育むデプレッション

 諸伏の予想通り、降谷は諸伏の提案を全て承諾した。その上追加で、警察庁内で降谷が信用を置ける上司には諸伏の生存について報告をあげるということで話は決まった。心にゆとりが出来た諸伏は水瀬の家への献身に力を入れ始め、あれやこれやと世話を焼き始めた。金銭的な援助についても降谷からゴーサインが出てしまったため警察庁の隠し口座から経由して水瀬へと振り込まれることに。戸惑い拒否の姿勢を見せた水瀬を降谷は「経費だ」と一言で沈黙させた。
 水瀬の面談時の情報の開示請求については手続きにかなり時間がかかるようで、降谷の所属するゼロの力を持ってしても正当法で手順を踏んでいる。そのため水瀬が抱えているものを、諸伏も降谷もそして風見も把握しきれていない。いつの間にか荷物を背負わせていたんだよな、と諸伏はやるせない気持ちを料理を作ることで発散させた。歯痒く思うもこればかりは焦って仕損じた時の代償が大きすぎるのもあって、降谷も慎重になっている。諸伏もそれがわかっているからこそ、できるだけ穏やかに健やかに水瀬の家で過ごしている。風見への定期連絡も追記に作った料理の品名をつらつらと並べている程である。おかげで風見は定期連絡時に飯テロの被害にあっていた。
 諸伏を匿っている間、極力在宅時間を長くしていた水瀬に「気にしないで飲み会とか外出とかしてね」と釘を刺したのもこれらが決定してすぐである。それでも諸伏が軟禁状態なのを気に病む様子を見せた水瀬に「家に俺だけ残してるのが不安?家探しするとか?」と諸伏がへこたれた声を出したことで水瀬は陥落させられた、秒殺である。
 そんな水瀬が諸伏を家に置き、初めての飲み会。万が一を考慮して、今まで通りメールにて帰宅時間を知らせる習慣は続けている。送付先が自宅のPCから、降谷が用意したスマホに変わった点のみが相違点である。水瀬了承のもとGPS情報を諸伏と風見が確認できるよう、水瀬から一定時間おきに両名に通知が飛ぶようにもなっているため諸伏は水瀬が自宅近辺で飲んでいることもすぐに把握した。事前に伊達、松田と飲み会だと報告を受けていた諸伏は、まさか伊達までと驚いたことを思い出しながらこの距離だと松田と2人で飲み直しなのだろうと推察した。浮いた話のひとつもなかった同期が、この時間帯にサシ飲み。0時を回る直前に帰宅した水瀬は飲酒の気配が全く感じられないほどしっかりとした足取りだった。
「おかえり」
「ただいま帰りました」
「松田だろ?変なこと言われなかった?」
 よく言えば男女差別なく暴言を吐ける男である。きつい言い回しも多々あるため、警察学校時代にも複数名女の子を泣かせていたことを諸伏は把握していた。水瀬がそれに屈するほど弱くないというのもわかっているものの、諸伏はポーズで心配を見せた。しかしこれに水瀬が目に見えてわかりやすい反応を見せた。諸伏が知る中で、水瀬がこんなにも動揺を見せたのは初めてだった。
「どうした?大丈夫か?」
「だ……」
 大丈夫じゃないな。公安から手配されていたノートパソコンをパタンと閉じて立ち上がった諸伏に水瀬はワタワタと慌て出す。
「なんでもないんです!何も、なにも言われてないです」
「じゃあなんかされた?」
「されてないです!」
 夜だからか、器用にも小声で叫んだ水瀬はブワワと顔を赤くさせた。え。諸伏はがちりと固まった。「シャワー浴びちゃいます!」と元気いっぱいに脱衣所へと飛び込んでしまった水瀬に、諸伏は慌てて「着替え!着替え持って!!」と声を荒げる羽目となった。

 シャワーを浴びている間に落ち着いたのだろう、すっかり普段通りの水瀬に諸伏は苦笑しながらも飲み物を出してやる。お礼を言いながら受け取った水瀬の顔色はシャワーで暖まったためにほんのりと血色がいい。先ほど見たものは幻だろうかと思ってしまうほど通常運転の水瀬に諸伏は「それで?」と問いかけてみる。
