鴨跖草の遺言
深夜3時。降谷の面談と称しD課面談室にて水瀬の聴取は執り行われた。諸伏は水瀬の自宅リビングにて、公安が遠隔会議で用いるソフトを使用して音声だけでの参加。本来であれば調書を書き留める刑事も同席するべきであるが、必要以上にルーティンから外れ目につくことを懸念した結果、面談室に降谷以外を入れることを避ける形をとなった。質問降谷、筆記は音声のみ参加の諸伏が担当のイレギュラー対応だ。常時であれば水瀬が座っているキャスター付きの椅子には降谷が腰を下ろし、水瀬は簡易ベッドにちょこんと座っている。「さて、今回水瀬さんが担当した全ての人物に対する開示請求を行なったが……」
『公安だけにしておけばここまで時間かからなかったのにな』
「ヒロ」
『すんません』
口だけの謝罪に降谷が顔を能面のようにしたが、残念ながらそれを目撃するのは水瀬のみである。たとえその顔が見えていようと諸伏はそんな降谷など慣れているので気にせずヘラリと笑うのみなのだが。
「その前に一点、諸伏の面談に関して開示申請がされていたが間違いないか」
「はい」
『マジで?いつ?』
「今年に入ってからです、申請日は……えっと」
「3週間前だ、申請元は警察庁」
『俺上から疑われてる?』
諸伏が困惑した声をあげる。降谷は曖昧に濁しながら腕を組む。何せ諸伏の件を把握している人間は警視庁、警察庁ともに少なく原因追求と銘打って調査をする権利は本来降谷が有しているからだ。そして信頼できる上司である寺尾には諸伏生存を伝えており、水瀬の件もネズミと接触している可能性をカルテの開示請求を出す際に全て話していた。寺尾が諸伏の面談内容の開示について降谷に何も伝えて来なかったということは、別の人間が何かを嗅ぎ回っているということ。おそらくは諸伏に関して報告を行なった会議に出ていた警官の中にいるだろうとは睨んでいたが水瀬の反応が鈍いことに気がついた降谷は口を開く。
「申請理由は失踪の原因追求のため、とあるが水瀬さんは申請元の詳細は?」
「……私に出された申請理由がそもそも違うので、もしかしたら申請元も偽装されているかもしれないです」
水瀬の言葉に降谷が考え込むように口を閉じる。諸伏も同じく、じっと黙り込んだ。
「俺が見たのは刑事局からだったが」
「私の手元に来た書類では警察庁のD課が参考として研修材料の一つとするから、と」
「諸伏のデータを指定してか……直接手渡ししたんだよな、どのフロアに持っていったか覚えているか?」
「フロアは8階の人事です、D課から頼まれたとお伝えしてすんなり受理されました」
人事部が絡むとなると、水瀬が言う内容の方が真実味がある。面談内容の開示には時間がかかるため、申請を開始したのは恐らく諸伏が命からがら組織から逃げた前後。申し合わせたようなタイミングのため怪しさが増幅されて横たわっているのを誰もが感じていた。Subである諸伏が潜入を行っていることこそ機密事項であるのだ。表向きは警察組織を辞めたこととなっている諸伏を名指し。想定よりも上が絡んでいる可能性が高いことを推察した降谷は居住まいと正した。
「ありがとう、こっちで改めて調べてみる……それで本題だが」
組んでいた腕を解き膝に肘をつく姿勢をとった降谷が水瀬をまっすぐ見つめる。蛍光灯の青白いライトの下、降谷の空色の瞳がゆらりと煌めいた。
「まず、どうして君は諸伏の件に気がつけた?」
大きく深呼吸をした水瀬は重い口調で話し始めた。
面談時、水瀬から職務内容について質問をすることは絶対にない。しかし患者が抱えている問題は様々でストレスの大元が職務につながっていることが殆どだ。公安刑事は同僚にすら秘匿しなければならない職務を担っているため特にその傾向が強く、水瀬も聞かないよう心がけて話を逸らし、職務から意識を遠ざける手法をとって面談を行なっているのだがうまく行かないことももちろんある。結果として業務内容や機密とされている一部に触れることが少なからずあった。
「人に話すことで楽になる、という方は一定数います」
「減俸物だな」
厳しい降谷の言葉に水瀬は苦笑する。だが、刑事が職務内容をこぼしてしまうことを想定した上での水瀬という人選なのだ。現に外部から来ている精神科医には誰1人として公安所属の警官を担当していない。それが警察官でありながら医師免許を持つものを組織が求めていた理由でもある。だからこそ水瀬は頑なに口を割らず、申請書が通らなければ決して他言をしない。そこまでしないと成り立たない、暗黙の了解のもとポロポロと職務内容を語る刑事も少なくないからだ。諸伏はそれでも一年足らずで信頼を築き上げた水瀬の手腕と人柄に上の人選も捨てたものじゃないなと、嫌な予感から目を背けるように感想を抱いた。
「最初は過去に受け持っていた潜入捜査の話でした」
とある組織への潜入を行い少しずつ地位を上げていた。時折混ざる狙撃という言葉や薬物の運搬、海外への不法入国などの単語から、水瀬は日本の犯罪組織ではなく国際的に影響力を持った大きな組織に潜入しているのだろうとすぐに察した。
