本能のカウント
松田は、後日D課課長が言っていた「捩じ込んだ」という言葉の意味を正しく理解し痛感していた。水瀬と全く面談にならないのだ。今年採用されたとあって、まだ噂が一人歩きしているタイミングであれば、以前の松田のように予約をキャンセルしたりする者も多かったようだが、じわじわと水瀬の精神科医としての腕の良さが認知され始めたあとはもうびっしりと予約が埋まってしまうような人気具合だった。なんなら備考欄に「可能であれば水瀬さんを担当に」といった要望がで初めてD課が混乱したという噂まで出回った。松田の面談は水瀬の診断により週一回を必須とされておりそれなりの頻度となっているのだが、水瀬とはかち合わない。それどころか最初の面談以降水瀬が担当になることがなく、外部から来ているのだという精神科医のSubが入れ替わり松田と面談を行なっていた。心の底から担当制にしろよと松田は思い、ぽろっとそれを萩原に零したところ、なんと萩原は毎回うまいこと水瀬に当たっているという。
「なんでだよ」
「水瀬ちゃんが最初に担当したのが俺だったからかね?」
Switchならではの抜け穴を使っていることは伝えず、しかし本当のことを口にして誤魔化した。水瀬が警視庁に配属されると知っていた萩原は最初は知り合いの方が緊張しないだろうとD課課長へ密かに直談判し記念すべき最初の面談者という肩書きを手に入れていた。小狡い男である。
しかしながら、本来であれば担当者を固定することが好ましいというのも一理あるのだ。人数が確保できている精神病院などでは患者を担当者ごとに振り分けている場所も存在している。実際松田は毎度変わる担当者に苛立ちを感じていたし、カルテで引き継がれているだろうことを確認するように口にされるのも癪に触っていた。そしてD課課長が言っていた言葉を思い出す。なるほど水瀬という女はかなり優秀だったのだろうと。そして、萩原に「お前Glare漏れてるわ、やばそうよ」とたしなめられ、上司にこれ幸いと直談判し、最初の担当に変えてくれとごねたのである。松田と萩原が古くからの友人である所以が人知れず発揮された瞬間だった。こう言った時上の人間を口で丸め込む胆力と豪胆さを両者ともしっかりと兼ね備えていた。
「松田さんはそんなに難しい問題抱えてないはずなんですけどねぇ」
久しぶりに担当となった水瀬にそれまでの経緯をぶつけるようにして吐き出せば、困ったような顔でそう返される。そこで松田は水瀬が優秀ゆえに扱いを慎重にしなければならないのであろうギリギリのラインの警察官を担当しているのであろう可能性を思いつく。なるほど萩原は確かに不安定になっていることが多々ある。萩原本人は自覚症状がないものの、不安定になると一気にどん底まで落ち込んでしまうことが稀にある。数字で見て自覚すると連鎖的に悪くなる傾向もあるため、あまり推奨されないが萩原は自身のダイナミクスストレス値の変動を把握していなかった。
「うるせぇ、Glare垂れ流してるんだ大問題だろ」
「それはそうなんですけどね……あ、蕎麦屋さんどうでした?」
「あれからどんだけ時間経ったと思ってんだ、もう天かすにされてるよ」
「すごい通ってますね」
常連だぁと笑う水瀬にフンと鼻を鳴らす。水瀬から聞いた蕎麦屋は当たりで、口コミで警察内部で広がっているのか客はほとんど警察ばかりだ。店主であるOBもかなり気さくで、松田を一目で警察だと見抜き、なんなら機動隊であることまで言い当ててみせた。そこから捜査のイロハや心得などを調子良く語ってくれるものだから、捜一に異動した時に活かせそうだと松田は学びにいくように蕎麦屋へ足を運んだ。休憩時間ですらそんな様子であるため店主には「クソ真面目だな、見た目と態度で損するだろ」とそんなことまで言い当てられて苦い顔をしたのも最近の話である。
「担当にはならねぇのか」
「そんな、指名制みたいなものはないので……他の方だとそんなにストレス溜まるんですか?」
「癪に触る」
「バッサリ言いますね」
「しょうがねぇだろイラつくんだから」
「確かにそれだと本末転倒ではあるので、一旦課長と相談しますね」
「そうしろ、お前からも嘆願しろ」
「無茶をおっしゃる」
ケタケタと笑う水瀬は脅すような松田の空気にも飲まれることなく通常運転だ。どんだけ図太いSubなんだと若干呆れた松田は、ふと気になったことを問いかける。
「そういやお前どのタイプなんだ?」
「タイプ?」
「あんだろ、バニラとか」
「ああ……」
