鴨跖草の遺言
捜査一課に犯行予告らしきものが届いた。普通郵便で警視庁に到着したそれは見慣れぬ言語で記された長文の手書き文書。それがドイツ語らしいと気がついたのは白鳥で、しかし全文を和訳するには能力が足りず手が空いている捜査一課面々で辞書片手に項垂れていた。大きな山を片付けたばかりの伊達と、伊達とバディを組んでいる河野、同じく松田と佐藤。伊達と松田がいるのであればとどういうわけか呼び出された萩原。「俺業務あんだけど」
「相棒が風邪ひいて休みなら外回り行けないだろ」
伊達の言葉に唇を尖らせながらむっつりと不貞腐れた萩原は、ため息を吐きながら辞典を捲る。青いインク、手書きでびっしりと並ぶドイツ語に誰もが辟易としている。
「白鳥はなんでいないの?」
「白鳥くん、今日は研修なんです」
キャリア組が受ける必要のある研修で、と佐藤が申し訳なさそうにして萩原に頭を下げる。佐藤にそう言われてしまうと強く出ることができない萩原は「しょうがないね」と苦笑する。萩原の内心を読み取った松田が鼻で笑った。
「単語で調べてもこんなに理解できないなんて」
物騒な単語と湾曲した表現が並べられた文章。分担して和訳を続けているがどうにも比喩表現が多く苦戦していた。河野が「終わらない」とペン片手に項垂れる。文法は英語に近いとはいえ相違点は多い。とりあえずはと単語を頭から調べているもののどうにも内容が暗号めいている。徐に立ち上がった松田は「タバコ」とだけぼやいて退室した。萩原はついて行こうかと一瞬考えるも、松田がジャケットを椅子にかけっぱなしにしていることに気がつく。タバコもライターもジャケットの中。どうやらタバコ以外の理由で退室したらしいと察して萩原は椅子に腰を落ち着かせた。
「22a……なんのこと?」
「封筒に書かれてた文字か……鍵なんだろうがまず中身が読めないんじゃな」
証拠品になる可能性もあるため、文書はすでに鑑識にかけて指紋鑑定を行っている。何も出なかったため余計に慎重にならざるを得なくなり、コピーをした本文を各々で確認しているというのが現状である。封筒に関しては現物を袋に入れてこの場においているため、佐藤が袋を掲げて「うー」と唸った。何せ文書が全部で210ページという驚異的な数。まだ1割も終わっていないことに佐藤は机に突っ伏した。22という数字を安直に考えて河野が真っ先に22ページの和訳を終えたが、物騒な単語こそ並んでいたが他のページと大きな違いはなかった。ただの悪戯の可能性が高い以上人員を避けるわけもなく、なんなら佐藤と松田の2人だけでの作業になる可能性の方がずっと高かった。
「喜べ助っ人だ」
「こんにちは……?」
「え!あれ!水瀬ちゃん!?」
戻ってきた松田は、困惑した表情をした水瀬を連れていた。だらけきって椅子に姿勢悪く座っていた萩原はギョッと身を起こして水瀬へと体を向ける。
「面談時間じゃないの?」
「キャンセル出てここから先はもうなしだと、D課課長にも断り入れた」
ガタガタと椅子を引きずりながら松田は水瀬を無理やり座らせる。松田が使用していたパイプ椅子に座らさられた水瀬はいまだに状況を把握できていないのだろう目をウロウロとさせていた。敏感にそれを感じ取った佐藤は松田を睨む。
「松田くん説明はしたの?それに助っ人って」
「ドイツ語読めるんだよ」
「すごいなそれは」
伊達が感心した声をあげる。D課執務室の本棚に敷き詰められていた医学書の中にドイツ語のものがあったことを記憶していた松田が、このままでは埒があかないとD課に突撃し都合よく執務室で論文を眺めていた水瀬を拉致したのである。もちろんD課課長にもその場で頼み呆れた様子で見送られた。松田は自分が使っていた資料を水瀬へと渡し行儀悪く机に腰掛ける。
「昨日うちに届いた怪文書。ドイツ語で書かれてる、解読頼む」
「雑だな」
河野が笑って松田の横暴っぷりを指摘したが代わりに伊達が愛想笑いで答えた。視線で松田に促された水瀬は分厚い資料の一枚目を手に取る。筆記体で記された中身は確かにドイツ語だが、水瀬はすぐに顔を顰めた。
「何かわかった?」
期待したように萩原が顔を寄せる。ニコニコと笑みを浮かべる萩原に水瀬はええと、と口籠もりながら最初の数行を読んですぐに顔を上げた。
「童話の引用だと……」
「童話?」
「カエルの王様に出てくる諺が……ここです“鉄の帯が外れる”……他にも“森の泉”だとか“金の鞠”だとか……」
文章を指さしながら答える水瀬になるほど直訳でも意味が分かりにくかったわけだと伊達が頭をかく。
「210話あるんだなグリム童話って」
会議室に備え付けられていたパソコンを操作していた河野が検索結果を全員に見えるようにディスプレイを傾けた。ドイツ語、童話ですぐにヒットしたグリム童話という単語に河野ははぁとため息を吐き出した。
