育むデプレッション

 自然な流れで松田の車にて送り届けられることとなった伊達と水瀬。最後まで気持ちよく「また行こうぜ!今度は佐藤も行ける時によ」と去っていった伊達にペコペコと頭を下げた。水瀬は財布を出すことさえ叶わなかった。伊達が降りる際に松田に呼ばれ、後部座席から助手席へと場所を移した水瀬は座り慣れてしまっている事に今更ながら気が付き、思わず姿勢を正す。ツードアにも見えるスピリットだが、実はきちんとフォードアだ。ドアは観音開きの仕様となるため、前のドアを開くと後ろも連動して開くようになっている。乗用車らしからぬ開口寸法は車に荷物を乗せっぱなしにしがちな松田には重宝していた。
「すみません、また送っていただいて」
「そう思うんなら車置いてから付き合え」
 予想外の返しにキョトンとした水瀬だが、断りを入れる隙間のない松田の言葉に肯定を返す。車を置いてから、ということは自宅近辺だろう。前の店だろうかと考える水瀬の横で松田は笑った。
「お節介だろ、伊達のやつ」
 声色に全く棘がない。朗らかな様子の松田に水瀬も笑う。本人がいないところでは名前で呼ぶのだから、親しみを込めて班長と呼んでいるのだと理解した水瀬は本当に仲がいいんだなと羨んだ。
「真っ直ぐで気持ちのいい方ですね」
 松田や萩原といった曲者を纏めていたのも頷ける。口には出さないものの水瀬はそう感じた。お節介という嫌な言い回しをしたが、言い換えれば世話焼きということだ。にも関わらず威厳があるのは伊達の芯が透けて見えるほどに誠実で真っ直ぐだからだろう。小さなことでも経験として積み重ねてきたからこそ若輩ながらに貫禄がでるのだ。
「あんたは?同期で飲んだりは?」
「たまたま新卒の子が殆どだったのと、お堅い肩書きがあったせいで」
「遠巻きにされてたと」
 ふ、と笑う松田に水瀬は苦笑する。松田の言う通り、警察学校にて水瀬は浮いていた。偶然にも新卒ばかりの代で周りは年下ばかり、その上どこから漏れたのか水瀬が医師免許を持っているという話が出回っていたせいで一歩引かれてしまったのだ。よく話していた女学生はいたが、一か月程で訓練の厳しさに耐えかねリタイアしてしまっている。
「班の子達はまだ交番勤務で……同期で警視庁に配属になったのは2人ですね」
「へぇ?どこだ?」
「通信司令部とサイバー課です」
 優秀じゃねぇか。松田は内心でぼやいた。どちらの課もある程度の成績を収めなければ一年目で配属となることはまずない部署だ。
「先月配属になったばっかりで、でも特段話したこともない相手なので……」
「あんたから話かけないのかよ」
「会えば話しますよ?」
 自身が認識されているだろうという水瀬の言葉に松田は鼻を鳴らす。
「目に浮かぶな、学科首席で実技ドベ……おまけにお医者様とくればクソ目立ってただろ」
「……なんで成績知ってるんですか」
「わかるだろ誰でも」
 学科はそりゃそうだろうと思っていたが、実技の方は適当に言っていた松田はまさか肯定されると思わず笑う。自宅の駐車場に車を停車させ車を降りる。続けて降りてきた水瀬を確認してキーをロックした。水瀬は松田の自宅の正確な位置を知ってしまいなんとなしに見上げる。4階建てのアパート。コンクリートを打ちっ放しの外壁は新しく、入り口横には自販機もある。本当に水瀬の家から近い位置だった。水瀬の部屋からは角度的に見えないが松田の家から水瀬のマンションは目視できる。
「なんだ?上がりたいのか」
 揶揄うように口角を上げた松田に、水瀬は一拍置いて言葉の意味を理解して驚きに顔を染めてがちりと身を固める。なんだ、ちゃんとこの手の話題には警戒心が持てるじゃないかと松田は少し安堵しながら「ちょっと歩くぞ」と足を進めた。
 