警視庁に勤めている警官の数はそれなりに多い。D課は外部から専門家を呼んでいるとはいえ、それでも精神科医の数は多くはない。松田の所見ではローテーションで5名といったところだろうと感じていたため、趣向の系統まで考えて担当を割り振るとしたら確実に数が足りないだろうと思ったのだ。DomにしろSubにしろケアする際に趣向を合わせる必要がある。薬があっていないと病気が治らないのと同じだ。だがだからといって薬にその役目を押し付け、合わない趣向のケアを強要し続けるリスクは相当高い。水瀬はバニラだろうなと思い問いかけた松田だったが、曖昧に笑う水瀬に首を傾げた。
「こちらがストレスに感じるほどガッツリとしたプレイまでしませんよ、そっちはケア係の仕事ですし」
「緊急時はするんだろ」
「それはしますけど、緊急時ですから一時的ですし、私たちはマインドコントロールでどうとでもなるので」
そういえばその手のプロだったか、と納得しかけた松田だがだからと言って趣向を無視していいというわけではないだろうと思い直す。
「そんで?」
言えとばかりに視線を向ければ水瀬は観念したようにため息を吐き出した。
「診断上はバニラでしたけど……相手に引っ張られることの方が多いですし、特に不快感を感じたことはないです。そもそもコントロールしているのでどうとでもなりますし」
「……ありえるかそれ」
「タイプを三つだけに分けるの自体ナンセンスというか、無茶があるんですよ。相手に求めるものを名前をつけて固定化する方が危ないです」
どうやら分類の仕方自体に疑問を持っているような発言をする水瀬にそういえば学者でもあるのかと松田は再認識する。萩原から水瀬が最近論文を出したのだと聞いたばかりだったのだ。
「なら俺もレオから外れることはあんのか」
レオ。相手を虐げたいタイプである。プレイもハードなものが多くなるため、レオと聞いてそっと離れているSubも少なくはない。パーソナルなことではあるので、松田がレオであることを知っているのは古くからの友人である萩原ぐらいである。同期である伊達にはおそらく感づかれてはいるものの、お互い大人のためあえてそんな話題に触れることもなかった。自己申告することもほぼなく、ワンナイトでパートナーを任せる女にもタイプを伝えたことは一度もない。バレることもあるが。
しかし、そんな秘匿情報であってもD課の面談では記入欄が設けられている。ケアに発展することも少なくないことから、自由記入欄とはいえ記入を推奨されている欄だ。2回目以降からは自分で面談の予約を取っていたためその辺りもしっかり書き込んだ松田は、蕎麦屋の店主が推察した通り真面目であった。未記入のまま提出するものも多いのがD課の悩みの種であるため、そんな中しっかりと記入してきた問題児松田の評価がちょっとだけ上向きになったのは余談である。松田は水瀬には知られているだろうと開き直って口にする。事実、そういった話をするための面談なのだ、これは仕事だと松田は割り切ることとしていた。
「書いてある内容だと世間一般でいうレオですね、でもだからと言って趣向の合う人っていましたか?」
「ねぇな」
「そういうことです」
「だいぶ前だがレオだってバレていきなり猿轡持ち出された時は逃げた」
「松田さんからしたら仰天ですね」
当時のことを思い出した松田の顔はげっそりとしている。かなり積極的な相手だったようだと水瀬は察して話題を変える。
「ただ、たぶんですけど松田さんバニラの方も相性悪くないと思いますよ」
「あ?」
「前回お話しした時の私の主観ですけど、一度趣向診断受け直すのも有りかと思いますね……その上でケア施設行ったほうが確実だと」
なら、と松田は火蓋をきる。
「お前が確認すれば早いだろ」
「おっと、そう来ますか……まあ数値的にもケアは多少したほうがいいにはいいんですけど」
面談の終了時間はあと20分ほど、時計を確認した水瀬は観念したように肩を回した。本来の予定であれば、前回と同じような会話でのケアを試みたかったのだが、入室してからずっと無意識に松田のプレッシャーを感じていた水瀬は病院搬送一歩手前なんだろうなと判断する。松田は無意識ではあるものの、スイッチの切り替えがうまい。オンオフがしっかりしていると言えばいいのだろうか、仕事中であればダイナミクスはある程度の安定性を示している。にも関わらず初回以外の面談直後、数値が荒れている。逆に言えば仕事になればダイナミクスを抑え込んでコントロールをしているということだ。松田の上司からの報告でも、Glareが漏れるのは雑談時や休憩時間のちょっとした会話の後だとされていた。センスがいいんだろうと水瀬は少しだけ羨む。水瀬はかなり苦労してコントロールを手に入れたのだ。