「ごめんなさい、ちょっと動揺してしまって……本当に何にもないです」
「松田と伊達とは同期だって話したろ?何かあったなら遠慮なく言ってくれ」
「……警察学校時代に」
 ん?と首を傾げた諸伏が続きを促した。
「首吊り自殺しかけた人を銃殺したって本当なんですか?」
「…………んんん??」
 猫目を見開いて固まった諸伏は、言われた言葉を噛み砕いて飲み込み処理しようと脳を回転させる。首吊り、は思い当たる件がある、銃も使った。しかし理由も用途も全くずれていて「松田に教えられたのか?」と震えそうになる声を必死に抑えて確認した。言わずもがな笑うのを耐えていた。
「いえ、私が在学中に噂になっていた話で……どうも本当のようなリアクションをされたので」
「ねじ曲がってるなぁ」
 奇しくも伊達と似たような反応をして笑い始めた諸伏に水瀬も笑う。水瀬とて本気で銃殺したなどと思っていないし、校舎の中で首吊り自殺を未遂であろうとした人間がいるとは思っていない。
「正しくは首にロープがかかって死にかけた教官を、銃を使って助けた。だよ」
「……ん?」
「いやあ、すごかったなぁあの時」
 話を逸らされたことを理解しながらも、諸伏は水瀬の思惑に乗せられる。プライベートまで踏み込むことはなるべく避けたい。出歯亀しかけたが、好奇心でこれ以上水瀬の生活を侵すことはしたくなかった。ただ松田に会ったときには絶対に追及しようと決意したが。
 諸伏が嬉々として語る内容は、確かに伊達や松田がいうように絶妙に真実がねじ曲がっていたものだった。水瀬としては純度100%法螺だと思っていた話がその実5割程度は真実だったことに驚きを隠せない。ある代が優秀かつ問題児ばかりだったせいで規律が厳しくなったというのは本当だったのか、と水瀬は諸伏を見上げながら確信した。
「そしたら諸伏さんが銃を使ったんですか」
「ん?いやゼロ……降谷だよ」
 あれ、と水瀬は首を傾げた。伊達の話から、名前が伏せられていた2名の同期は諸伏と降谷のことだと思っていたのだ。警察庁に配属となっていることから降谷が首席なのだろうと推測していた。そのため銃の腕前がピカイチだと称されていたのは諸伏だとばかり思っていた。しかしこれ以上踏み入って聞くことも憚られる、何せ両者とも公安の刑事だ。思い出話とはいえ個人情報であることには変わりないため水瀬は言葉を飲み込んだ。
「松田が壊れていた銃を分解して修理、俺は伊達の上に乗って教官の首に巻きついていた作業員を下から押し上げてただけ」
「だけ……って、バランスもパワーも体力も必要な大変なポジションじゃないですか……」
 でもそれしかしてないし、と本気でいう諸伏に水瀬は少し頭が痛くなった。面談時から感じてはいたものの、諸伏は自己評価がどうにも低い。共同生活の中で補正できないだろうか、と考え始めていた水瀬は不意に松田の言葉を思い出してしまう。
――俺は患者か
 柔らかい声ではあっても、間違いなく水瀬を咎める言葉だった。病人扱いをしているわけではない。けれど水瀬が人と関わる上で「どうするのが最善か」を考える癖はついており、それが常だったのも確かだった。諸伏は潜入捜査中の情報を漏らされ殺されるところだった、そして身を隠し死を偽装する必要がある。確実にストレスを感じる状況下、加えて水瀬の護衛まで行っているため水瀬からすれば休まらないだろうと思ってしまう。
「なあ一個聞いてもいい?」
 思考に沈もうとしていた水瀬を引っ張り上げた諸伏は水瀬が頷いたのを見て笑みを深める。
「伊達と今日飯行ってどう思った?水瀬さんから見てあいつってどんなやつ?」
