育むデプレッション
連絡をしたはいいものの、やはりうち2名から返信はなく。なんなら最低人数で予想していた3名のうち1人も結局のところ緊急の呼び出しがあり店に入る前に警視庁へと戻ってしまった。「俺だけで悪いね」
「何言ってんだ、お前とも久々に飲めて嬉しいよ」
「男前!」
適当なやり取りでビールのジョッキをぶつけて笑う。伊達が警視庁へと異動となり、それを祝うための飲み会の席なのだが念押ししていた松田はこの場にはいない。
「班長も異動してすぐの案件がこれだもんな、お陰で声かけるの躊躇ったわ」
「こればっかりはな……」
伊達の異動祝いと称した今日だが、既に異動から2ヶ月ほど経過している。囮捜査が可能な刑事が佐藤だけというのもあり、特に目暮班は寝る間も惜しんでと言った風体だ。異動前からも捜査は行っていた伊達は当たり前のように捜査員に組み込まれ、米花付近の見回り強化に当たっている。ビールを煽って半分ほど飲み干した伊達の上唇に泡の髭が上機嫌にこんもりと乗った。
「中谷警部はなんか言ってた?」
「連続か単独の事件か判断はつかないが、どの事件もマル被はコメヘンだろうってよ」
コメヘン。警察用語で精神異常者を指す単語だ。ふーんと目を細めて萩原はメニュー表を開く。串は?塩。と短いやり取りののち、盛り合わせと漬物、刺身を追加で注文する。半個室である居酒屋のため、込み入った話をしやすいこの場所は萩原と松田が好んで利用していた。
「まあ、御遺体の状況からそう言いたいのもわからなくはないけど」
「ん?ああ中谷警部はそこで判断しちゃいないぞ」
伊達の否定の言葉に萩原はええと怪訝な顔をする。伊達も己の上司がそこまで好かれるタイプではないことを把握しているのだろう、苦笑まじりに残りのビールを喉へと流してジョッキを開ける。前よりもペースが早くなったなと萩原は店員にビール追加の声をかけた。
「担当外のお前にペラペラ話せないが、別で根拠があってそう言ってんだよあの人」
「班長的には納得なんだ?」
「経験に物言わせての見方と判断、俺は納得できた」
誰の話だ?と一瞬萩原は迷走しそうになったが、嫌われ者の中谷の話だと思い出す。経験年数で言えば確かに中谷の捜一所属年数はそれなりのもの。積極的に関わっていなかった萩原がとやかくいうものでも偏見を持ったままなのも筋違いだと思い直した萩原は、そっかと軽く返事をする。伊達は満足そうに頷いて、店員が持ってきたジョッキを受け取った。萩原の柔軟さは見習うべきところだなと伊達はいつも思わされている。
「それよか萩、松田に聞いたがお前新人の子に熱あげてるんだってな」
「なんの話?」
「らしくもなく束縛し始めてるっつー」
「マジでなんの話!?つーか班長と陣平ちゃん恋バナすんの!?」
「気持ち悪ぃこと言うな!」
伊達は松田に電話で同じことを言ってしまったことを大いに反省した。
「違う違う!どっちかっつーと陣平ちゃんが悶々としてるんだって」
「あぁ?」
あの松田が?と言わんばかりの伊達の反応に萩原はうんうんと頷いて届いた串の盛り合わせの中からハツを手に取って指揮棒のようにくるりと一周させる。店員から受け取った刺身を2人の間に押し込むように置きながら萩原はため息を吐き出した。
「側から見てたらそりゃもう健気よ?見てらんないのよ」
「松田が健気なぁ」
「たびたびディフェンスしてんの?って具合のGlareを垂れ流してる」
伊達は危うくビールを気管へと流しかけた。ギョッとした目で萩原に真偽を問えば、マジで。と呆れたような疲れたような視線を萩原は返す。伊達は以前、松田が電話で言っていた内容と食い違う話に顔いっぱいに疑問符を貼り付けた。お互いがお互いで勘違いをしているのだろうか。なんて面倒な。伊達はサガリを手に取って項垂れた。両者から話を聞いてしまった己を呪いながら、萩原の話に相槌を返す。
「その子が合コンに誘われそうって話題出しただけでグツグツと、それも昼食ってる時に」
「あー、場所も選ばずか」
「寄ってくる女の子みんな敵みたいなあの陣平ちゃんが、俺とその子がサシ飲みしてるって伝えただけで家から即飛んできたんだよ」
「あいつ家帰ったら基本出たがらないもんな」
「なのに自覚なし、おまけに俺は何にも気にしてませんみたいな態度なんだよな〜さっき話してた件だってもろマル被の好みまっしぐらなのによ」
「そら心配だなぁ」
伊達の凄いところは、適当な相槌であってもきちんと聞いているように聞こえるところである。つらつらと語る萩原を横目に伊達は串に噛み付いた。塩がかかり過ぎていたのか味が濃く、伊達は流すようにビールをグビと口に含んだ。
「ただまあ現状全くもって相手にされてないだろうけど」
伊達の手が止まる。ヒヤッとした声色にふさわしく、萩原の表情も明るくはない。
「良くも悪くも誰に対してもおんなじ対応なんだよなぁ……思わせ振りな訳でもないのに。だから悪いの引っ掛けちゃってるんだけど」
「……お前とか?」
「陣平ちゃんとかだよ!」
松田の話を事前に聞いている伊達としては胡乱な目を向けざるを得ない。正直萩原も松田も大して変わらないし、気に入られている時点で伊達からすれば御愁傷様といったところだ。
「そういえばどこの部署なんだその子」