「セーフワードは?」
「シュウマイで」
「なんでだよ」
「お昼にシュウマイ食べたので」
なんとも色気のない会話だ。松田は足元にラグをひいている水瀬を見下ろしながらケアの要件にあった注意事項を思い出す。セーフワードの設定は必須。Kneelが可能なのはラグを出した担当者のみ、性的な触れ合いは一切不可。職場であることと応急処置であることを留意し、担当者の指示に必ず従うこと。当たり前のことしか書いていなかったが、どこまでが許容範囲なのかと松田は水瀬のつむじを見下ろした。
水瀬との面談を終えてから、松田なりに考えた。ダイナミクスに左右される警官は確かに民間人から見れば不確定要素の多い、安心できない存在だろう。水瀬の言葉はこうもとれた、街が恐慌状態に陥ってダイナミクスの乱れが連鎖的に起こってもブレない精神を持つことは可能であり、それはプレイで安定させるものではない。プレイが必須となっていない面談を続ければ安定化が図れるということは、日常のプレイの必要性はないのではないか。真面目な松田はそこまで優秀な頭脳でしっかりと導き出し、しかし極端な行動に出ていた。これまで適当に発散していた欲求をあれ以降全く発散していなかったのだ。だからこそ、半ば八つ当たりのように水瀬へそれをぶつけるべきだろうなんて、乱暴な思考に至っていた。
「Come」
強い言葉での指示だったが、水瀬は特に表情を変えず松田へと近寄る。松田が腕を伸ばせば届く程度の距離で止まった水瀬を松田は睨みあげて、再度「Come」と告げる。一歩水瀬が足を進める。
「Kneel」
初対面でもないし、ラグを出したのは水瀬だ。遠慮なくコマンドを出せば水瀬はゆっくりと膝を折って白衣を巻き込まないよう丁寧にラグの上に正座する。通常のペタンと尻を床につけて座る方法では無かったが見下ろす位置に座る水瀬に、じんわりと松田の腹が温まっていく。水瀬へと手を伸ばしかけて、松田はふと停止する。職場の人間だ、下手なことをして後から厄介ごとになるのは面倒だという理性が松田の腕を止めたのだ。
「いいか」
「赤くならない程度であれば」
バチ、とそれなりに派手な音を立てて水瀬の額を弾く。痛みに水瀬が一瞬顔を顰めるも、声すら上げずじっと松田を見返してくる。ゾワゾワと、背筋に這い上がってくる悪寒のようなものに松田は目を鋭くさせた。
「悲鳴も上げねぇか、可愛げないな」
「どうも」
「ついでだ、例の爆弾犯の被害者として話聞いていいか」
松田の問いかけに、水瀬は考えるように視線を落とす。水瀬は松田の上司から私情に走り暴走しかねないという懸念を聞いていた。もうすぐ例の事件があった11月が迫っている。警務部に通達のあった話と特殊犯の萩原の様子からも、今年犯人が行動を起こすのだろう予想は誰もが立てている。松田の立場では捜査の権利を持てない、自分で犯人を捕らえたいのだという気概があるのは悪くはないが、私情が絡むようであれば刑事としてやっていけないと松田の上司は頭を抱えていた。
「どうしてでしょうか」
「知ってるだろ、俺に言わせるのか」
ビリリと松田の声が水瀬の鼓膜を攻撃するように振るわせる。グッと松田が足を伸ばし土足のままラグの上に革靴を乗せる。水瀬の体の両脇に松田の脚が来たと思ったら、グッと水瀬が座ったままのラグをその足で引き寄せた。驚いて体制を崩しそうになった水瀬を難なくその足で支えた松田は冷たい目で水瀬を見下ろす。
「……たとえ警察内部の人間だとしてもきちんと捜査の手順を踏んでいない方にお話をしたくありません」
「…………ホォー?」
「それに、然るべき方にきちんと話しています」
松田の脚がとん、と水瀬の体に触れる。苛立ちを隠すことのない松田の顔を見て、水瀬は気がつかれないようそっとため息を吐き出す。センスがいいと思っていたが、撤回だ。苛立ちを、不満を。全て件の爆弾魔逮捕への動力へ返還させているのだ。それに気がついてしまった水瀬は精神科医、そして警察官として声を発する。
「ねぇ松田さん、どうして今、この状況でそれを聞こうと思ったんですか?」
「あ?」
「ダイナミクスの面談中、コマンドを出している相手に向けて、いつでも制圧できる距離に座らせて」
