鴨跖草の遺言
伊達が思い起こした事件は、6年前のものですでに解決済みの棚に収容されていた。「安いアパートでな、二階建ての平家で確か全部で20部屋だったか……具体的に言えば10部屋が2棟に分かれて、ワンフロア5部屋で建ってた」
「警察学校入るまでそこに?」
「いや、事件がきっかけで取り壊されたんだよ。俺もその時別の場所に引っ越してる……二十歳の時だったはずだ」
大学から程近く、築年数の長い古家。伊達はそこの2階角部屋である220号室に住んでおり、当時は自転車で大学まで通学していた。
「事件が起きたのは俺が大学2年の時。211号室に住んでた家族が父親を残して全員死んでた」
大学生や一人暮らしのものばかりが住むアパートにも関わらず、その家族は5人暮らし。子供が3人もいる状態で暮らしていた。捜査資料にある詳細を眺めながら萩原は眉を顰める。親である藤田夫妻は、夫が24で妻が22。第一子は妻が17歳の時に生まれている。若くして子供が生まれてしまって苦労していた、直接表現はどこにもないが容易に推し測れる。5人で暮らすには余りに狭い間取りだった。
「子供2人は刺殺、生まれたばっかだった末っ子は溺死……奥さんは自殺だったろ?」
資料を見ていた萩原に伊達が確認のように問いかける。萩原はうなずいて事故現場の写真を眺める。遺体の写真も残されている。無惨と言って差し支えないだろう惨状が記録されていた。第一発見者は夫。警察にて事情聴取が行われる際、DVの線を疑われ取調室で暴れ精神病院に移された。そして病院にて飛び降り自殺。伊達も父親の件は気になったようで、警察になってから個人的に調べていた。結果酷い最後だったため気を落とすことになったと伊達は語る。
「そのままだな」
「類似点はある、だがだからってこの手紙と関係あるかはまた別だからどうとも言えんが」
警察になる前、学生の時に起きた事件。伊達も印象に残っていた。最終的には妻による無理心中として事件は片付けられている。資料を捲る萩原は、とあるページで手を止めた。
「そうですね、どう繋がってくるのかも不明ですし」
「……いや班長の勘は正しいぜ」
佐藤の言葉に不適に笑いながら萩原は見ていたページを全員へ向ける。コピーされた何かの紙。手書きで記された、数字がびっしりと書き込まれた紙は参考資料として挟まっていた。
「青いインク、それに筆跡が……!」
「同じだな、妻が着ていたエプロンのポケットに入ってたらしい」
「遺書かもしれないってことでコピー残したのか」
間違いない、手紙を送って来た人物は何らかのメッセージを警察へと示している。その上6年前の一家心中事件の関係者だ。途端にきな臭くなってきた内容に一同身を引き締める思いで6年前の遺書を見つめた。
「でも、だとしたら6年前のこの事件も発端は子供が誤って弟を殺してしまったから起きたってこと?」
「そこまではわからない……だが6年経った今こうして引き合いに出してくる理由が何かある」
暗号のような数字だけが記された遺書を佐藤が人数分コピーしてくる。しっかり水瀬の分も用意されていたため河野は苦笑してしまう。もう定時は過ぎているが、水瀬がいた方が助かるのも事実だ。
「水瀬さんはグリム童話好きなの?」
佐藤の問いかけに水瀬は首を横に振る。
「単にドイツ語の勉強用の教材の一つで使ってただけです」
「ドイツ語わかるってすごいなぁ、喋れるの?」
「一応」
ひゅう、と萩原が口笛を鳴らした。医療用語にドイツ語が多いのもあって、医者にとってドイツ語が読めるというのは特段ステータスにはなり得ない。論文がドイツ語で出ることも多く、学会でもドイツ語で発表する学者も少なくはない。
「数字と該当ページで参照……仮に数字2つで1組だとしたら、そのページにある何文字目を読めってことかしら」