 松田が水瀬を伴って足を踏み入れた店は、こじんまりとしたダイニングバーだった。カウンターとテーブル席があり、バーテンダーは入ってきた客が松田だとわかるな否や「お好きにどうぞ」とニコリと笑う。壁側の奥まった席、観葉植物に遮られて外から死角となる場所へと腰を下ろす。低音のベース音が目立つBGMが薄暗い店内の中で流れており、眠気を誘う柔らかい生地のソファ。カウンター席には席をあけて2名ほど座っており、会話もなく静かにグラスを傾けている。
「珍しいですね、お一人じゃないなんて」
「後輩だ、アードベックのロックと……あんたは?」
「えっと……」
「じゃあジンフィズ」
 バーテンダーからチェイサーと灰皿を受け取った松田は慣れたように注文を行う。にやにやと悪い顔をしてバーテンダーに笑った松田に水瀬はわけがわからないものの「それで」と頼む。少しだけ眉を下げたバーテンダーが下がっていく。
「来た事ないのか、こういう店」
「はい」
「さっきの様子だとまあ、そうだよな」
 喉を鳴らして笑う松田に視線で理由を問えば、ジンフィズというカクテルはバーテンダーの腕が問われるものとして有名なものだという。単純な材料にも関わらず安定して作ることが難しい。個性の出やすいカクテルのためまず初見で頼む客はいないが、水瀬がわからずに松田の提案を飲んでしまったためバーテンダーは松田が売った喧嘩を買わざるを得なかった。水瀬は戸惑いながらチラとカウンターに振り返る。水瀬の視線には気がつかなったのだろう、バーテンダーは淀みなく手を動かしていた。松田としてはからかいもあるが、普段居酒屋などでも水瀬があまり甘い酒を頼むことがなく、萩原が勧めてもデザート類を好んで注文しているところを見たことがなかったという理由もあった。ジンフィズはスッキリとしておりそこまで甘くない。
「気にするな、あいつはそういうの燃えるタイプだ」
 カチリとタバコに火をつけた松田は背中を椅子に預けてため息を吐くように煙を横向きに吐き出す。
「よく来るんですね」
「前に事件でちょっとな」
 バーテンダーをタバコで示した松田になるほどと水瀬は頷く。刑事課ではこういった出会いもあるらしい。内勤一辺倒の水瀬ではまずできない繋がりだ。
「松田さんが頼んでいたお酒は?」 
「ウィスキーだ。酒自体詳しくないのか」
「飲み会以外では飲まないので……」
「にしては弱くはないよな」
「遺伝的に強いんです」
「親が強いからって必ずしもそうとはならないだろ」
「親ではなくて……学生の時に自分の遺伝子調べたので」
 松田の言う親からの遺伝というのもそれなりにあてにはなるのだが、と水瀬は苦笑しながら学生時代に調べたことを思い出す。2学年時、ストレートで大学に入学した生徒が二十歳になる時期に授業で検査と称して調べさせられたのだ。それも通常なら検査キットで簡単に調べられるものを、全て個人で方法を調べて研究室内にある薬品や機材を自由に使用するという投げやりなもの。苦労を思い出した水瀬は遠い目をした。
「あ〜、分解能とかそういう話か?アルデヒドだったか」
「なんで知ってるんですか」
「それくらい一般常識だろ」
 そんなことはない。水瀬は松田の博識っぷりにたまに慄く。
「お待たせしました」
 コースターとともに、コリンズグラスが水瀬の前へと置かれる。氷と共に輪切りにされたレモンが中に浮いておりぱちぱちと炭酸の泡がグラスの中で踊っていた。松田の前にはいかにもといったロックグラスに大きな氷が一つ。深みのある色をしたウィスキーが半ばまで注がれていた。水瀬は恐縮しながらバーテンダーへと頭を下げる。少し驚きながらも甘い笑顔で「ごゆっくり」と伝えた男は機嫌良さげにカウンターへと戻っていった。
「ん」
 右手で上からグラスを覆うようにしてもった松田がバーテンダーを見送っていた水瀬を催促するように声をかける。慌ててグラスを手に取った水瀬は松田のグラスに軽くぶつけた。口を付けると飲みやすい、さっぱりとしたレモンの味が水瀬の喉を通過する。チラ、と正面に目を向けた水瀬は恐ろしいほどこの場が似合う松田に眉を下げた。タバコにウィスキー、スーツのネクタイも普段より少し緩い。サングラスは胸ポケットに引っ掛けられたまま。グラスを傾けて氷をくるくると器用に回しながら松田が口を開く。
「飲んでみるか?」
 水瀬の視線に気がついた松田がほら、とグラスを差し出してくる。一瞬戸惑った水瀬だが気になったのも事実。居酒屋でもあまり直箸を気にした様子を見せなかった松田のことを思い出し遠慮なくグラスを受け取る。くんと匂いを嗅ぐと濃いアルコールの匂い。恐る恐る口をつけた水瀬はピリッとした刺激に驚き目を見開く。水瀬のジンフィスを勝手に飲んでいた松田が息で笑った。
「癖あるだろ」
「びっくりしました……あ、でもなんだか甘い」
「いける口だな」
 好みが分かれるウィスキーだが、水瀬は大丈夫らしい。かつて萩原に飲ませたときは「何これ!?」とギョッとされて突っ返された。礼とともにグラスを戻す水瀬に松田は「回し飲みダメなバーもあるから気をつけろよ」と教えてやる。素直に頷く水瀬に松田はウィスキーを傾けながら問いかけた。
「で?」
「はい?」
 手元にジンフィズを戻しながら水瀬は首を傾げた。
「あの首の傷はなんだったんだ」
 あ、これ尋問だ。水瀬は遅まきながら自分の置かれた状況に気がついた。

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投稿日:2022/0911
  更新日:2022/0911