鴨跖草の遺言
捜査一課が本格捜査に乗り出して、水瀬は一時お役御免となった。場合によってはドイツ語の翻訳を頼むと宣言はされたが現状では捜査一課にて完結されるつもりらしい。「暇なら手伝えって言っといてひどいよね」
むっつりと顔を顰めて文句をいう萩原は、大きくため息を吐き出して思考を切り替えるように笑う。強行犯係が例の事件に追われている中、特殊犯は特段大きな事件もなく過去の未解決事件について議論を行う程度、最近の水瀬の帰宅は萩原が担当していた。
アウディR8。ブルーグレーの車体の色自体は目立つものではないが、外車な上にスポーツカー。松田の乗るスピリット同様、水瀬は毎回乗車するのに肩を硬らせている。外車といっても日本仕様に右ハンドル、萩原に言わせれば「そこまで目立たないでしょ」らしいが水瀬からすればとんでもないと首を振らざるを得ない。車に対して詳しくない水瀬でもアウディというブランド名を知るくらいなのだ。爆発物処理班ってそんなに給料がいいんだろうかと水瀬が現実逃避するのも致し方がない。
「今日やっと全員分判明したらしいんだけど、やっぱり住人のほとんどが亡くなってたって」
事件は伊達が当時住んでいたフラーネカルというアパート名を踏襲し、フラー連続殺人事件と命名された。住人の中には熱中症や老衰が死因とされているものもあったため、事件性なく荼毘に伏されたものもあったそうだ。しかし、芝田をはじめ数名は所轄でも調査をしたものがあったらしく、そのいずれの現場からも例の青文字の数列が発見されたらしい。
「生きてるのは伊達ともう1人、朝田さんっていう人だけ」
「……伊達さん大丈夫でしょうか」
「大丈夫大丈夫、殺しても死なない顔してるでしょ。この前も俺の家でガーガー鼾かいてたよ」
カラッと笑う萩原に無理は見られないものの心配なのは変わりないのだろう、普段よりも少しだけ声のトーンが低いことに水瀬は気がついた。
「6年かけてあれだけの人数を殺してる、それも警察に一切気取られることなく……シリアルキラーとしてはご立派だ」
事件が判明したのも犯人と思わしき人物から警視庁宛に手紙が届いたことがきっかけだ。それがなければ間違いなく気がつくこともなかっただろうことを思うと楽観視できない。水瀬は萩原の言葉を聞きながら考えるように黙る。そんな水瀬を横目に、萩原は目の下に色濃い隈を貼り付けた松田を思い出す。「水瀬に意見でも聞いておけ」なんてらしくもないことを松田がぼやいていたせいである。喫煙所で雑談の延長でそんなことを言われた萩原は水瀬という人物について改めて思考する。頭もよく博識、フラー事件がこうして扱われるきっかけとなったのも水瀬が手紙をすぐに童話と結びつけたからだ。伊達と松田から例の婦女暴行殺人事件についても水瀬の助言があったから解決できたと聞いている。学生の時からの付き合いもあって知識の豊富さや記憶力の高さは萩原も把握している。実際捜査でも大手柄だったのだと聞けば萩原も多少なりとも期待はしてしまう、元から水瀬へ対する評価は高いのだ。しかしそれでも萩原の中で爆弾の横でぐったりと気を失っていた水瀬の姿が色濃く、どうにも躊躇いに似た何かが萩原の中に巣食っているのも確かだった。水瀬が巻き込まれた爆弾事件以降、気にかけて見守ってきた学生。まだカウントダウンのファックスが届く前から、再犯を考えて定期的に連絡を取る判断をした萩原は水瀬が大学の課題に追われて忙しそうにしている姿も、警察学校に入校して顔色を悪くしながらも頑張っていたことも知っている。“家庭”のことも恐らく水瀬の周囲にいる人間の中では一番理解しているつもりだ。
「どうかした?」
水瀬が思考から浮上したタイミングで声をかける。水瀬はハッとしたように顔をあげ、繕うように笑った。こうした笑顔も年々上手くなっていた、その過程を萩原は見てきた。
「何か気になることでもあった?」
追求してやれば、観念したように水瀬が口を開く。
「タイミングが良すぎるな……って」