かわいそうな被害者だ、もし話すことがあれば労ってやろうと伊達は決心して萩原に問う。にしても松田と萩原にこれだけ気にかけられていて、萩原の口から相手にされないなどと出るとは。女が寄ってくる顔をしている同期2人が型なしとなれば伊達も気にかける反面野次馬精神が湧き上がりもする。
「あれ?ああそっか」
ビールに口をつけていた萩原はキョトンとした顔をしてジョッキから口を離した。
「俺がやらかした時に繋がれてた子だよ、班長も見舞い行ってなかった?」
くい、と残りわずかだったビールを喉へと流し込んで、追加のために声をあげる萩原の後頭部を見ながら伊達は停止した。その話なら嫌というほど脳裏に焼き付いている。店員を呼ぶためにあげた右手の外側に鮮明に残る傷跡。卒業して数ヶ月で起こった出来事は忘れたくても忘れられない強烈な印象を同期の中に刻みつけている。伊達も話を聞いて萩原の見舞いへと赴いた。その先で、力無い笑顔で助けたという民間人についても聞かされていた。伊達がその民間人の元へと訪れた時、丁度捜一の刑事が取調べを行なっていたため、チラと顔を見ただけで伊達と水瀬に面識はなかった。
――何も覚えていなくて……すみません本当に、力になれなくて
うっすらと聞こえた弱々しい声にゾッとしたことを覚えている。伊達の中で水瀬は被害者であり、萩原が助けた民間人だ。気にしなくてもいいだろうことまで気に病む口振りをどうか不安定な状態の萩原には聞かせてくれるなと、薄情にも考えてしまった自身に呆然とした記憶は、伊達の中に嫌なものとして残っている。
「……なんでその子が出てくるんだ?」
「警察になったんだよ、水瀬渚ちゃん」
「は?」
ゴン、といささか大きな音を立てて伊達のもつジョッキがテーブルにぶつかる。衝撃の言葉にフリーズする伊達に得意気に笑った萩原は「似合わないよねぇ」と呑気に刺身に箸を向ける。
「医師免許とって、その後一種受けて警察学校卒業!ガッツあるっしょ」
「医師免許!?」
「そ〜ダイナミクス精神科医」
「待て待て待て、医大出た後に警察学校入ったってのか?」
「うん」
うんじゃねぇ。伊達はとんでもない経歴をもつ水瀬という人物に慄いた。脳内で年齢と事件があったのが何年前かを弾き出し、当時医学生だったのかとギョッとする。医者の卵が爆弾に繋がれていたというのか、万が一水瀬が死んでいたら賠償請求はひどい額だったろうなんて考えてしまった伊達は違う違うと首を振る。そしてそういえば松田の話からダイナミクスやケアの話が絡んでいたなと思い出し、そういうことかと納得した。てっきり警察病院の医者のことを言っているのかと思っていたがまさか警視庁にいる同僚の話だったとは。
「警察やめても食ってけるな」
「そうねぇ」
「じゃあD課か」
「そうそ、でも所轄にもあるケア係じゃなくて安定係ね」
「警視庁にはいろんな課があるな」
名称と医師免許という情報からなんとなく業務内容を理解した伊達は感心したように息をつく。そして萩原に向き合った。
「とりあえず、そんな苦労して警官になってくれた後輩に迷惑かけるんじゃねぇぞ萩」
「なんで俺ぇ!?」
さっきまでの話聞いてた!?とギャンギャン吠える萩原に伊達は本気でダメだぞと言い募った。こういった話において、萩原の信用が著しく低いことを思い出した伊達はあっさりと松田の方を信じることにしたのだ。
「そうそ、諸伏に連絡ってつかないよな?」
一通り騒いで落ち着いた萩原が、スマホを突きながら伊達に確認する。
「ついにエラーになったな。一応電話入れてみたがそっちもだめ、ショートメッセージもアウトだった」
「さすが班長、俺も全部ダメだった」
「降谷は?」
「そっちはまだ届くけどやっぱ返信はないね」
「だよな」
灰皿を引き寄せた萩原が断りなく火をつける。もういちいち確認をするような仲でもないのだ。
「年始に送ったんだけど、その時にはダメだった」
「俺もそれくらいだな……12月初旬は送れてた」
「解約したってことかなぁ」
「拒否されてる以外ならそうじゃないか?故障してもいきなりアドレスがなくなるわけじゃないだろうし」
うーんと考え込む萩原に伊達も難しい顔で頷く。サイバー課であれば詳しいだろう内容だが、刑事部での常識ではこの程度の知識しか出てこない。加えて堂々と調べられる相手ではないこともあって、下手に調査もできないのだ。こうなると公安とは面倒な部署だと思わされてしまう。幸いなことにこれまで担当していた事件を公安に持って行かれたことがない萩原は同僚が奥歯をギリギリとさせて公安を睨んでいた気持ちに少しだけ同感した。
「ばったり会えるのが一番いいんだが」
「俺ハブった時の話してる?」
途端に不貞腐れた声を出す萩原にわざとらしく「いけね」と誤魔化した伊達は最後にあった諸伏と降谷を思い出す。相変わらずめちゃくちゃな降谷とそのバックアップに走り回っていた諸伏。警察学校時代の初期ではどちらかというと降谷を振り回すことが多かったのだが、次第に無茶をすることを覚えた降谷の暴走っぷりは凄まじかった。卒業時期にはものの見事に4人揃って降谷の豪胆っぷりに翻弄され疲弊させれれていたのを思い出した伊達は、再会したときの拍車がかかった降谷を思い出して顔を顰める。諸伏はあれのお守りをしているのか、かわいそうに。
「それもハムだろぉ〜!おかげで何にもしらねぇんだ俺」
本格的にぐずり始めた萩原を雑に慰める伊達は、どうか無事でいろよと似合わない髭を蓄えていた諸伏を回顧したのだった。
投稿日:2022/0901
更新日:2022/0901