グリム童話集は、ヤーコプとヴィルヘルムのグリム兄弟が編纂したドイツの昔話集だ。地域に伝わる物語や噂、それらを纏めたものであり創作ではない。正式なタイトルは子どもと家庭の昔話集であり、多くの昔話が世界各国から集められている。
「じゃあ、1ページごとでその童話を書いてるってだけ……?いたずら?それにしては物騒な単語もあったけど」
佐藤が少しだけ安堵した声をあげながらもう一度紙を見下ろす。
「水瀬」
松田がテーブル中央にあった封筒をたぐり寄せ、水瀬へと向ける。松田の声で名前を呼ばれることに慣れない水瀬は反射的に封筒を受け取る。マチのある茶封筒は近くの郵便局の消印の割に封筒の角が傷んでいる。警視庁の住所と、端に「22a」の文字。指先で文字をなぞった水瀬は考えながらも河野へと声をかける。萩原は自己紹介も何もなかったことから予想は立てていたが、河野も水瀬と面識があるらしいと確信した。
「22番目の話って差し替えがあったんだと思うんです、元の話ってなんてタイトルですか?」
「差し替え?」
「あまり家庭向きではないメルヒェンもあるので……よく聞きません?本当は怖いグリム童話」
メルヒェン、ドイツ語で昔話だ。聞き覚えのあるフレーズに萩原は頷く。確か最近の映画などでもその類のものがあったはずだ。萩原自体は見ていないが、総務部の婦警がホラー映画だったと半泣きになっていた。
「あった、22aでラベリングされてる」
第二版で「なぞなぞ」という話に差し替えられた、元の話のタイトル。全員が視線を向けて顔を顰めた。
「“子どもたちが屠殺ごっこをした話”……?」
「とさつ?」
「家畜とか殺すときに使う言葉じゃなかったか?」
「そんなタイトルがある本を児童書として売り出してたの?」
佐藤は呆然とする。タイトルを聞いた水瀬は唸った後、スマホを操作する。横から覗き込む松田は水瀬がドイツ語で検索をかけ、長文のページを開いたをの確認する。物騒なタイトルの話を確認しているのだろう。
「問題は何を示唆しているか、だ」
「ガキが殺しをする話なんぞ嫌な予感しかしないが」
「未成年が殺人未遂なんてあったか最近」
「未遂なら少年課で話が止まってるかも……でもそんなニュースも聞き覚えがないです」
河野の疑問に佐藤が首を振る。強行犯係が4人いて思い当たるものがないのであれば、佐藤の言う通り捜査一課にまで話が上がってきていない可能性が高い。萩原も自身の記憶にある限りを思い起こしたが、やはり該当するような事件はない。それともこれから起こすということだろうか、と議論を進めている間に水瀬がスマホをテーブルに置く。肘をついて額に手を当てる様はわかりやすいほど辟易としている。
「概要は?」
松田が水瀬へ問いかける。
「2話構成の話です、子供が起こした殺人を罰するべきかどうかが軸になっています」
オランダのとある町で、子供たちがそれぞれ役割を分担して"屠殺ごっこ"を始める。ごっこ遊びのはずが、屠殺屋役の子供が豚役の子供の喉を本当にナイフで刺して殺してしまうという事件が発生する。当時の法では殺人者は死刑となるのだが、当事者がまだ幼い子供であるため死刑が相応であるかどうかで議論は難航する。そこで判断基準として以下の方法をとった。
リンゴと高価な金貨を左右の手に持ち、子供にどちらか一方を取らせる。もし子供がリンゴを選んだら全くの無知ゆえの事故であったと見なして無罪、金貨を選んだら価値判断の分別が備わっていた上殺人犯として刑に処す。金貨をとれば死刑という究極の状態を、もちろん当人である子供は何も知らされないまま無邪気に選択をした。
「選んだのは?」
「リンゴです、子供は無罪放免となります」
萩原の問いかけに水瀬は答える。表情が硬いことを見てとった松田は無言で続きを促す。
第2話はさらに酷い話だ。第1話と同じく、とある兄弟が父親の真似をして"屠殺ごっこ"を始める。屠殺屋役の兄が豚役の弟の喉をナイフで刺して殺してしまった。まだ赤ん坊の三男を風呂に入れていた母親は、次男の悲鳴を聞いて駆け付ける。キッチンで喉から血を吹き出して絶命している息子を目撃し錯乱した母は、弟の喉に刺さっていたナイフで兄の心臓を刺して殺してしまう。しかし悲劇はそれだけに留まらない。目を離した隙に赤ん坊が浴槽で溺れ死んでしまったのだ。母親は悲しみのあまり首を吊って自ら命を絶つ。
「……それ父親は?」
「家族全員が死んだ家に戻り、現場を見て気が狂って死んでしまいます」
「どこが子供と家庭の昔話!?」
「ある意味ではその通りだろ」
「子供と家庭で起こった事件話、童話とは言い難いな」
「差し替えられるわけだ」
河野が顔を覆う。重たい空気が漂う会議室の中で、伊達が徐に声を上げた。
「……覚えがある」
「は?」
「大学の時に住んでたアパートで、似たような事件があった」
投稿日:2022/0922
更新日:2022/0922