鴨跖草の遺言
「事件当時、アパートは4部屋空いていてそれ以外はほとんど単身者が居住していた」
萩原がファイルから取り出していた居住者名簿をテーブルへ置きながらゆっくり語る。藤田一家を除き102号室が老夫婦、それ以外は単身者での居住である。
「芝田と伊達を除いて15名……洗い直した方が良くないですかね」
年長者である河野に萩原が問いかければ、河野は頷いてテキパキと指示を出す。
「佐藤と松田はリストの8名、萩原と……悪いが水瀬さんは残り7名を調べてくれるか」
素直に頷く水瀬に河野が苦笑するも、すぐに硬い表情で伊達に向きなおる。
「伊達、お前は当時のことなんでもいい、些細なことでもいいから思い出せ。アパートに関すること居住者に関すること……それと最近何もないな?」
言外に伊達が狙われている可能性を示唆した言葉に佐藤が息をのむ。もし芝田の死が自殺ではなかったとしたら。カプセルホテルの部屋に何者かが侵入していたのは確かだ。6年前からひと続きとなっている可能性が出てきたことに佐藤はブルリと体を震わせた。表現し難い悍ましさがシンとした空間にのっぺりと張り付く。
「今のところ……とは言っても所轄でも事件続きだったので勤務中を除いてですが」
普段通り、落ち着いた伊達の返答に河野は伊達の肩を撫でるように叩き松田と萩原に振り返る。
「同期だったよな、しばらく伊達を泊めてやれ」
「しばらくむさいなぁ」
「しばらくタバコで燻されるなぁ」
萩原のいやそうな言葉に伊達もすかさず返す。ぶはと耐えきれず笑った萩原を見て河野も大丈夫だと判断したのだろう報告のため勇足に会議室から出て行った。河野が報告を終え、捜査が本格的に始まれば水瀬の助力は不要となる。正しくそれを理解していた萩原は「もうちょいよろしくね」と笑った。伊達が6年前の資料を手に取り見送る姿勢をとる。
「そっちは頼むな」
「班長もなんでもいいから思い出せよ〜」
「まずは住民票の照会……と行きたいところだが、この時間はお役所が閉じてる。本格捜査が始まれば叩き起こせるが今は無理だから、警察内で調べるしかない」
佐藤と松田の後を追うように歩く萩原は水瀬に説明を始める。刑事捜査などこれまで行ったことがないだろう水瀬に対するものだ。チラと振り返った松田に萩原は笑みを返しながら、水瀬へと視線を向ける。
「刑事部じゃなくても資料の閲覧に関しては警察官である限り誰でもやっていい作業だ」
「はい」
「……付き合わせてごめんね?」
萩原の言葉にキョトンとした顔をして見せた水瀬は一拍後首を振る。資料室についたため、佐藤がカードキーを差し込み入室のための操作を行う。
「ご指導よろしくお願いします」
「うう〜!女の子の後輩が欲しい!!」
「バカやってないでさっさとやるぞ」
両手で顔を覆い、まるで乙女のようにシクシクと鳴き真似を始めた大男に、松田は容赦なく膝蹴りを喰わらせた。「痛い何するの!」と騒ぎながらも萩原も急足で部屋へと入っていく。同期に命の危険が迫っているかもしれないのだ、普通に見せていてもやはり思うところはあるのだろうと佐藤と水瀬は目を合わせて苦笑し合う。室内は圧迫感を覚えるほど資料が積まれており、水瀬は大学の図書館を思い出した。可動式の本棚には年月日のみがラベリングされており、天井までぎっしりとファイルが詰め込まれている。日焼けを避けているのか、はめ殺しの窓には遮光カーテンが掛けられており蛍光灯の灯りだけが青白く室内を照らしていた。
「探す案件が6年前以降でまだよかったわ、これで調べられる」
そう言って佐藤がポンと手を当てたのはパソコン。壁際、大量の資料が収められる中で3台のパソコンが並んでいた。電源を2台入れながら松田が佐藤に続いて口を開く。
「詳細までは無理だが、被害者、容疑者、第一発見者くらいならこれで叩けばヒットする」
興味津々と言った様子で松田がノックするように叩いたパソコンを眺めた水瀬は頷く。微笑ましいものを見るような視線で萩原が水瀬のつむじを見下ろしながらパソコンの前の椅子をひき水瀬に座るように肩を押した。
「調書も資料も全部PDF化してデータ化してるけど、検索してヒットはしないし……8年前からやっと事件名だけじゃなく被害者の名前とかでも調べられるようになったんだよな、あと印象に残る遺留品とか」
「遺留品?」
「普通の事故現場で見ないような……例えば猫の首輪が残った主婦の自殺現場なら“猫 首輪”とか」
「なるほど……万が一似たような遺留品が出た時にすぐにヒットしますもんね」
「そうそう」
「私もこんな素直な可愛い後輩欲しかった」
萩原と水瀬のやりとりを横で見ていた佐藤が耐えられないとばかりに両手を顔で覆った。佐藤の初の後輩、そして初の教育担当は松田である。可愛げのかけらもない年上の、厳密に言えば後輩でもない男と水瀬の素直さとフレッシュさに当てられた佐藤は起動に時間がかかっているパソコンの前で嘆いた。萩原がふざけてこぼした言葉と違い、佐藤の言葉は力一杯全力の嘆きであったため萩原は思わず吹き出す。当事者であるはずの松田は佐藤を完全に無視した。ポーズを萩原と同じにしたのはあえてだろうが、言葉は本気でしかない。笑い続ける萩原に松田はひくりと頬を引き攣らせた。