「タイミング?」
「伊達さんが警視庁に異動してきたタイミングで、あの手紙が届いたんですよね」
そう言われれば確かにと萩原はウィンカーを上げながら頷く。
「あの童話の話を聞いて、6年前の一家心中について思い出せる人ってそんなにいないと思うんです」
「まあそうだね」
伊達がいたからこそ繋がった事件だ。だが、逆に言えば伊達が所轄にいて手紙に触れる機会がなければ決して立件されることはなかっただろう、悪戯で終わらせていた可能性の方が高い。
「伊達が異動したのを知ってた?うわ怖いね」
茶化した言葉を使ったが萩原の目は鋭く細められている。なるほどと松田の言いたいことを改めて理解した萩原は、水瀬の視点の広さ、客観的視点を持って事件を見ることのできる能力を改めて知り舌を巻く。それは水瀬がそこまで事件に深入りしていないからこその視点とも言える。第三者の言葉がふと確信に迫ることがあるのと同じで水瀬は常に事件の外、調査の端だ。しかし話しながらも萩原の中では違和感が強くなって来る。水瀬と聴取以外でこんなにも殺伐とした会話をしたのはおそらく初めてだった。
「逆にあの童話から事件を連想できる人って……」
「当時担当した刑事とアパートに住んでた住人くらいかな」
住人の方に関しては伊達を除いて朝田のみ。他は皆他界している。警官内部に情報漏洩したもの、もしくは犯人に近しい人物がとは考えたくはないという空気が萩原と水瀬の間に流れる。
「でもそうか……あの手紙が目的があって送られてきたと考えると、一家心中に繋がらないと意味がないのか」
「そういえば暗号は」
「ああそれね」
言おうか迷った萩原だが、気にした様子を見せる水瀬をここで蚊帳の外とするのもおかしいだろうと一応オフレコでお願いね、と釘を刺して声を顰めた。
「藤田一家以外の住人の名簿になったらしい」
「名簿?」
「ご丁寧に死因も書いてあったって、6年前からの殺害予告だ」
その言葉に水瀬が目を剥く。では間違いなく、手紙を送ってきた犯人は。
「あれは警察への挑戦状だよ」
ごくり、水瀬の喉が上下する。萩原が純粋に怒っているのがわかったからだ。同期が巻き込まれているとなれば尚更だろう。
「6年かけての大作だ、我慢できなくなってまだ残りがいる中で送ってきたんだろうって強行犯は見てるらしい」
醜い人間性と残虐性を指摘した物言いに水瀬は口を噤む。水瀬は時折、精神科医としての自分と警察官としての自分が乖離しそうになるのを感じていた。それは犯罪者の考えや精神に触れた時顕著に起こる。
精神科医としての水瀬は、全てを理解し許容し共感とともに患者と向き合う。時には自身の考えや過去と符合するところを探し、ある種友人のように寄り添う必要がある。絶対数が少ない精神科医は患者を選ぶことをしない、どんな立場にいる人間だろうと等しく治療を受ける権利を用いているからだ。場合によっては凶悪な犯罪者に対してケアをすることだって有り得る。
しかし警察官としての水瀬は患者が限定されている。イレギュラーを除いて警察組織に従事している人間のみを診察する。本来のあり方とは正反対だ。そのためか、警察官としての水瀬と精神科医としての水瀬が鬩ぎ合うことがある。甘田と対峙した時に強く主張したは警察官としての心持ちや精神で、理解できないと相手をシャットアウトしてしまっていた。それは潔癖なまでに警察官に対しての理想や正義を信じているからであり、それを遂行している多くの警察官に触れて知ったからでもあった。いつからか己もそうありたいと思いはじめていたのだろう、気がつけば水瀬のなかで“理解できない”思想が形成されつつあった。大抵の警察にとってそれは成長で、喜ばしいことだ。そこだけは染まるなと、ベテラン刑事は笑って伝えるだろう根本の形成だ。だが精神科医にとっては一概にそうではない。
「怖いですね」
本当に。寒気すら覚えるほどのそれに水瀬はそっと目を伏せた。
投稿日:2022/1004
更新日:2022/1004