 ぱち、と目を開閉させた水瀬は一拍ののち口を開く。
「言動から豪快に見られがちですけど、周囲への気配りだとかを……気配りと思わせずにこなせるような器用な方ですかね?」
「へぇ……例えば?」
「私だけ年下で、女という状況なので……自然と話題の中心を私に持っていってくださってました。松田さんとお話ししたいことも沢山あったと思うんですけど、思い出話も常に私に聞かせる前提でしたし……それを心底楽しそうに、嬉しそうにできてしまう寛容さは誰にでも好かれるな……と思います」
 喋りすぎた、と水瀬はパタリと口を閉じだがもう遅い。諸伏はニコニコと笑みを深めて腕を組みそして照れ臭そうに咳払いを零す。
「水瀬さんはそうやって人のいいところとか、すごいところを言葉にするのが上手いね」
「そうですかね……?」
「どんな極悪人でも水瀬さんから見たらいいところあるんだろうなって思うよ」
 そんなことはないと水瀬は首を振るが、諸伏は本気でそう考えていた。美化までいかない、太鼓持ちのような態とらしさもない。水瀬が本気でそう思い、考えているのだというのがわかる。直接自分にぶつけられると最初は戸惑うが、こうして他人の評価を横で聞くと水瀬がいかに相手を直視し、分析しているのかが諸伏はわかった。最初に面談を行ったときに、水瀬のトークスキルについて感動を覚えたことを思い出す。誰に対しても全力で誠実だからこそ、公安の刑事では絶対に会得が不可能なスキルだと気がついたのはこうして生活するようになってからだった。諸伏は仕事でここまで個々人に対して真っ向から向き合うことができない。そこまで相手に割ける心の許容がないからだ。それを平然と、面談者全員に向けてやってのけているのだから水瀬の能力の高さや人間性の良さが浮き彫りになる。諸伏はため息を一つ零し水瀬をじっと見つめた。
 ただ、それを水瀬の許容が大きいの一言で済ませていいとは思えない。どこかしらで無理を強いているのは間違いないからだ。
「ここは君の家だ、俺に対しての不満……なんでもいいから一ついってみて」
 突然変わった話題に水瀬は「え」と声を発した。
「俺の不満は水瀬さんがいつまで経っても俺に対して気を遣ってるってことかなぁ」
 逆に言えば、水瀬は人に対して不平不満を滅多にこぼさない。降谷に聞いたところ襲ってきたという生活安全課の男には棘のある言葉を発していたらしいが、降谷からすれば十分すぎるほど丁寧に対応していたのだという。結果として相手をつけ上がらせてしまったらしいが。首の痕と水瀬自身が爪で傷をつけてしまった部分の手当ては毎日諸伏が行っていた。もうすっかり完治したが、痛々しい痕にもかかわらず水瀬の口から男への恐怖や怒りの言葉がこぼされることは一度としてなかった。もちろん同じ男である諸伏に怯えることもない。だがだからといって何も思わないわけがないのだ。水瀬とて人間、負の感情がないなんてありえない。
「なんでもいいよ、思いついたこと」
「えっと……」
 ウロウロと視線を泳がせる水瀬は必死に頭を回す。また松田の言葉が頭の中でリフレインして、つい諸伏を見上げて常人よりも色素の薄い目を引く瞳の色を見つめる。特徴的なアイスブルーは水瀬を見下ろしている。長い睫毛が影を落とし、くっきりとした二重瞼がゆったりと細められた。患者の顔ではない、人を案ずる警官の目だった。
「…………あんまり遅くまで起きてるのは……ちょっと気になります」
「……バレてた?」
 へにゃ、と眉を下げて笑った諸伏の顔はどうにも嬉しそうで水瀬はもどかしくなって視線を落としたのだった。

 - return - 

投稿日:2022/0918
  更新日:2022/0918