「水瀬ちゃんと佐藤ちゃんはパソコンで住人の名前検索して、ヒットしたら教えて。資料は俺と松田が引っ張ってくるから」
高いところにもある資料、そしてこぞって分厚く重いため自然と男女で分かれての作業に誘導された水瀬はそうとは知らず頷く。
「佐藤、検索の仕方水瀬に教えてやれ」
「わかってるわよぉ」
じっとりと松田を睨んだ佐藤は、切り替えるように水瀬へと向き直る。1人目は一緒にやりましょうと微笑む佐藤に水瀬はお願いしますと頭を下げた。佐藤が感動したように口を覆う。佐藤が哀れに思えてきた萩原は肘で松田を突いた。
「もうちょい素直になったら?」
「素直だろうが」
「松田くん黙ってくれる?」
佐藤の睨みにわざとらしく肩をすくめた松田は付き合っていられないとばかりに欠伸を漏らした。
まずは名前を漢字表記で検索する。今回は被害者に絞って検索するため検索ボックスの「被害」の欄にのみ入力を行う。ヒットすれば生年月日を確かめ、合致するものが一つであれば事件名とファイルナンバーを控える。次にカタカナ表記で検索、名字のみの検索と少しずつ検索範囲を広げていく。今回は事件の発生時期が限られているため、「事件発生」の欄に例のアパートでの一家心中日以降という条件も加える。妙な音を立ててパソコンが検索結果を画面へ吐き出した。
「……どっちも出たわね、松田くんお願い」
デスクに置かれている付箋にナンバーを書き殴った佐藤はそれを松田へ渡す。水瀬も習ってナンバーを記入し「お願いします」と萩原に手渡した。いきなりどちらもヒットした時点で松田と萩原の表情は硬い。付箋を受け取った2人は棚の向こうへと消えていく。
「漢字表記でヒットしたけれど、一応カタカナ表記と名字のみの検索もしておきましょう……念のため、容疑者でも検索しておきましょうか」
「ちなみに、被害者でヒットした場合って必ずしも亡くなっているわけじゃないんですよね?」
「もちろん。検索方法によっては御遺体の名前で検索もかけられるけどあくまで今は事件として一度でも警察で扱ったことがあるかどうかで調べてるから」
手を動かしながら水瀬は真剣に佐藤の説明に耳を傾ける。
「ナンバーがわかってもこの部屋にあるとも限らないから、この作業は早さ勝負なのよ」
「倉庫などに移動してるんですか?」
「そう、ある程度古くなったり解決済みだったりすると倉庫へ……それと警視庁から所轄へ捜査権が移るものもあるから、その場合は所轄に行かないと資料がないわ」
「そういうこともあるんですね……捜査ってやっぱり複雑ですね」
パソコンが古いからか、それとも膨大なデータを参照しているからかなかなか検索状態から切り替わらない。早々にパソコン操作組と資料発掘組で分かれた理由を水瀬は察した。1人でやるには時間がかかりすぎるだろう。
「当たり前かもしれないんですけど……事件として立件されていないと資料として残らないんですよね?」
「警視庁ではそうね」
ノーヒットの画面がでた佐藤が2人目の検索を始める。水瀬が調べた男の苗字がありふれたものだったため検索に余計時間がかかっているようだ。
「萩原さんがもって来てくれた芝田の事件も、爆弾があったから警視庁に回ってきただけで……そういった事件性が見られないようなものは所轄で捜査する流れになるわ。管轄がどこになるかだけの違いね」
住人の応答がないからといって大家と共に近場の警察が立ち会い、家宅捜索および生存確認を行うのだって捜査だ。少なからず調書も残る。ただし所轄が扱う事故死の案件は非常に多い。だからこそ警視庁が扱う事件と比べると証拠の取り方や捜査が甘くなることも多々ある。
「ダイナミクスの診断結果みたいに、警察でも役所が更新した戸籍を常に見られたら楽なんだけどね。そしたら生死だけでもすぐにわかるのに」
「あれはあれで色々と問題もありそうですけどね」
事実、病院と役所の両者で確認できるシステムを構築するまでに多くの課題と問題に直面し、関係各所はその対応に追われながらも反対の声によく上がる、情報漏洩についての可能性や管理方法の徹底に右往左往したという。本来であれば、いくら医療機関とはいえ患者の情報を常に共有することはほとんどない。だが、ことダイナミクスに関しては急を要することも多いこと、また精神科医にとどまらず内科や外科、さまざまな分野において共有せざるを得ないことが多いためにシステムの構築がなされたのだ。政治家がマニフェストとして掲げるくらいには時の話題となり、多くの税金が注ぎ込まれた。佐藤も水瀬の言外の言葉に気が付いたのだろう、精神科医も大変そうだと苦笑をこぼした。
投稿日:2022/0929
更新日:2022/0929