佐藤が遺書を手にうんうんと唸る。例えばと言って遺書の数列を2指差し、ページと単語を参照するとVogel、小鳥の単語。同じ要領で次々と単語を引っ張ってきては手元の紙に書き起こしている佐藤を横目に松田は遺書の数列を透かすようにして眺める。いまだにテーブルに腰を下ろしたままだった松田の横で水瀬も同じように数列を縦に横に読んでいく。捜査資料を頭から読み込んでいた萩原は、現場に食べかけのリンゴがあったこと、小銭がばら撒かれていたことを知り眉間に皺を寄せた。水瀬が語った物語と類似点があまりにも多い。物語に沿って何者かが現場を荒らしたと考えた方が自然だと思えるほどだ。育児に疲れ途方に暮れた母親が錯乱とともに心中。壁が薄い家屋だったことから子供の声で近所トラブルになることも多く、家賃の滞納もあった。室内は荒らされていたものの金品の類は取られておらず、部屋から第三者の指紋や痕跡も出ていない。藤田惠という名前とともに貼られた首吊り自殺を行なった母親の生前写真は高校在住の頃のものなのだろう、制服を着た物だった。
「気持ち悪りぃな、こんだけびっしり書き込まれてるくせに同じ組み合わせが一度も使われてない」
ボソ、と呟いた松田に水瀬がギョッと顔を向ける。
「……見てわかるんですか?」
「見りゃわかんんだろ」
ええ、と水瀬は困惑した顔を松田に向ける。言われてみれば確かにと思わなくもないが、見ただけでわかるものではない。佐藤と同じく松田も数字はペアで使用すると考えている。実際数字は偶数個、均等に並べられている上に前側に書かれている数字の最大数は210だ。まずページ数と見ていいだろう。
「佐藤がやってるやり方が本命だろうな、萩それもう読んだのか」
「はいよ」
頷きながら松田に資料を手渡す萩原の顔は険しい。
「それは?」
「ちょい調べるから後で渡す」
ファイリングされていたものを一枚抜き取っていたのだろう、何かの一覧を手に持ったままの萩原はそのまま退室してしまう。佐藤の作業を手伝っていた伊達と河野は怪訝そうに首を傾げたが佐藤にせっつかれて再び210にもわたる紙を捲り頭から数える作業に戻る。
「班長、他に6年前の事件で気になったことはないのか」
資料をめくりながら松田が問いかける。作業の手を止め、伊達は難しそうに顔を顰めた。6年前、それもただ同じアパートに住んでいただけという関係だ。伊達が受けた調書も簡易なもので情報らしいものはない。
「家族の死亡推定時間、確か昼間だよな」
「ああ、お前は大学に行ってる時間だったらしいな」
そうだったか、伊達は松田の言葉に曖昧に頷きながら一家とも接点がなかったと答える。根本的に生活リズムが合わなかったのか、一家の顔すら伊達は知らなかった。
「子供がいるのは夜泣きを聞いたことあるから知ってたが、それくらいだな……」
「近所付き合いなんてそんなもんだ、他の住人も似たり寄ったりな証言だな……あ?」
ある調書に記された名前を見て松田は動きを止める。どうしたのだという視線を集めた松田は、考えるように顎に手を当てて黙り込む。水瀬が資料を覗き込めば、住人の事情聴取の中身でページは止まっている。
「こいつ、前に爆破事件で死んだ被害者だ」
「確かか?」
「今萩が調べに行ったのもこれだろうよ」
資料を全員に見えるようテーブルに戻しながら、調書の頭に記されている名前をコツコツと指先で叩く。松田が爆発物処理班、萩原が特殊犯係で担当していた事件ででた被害者の名前だった。
「最初はガス漏れでの爆発騒動だったんだが、捜査中の機捜が不審物を発見して処理班が急行した」
「陣平ちゃんが見事に解体した後、特殊犯で捜査したってわけ〜」
松田の説明に被せるように萩原が入室とともに説明を続ける。
「カプセルホテルの給湯室での爆破騒ぎ、利用していた男――芝田勝政が巻き込まれて死亡。給湯室を調べたところ、不発だったのか爆発物と思わしき不審物が発見された」
「じゃあ、事故死ではなく殺人?」
「その線を追って特犯で捜査してたんだけど、芝田の遺書が出てきて結局自殺で終了。爆発物も自分で用意したって内容だった」
「その芝田が6年前ここに住んでた?」
河野の疑問に萩原が頷く。氏名、生年月日が一致。おまけに旧住所を念のため確認したところ見事アパートの住所が浮かび上がった。108の住人だったらしい。萩原が伊達に問いかけるように視線を向けたが、伊達は険しい顔のまま首を振る、やはり記憶にないらしい。
「おまけにこれ、当時は芝田のとったメモだと思って碌に調べてなかったんだけど」
萩原が持ってきた資料の中から一枚の写真を取り出す。芝田が止まっていた部屋の電話台に置かれていたメモに書かれていた数列を見て全員が息を呑んだ。
「……青文字の数字」
ごくりと誰かの喉がなった。
投稿日:2022/0925
更新日:2022/0925