪態をつけば萩原もだよねと頷く。そんな噂が出ている輩が水瀬を狙っているとなれば萩原も目を光らせるしかなかったのだが、まさかこんな形で解決するなどとは誰も思っていなかった。
 松田はうっすらと一週間前という萩原の言葉を思い出し、朝のコンビニで偶然出会った水瀬のことを思い出していた。あの仕事人間がそれを放棄しなければならなかった理由。一度帰宅して着替えをした上で治療に必要な道具を購入する訳。そして強姦疑惑のあった変態が水瀬を狙っていたという噂。細い水瀬の首をぐるりと一周していた包帯を思い出した松田は苛立ちを隠すことなくため息を吐き出す。その後一度面談があったが、全く普段通りに対応していた水瀬。包帯はまだ巻いてあったのだろうが、以前と違いきっちりとハイネックでその気配は隠されていた。勤務中だと言われれば松田も二の句は告げれらないため思うところはありつつも、お互いコンビニでのことを話題に出すことはしなかった。帰宅に関しては松田の持っていた事件の関係でまともに時間が合わず、ほとんど萩原に任せている。その間に松田のスピリットも無事に納車されていた。
「ハムかなぁ……」
「絡んでくる理由あるか?」
「実は反社と通じてたとか」
「揉み消しってか、最悪な想定するな」
 冗談まじりに笑う萩原に松田は呆れる。万が一にもそんなことがあれば警察の信用はガタ落ちである。ただでさえお茶の間や報道陣は正義の味方の不祥事に沸きやすいというのに。万が一にも萩原がこぼしたように公安の案件となっているのであれば大袈裟でもないのが恐ろしいが。萩原もそう思ったのだろう、あからさまに話題を変えた。
「班長との飲みいけんの?」
 松田の忙しさを思い出した萩原が首を傾げながら問いかける。
「片す」
「いや片せるのかって聞いてんだけど」
 ぎゅ、とタバコを押し付けて火を消した松田が唸るように宣言する。婦女暴行の上の殺人事件。被害者は歳の若いSubで、仕事帰りに路地裏などに連れ込まれ、暴行の上に殺害。殺害方法は全員異なっているため連続殺人かどうかの判定は未だ出ていないが、すでに米花町近辺で3件ほど死者が出ている。所轄と協力し、張り込み及び見回り強化。松田とバディである佐藤がマル害の対象に当てはまる可能性があることから囮捜査も行っており、ペアを組む松田も高頻度で走り回っていた。
「共通点とかないんだっけ」
「若いSub」
「囮やってる佐藤ちゃんってそうだっけ?」
「Switch」
「まぁギリ……?あの子雰囲気Domっぽいけど」
「変装してるに決まってんだろ」 
 喫煙所のガラス張りの扉をくぐりながら松田は肩を回した。バキバキと酷い音がなり、萩原は「凝ってんなぁ」と笑った。松田は基本車内で待機なので余計に体が凝るのだ。まだ書類仕事で缶詰にされるよりはマシだが車での待機もそれなりにストレスとなり、タバコの消費だけが凄まじく増えている。
「水瀬ちゃんの帰宅時間って下手したら被んの?」
「被る」
「俺のとこの後輩使うか……」
「……いや、この件まで護衛つけるのは違うだろ」
 萩原の言葉に松田は足を止める。
「年齢もぴったり、Subっぽい雰囲気もドンピシャでしょ」
「んなこと言ったら他の部署にいるSubも当てはまんだろうが」
「ええ〜」
「周知も出て個人で注意。可能であれば課内にて勤務時間の調整、十分だろ」
「心配じゃんか」
「あいつも警官だ、俺らが無理に張り付いてるのは爆弾魔の尻尾を掴むためだろうが。余計な心配する必要ねぇだろ」
 言い捨てるようにして松田はまた足を進める。何やら地雷だったらしいと察した萩原は松田の横に並んで口を噤む。萩原が感知していないどこかで何かあったらしい。水瀬の方は普段通り、特段変わった様子は見られなかったがダイナミクス安定係所属の精神科医だ。その道のプロが普段通りに見えるよう過ごすことなど朝飯前なのだろう。水瀬が本気で何も気にしていない可能性もなきしにもあらずだが。
「陣平ちゃん頑張って片して、明日聞くから」
 会議室から顔を出した目暮に呼ばれた松田の背に、萩原は声をかける。ひら、と振り返ることなく手だけ振って返した松田にため息をつきながら萩原も自身のデスクへと戻った。


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投稿日:2022/0826
  更新日:2022/0826