静かに、静かに。水瀬の声に松田の顔がさらに不快そうに歪む。流石に面談中に何か情報を出せといってくるような刑事はいなかったが、水瀬が全ての指示に従わないことに苛立ちや不快感を見せてくるDomは少なくはない。Domに限らず、Subに関しても欲求が抑えきれず不満を訴えてくるものはいる。その都度水瀬は嗜める。彼らの欲求に応えることは簡単だ、しかし水瀬はケア専門家ではない。ダイナミクス精神科医だ。警察官で、ここは警視庁。日常の業務をスムーズに遂行できるようにするために水瀬はいる。
「コマンドを使って自供及び証言を取ることは禁じられています」
そっと松田の脚の檻から下がる。ラグのない、冷たい床に下がった水瀬を見て松田は徐々に表情を無へと変えていく。
「松田さんの中に、私がSubもしくはSwitchだから、女だから簡単に話すだろうという無意識の思いがあるのであれば、まずはそれを自覚してください」
「は……?」
「私はあなたと同じ警察官です、ときには背中を預ける味方です。それは、あなたの班にいる警官全てにいえます」
「…………」
「周りを信じられないうちは、ダイナミクスのコントロールはどうあっても無理です……だって、松田さんが無意識に見下しているんだから……そりゃ、見下している相手から反抗されれば松田さんのDomとしての矜持が荒立ってGlareくらい出ますよ」
松田の顔を覗き込むようにして水瀬は問いかける。
「ねぇ松田さん、この建物の中にいる人、みんな味方なんですよ?」
喉の奥を震わせる、唸り声のような声だ。水瀬のいう言葉に反感を覚えなかったわけではない、しかしどうしてか反論する気にならなかったのは少なからず水瀬の言葉に松田が動揺していたからだ。
「無意識であっても、周りを下と見るのはある意味で松田さんへのストレスにもなります。常に優位に立っているという無意識は、隙を許さない圧迫感を生みます……矜持を持つことも自信を持つことも悪いことではありません、でもそれはイコール周囲を敵とみなすことにはなりませんよね」
水瀬の顔を無表情で見下ろしていた松田は、水瀬の額がうっすらと赤くなっているのを見てああ、やりすぎたのかと現実逃避のように感想を抱く。力を張っていた肩からごっそりと力が抜けてずる、と壁に寄りかかった松田は蚊の鳴くような声で呟いた。
「悪かった」
ダイナミクスを理由に周りを下に見たことはない、女だからと軽んじたこともないはずだ。ただ、お前なんかに言われなくないと思うことは確かにあった。それらが全て、ダイナミクスを理由としていなかったと言われれば松田は断言ができなかった。現在爆弾物処理班には、松田しかDomが居ないのだ。松田の態度やたびたび漏れていたというGlareからも、周囲の方からDomを恐れる目を向けられてはいたし、それを煩わしく感じていたのも事実だ。
「ひとつだけ確認させてくれ」
「はい」
「制圧云々言ってたろ、お前は俺に傷付けられると思って離れたのか」
キョト、と床に座ったままの水瀬の目が瞬く。そしてゆる、と表情を緩めた。
「まさか、私の先輩にそんな乱暴な方はいません、これが私たちの適正距離です」
大きくため息を吐き出した松田は手で顔を覆って項垂れる。膝に肘をついて、そのうち髪をぐしゃぐしゃに掻き回しそうな気配すら感じた水瀬はアララ、と笑いそうになる。水瀬の言葉全て突っ返される可能性もあったのだが、水瀬が思っていた通り松田はしっかり人の話は聞く人間だ。ただ、あまりにも信念や想いが強すぎて周囲を無視しているように見えるだけ。例の爆弾魔の予告が目前だというのに異動願いが依然通らないことが松田のその信念を凶悪なものへと変貌させていた。水瀬も松田の上司も、それをしっかりと理解していたからこそ対応できたのだ。
そっと松田の右手が伸びてくる。多少落ち着いたのか、気まずい様子はあるものの、ずっとあったプレッシャーも無くなっている。する、と松田の指の背が水瀬のおでこを撫でた。
「加減したんだが」
「痛かったですし」
遠慮しない水瀬の物言いに松田は笑う。松田が前傾していることで近い位置でその不敵な笑顔を見て水瀬はそういえば笑ったところは初めて見たなと少し力が抜ける思いだった。水瀬が距離を取ったのは、松田にとって水瀬もそれだけ距離が必要なほど信頼関係ができていなかったからだ。それが少しだけ、近づいた気がした水瀬は慣れないような手つきで額をなぞる指の温度に再び笑ったのだった。
投稿日:2022/0615
更新日:2022/0615