「極力顔を見せず発言も控えて活動していたらしいんですが、ある時幹部の目に留まったようで……より深く潜ることになる直前だったそうです」
降谷の顔がより険しくなる。諸伏も通話先で手を止めていた。
「一転したのが昨年3月にあった田城議員御令嬢の誘拐事件」
降谷も諸伏も記憶にある水瀬が語った事件は、国会議員の娘がヤクザが運営するクラブにどっぷりとハマり、そのクラブで拉致されかけたものだ。報道では御令嬢の非行はないものとされ、誘拐されたという被害部分だけが流れた。
「その時、御令嬢の保護に当たったそうです」
降谷はハッとする。確かにそのクラブは組織の下っ端が情報交換や取引の場所として利用していた。潜入していた公安刑事が居合わせる可能性は十分にあり得る。
「……写真でも取られて潜入から外されたか」
独り言のような降谷の推理に水瀬が静かに頷く。降谷はパソコンをチラと横目に確認し、諸伏の音声がミュートになっていないことを確認する。雑音の一つもパソコンからは聞こえてこない。潜入捜査官が人命救助の場にいて写真を撮られた。裏に潜入することは今後一切敵わない。警察として正しい行いをしているのにもかかわらず、叱咤され現場から強制的に引き上げさせられたのだろうことは容易に想像できた。裏社会への潜入とは、時に個を切り捨てて犯罪を容認、幇助もしくは自らが手を汚すことを意味する。議員の娘となれば即座に切り捨てる判断も難しいだろうが、話からするとおそらく命令違反の上での行動だったのだろうと降谷は予想できてしまった。
「その立ち位置を別の刑事へスライドさせて……顔も知らない後輩が潜ったと」
「……諸伏、そうなのか」
あえて渾名は呼ばない、上司として降谷は問いかける。沈黙の後諸伏がため息を漏らした。
『詳細までは知らなかったが、先人がスナイパーとして下地を作ったとは聞いていた』
後は上手くやれとだけ。言い捨てるように諸伏はこぼし、また沈黙する。だから諸伏がネームドになるのが早かったのだと降谷はその事実を初めて知り納得する。他の刑事によって下積みが完了、それも碌に顔も声も知らせていなかった。あったのはスナイパーとして使えそうという情報だけ。同時期に愛想の悪いライもいたことから、もしかしたら余計に組織内で情報が錯綜していたのかもしれない。中身を変えての潜入はまんまと上手くいった。大き過ぎるリスクは今になって最悪の形で牙を剥いた。諸伏は死んだとされたときのことを思い出し降谷は喉の奥に指を直接突っ込まれたような吐き気を思い出す。きっとあの恐怖を降谷は忘れることはないだろう。
「しばらくして、後釜の方が幹部となったらしいと仰ってました」
「……らしい?」
「職場ではもう、バックアップにもつけてもらえていないと……なので情報は潜入時代に作った伝で独自に」
危ない行為だ。公安として違法な調査はまま行われる、その中には刑事が独自に築いた情報網を使用しての聞き込みもあるにはある。だが元潜入先に別の警官が潜ったことを知っている上で繋がりを持ち続けるのはまず論外だ。後方支援すら外されたとなれば、本人にも何か問題があったようだと降谷は察する。
「君はどこまで直接聞かされた?」
少しだけ声を柔らかくして降谷が問う。
「独自に追っているとだけ」
「その上での推論は?」
腐っても公安の刑事だ。外されたとはいえ黒の組織への潜入を任されるほどの人間が全てを語ったとは到底思えず降谷は言葉を付け足す。下唇を一度噛む仕草を見せた水瀬だが、音も出ないほど静かに深呼吸をした後に口を開いた。
「幹部の情報まで仕入れることができるとなると、まだその組織とつながっているのだろうと」
「諸伏が危ないと気がついたのはなぜ?」
「私が担当を持っている方で、諸伏さんしか条件を満たす方がいなかったので」
『潜入有無って伝えられるのか』
これまで黙っていた諸伏が声をあげる。それに水瀬は否定の言葉を返す。
「独特の空気があるので……それと面談の時間や回数でも分かってしまうというか、なんとなく察してしまっているだけです。私が担当している方で長期の潜入している方は諸伏さんを含めて15名だと思います」
ひく、降谷の目尻が引き攣った。どこまで真偽を確かめられるか不明だが上官に警視庁の潜入捜査官の人数を確認しようと降谷は決意した。想像していた以上に水瀬のもつ情報は不味いかもしれないと危機感を覚えたのだ。なるほど寺尾のいう気にかけろというのかこういったことも含めてのセリフだったらしいと降谷は認識を改めた。頭の中にNOCリストを所持しているようなものだ。
「諸伏さんがそうだと気がついたのは頻繁に硝煙の匂いが……」
『嘘!ごめん』
「いえ、よくあるんです。ただ他の方より濃いというか……嗅ぎ慣れなかったのでもしかしたらライフル用の弾丸かもと思って。一度スコープでぶつけたのか目元に痣があった時もありましたし……あとは潜入時期が合致していそうなのが諸伏さんだけだったので、後任は諸伏さんだと」
「公安型なしだな」
やってられんとばかりに降谷が顔を覆う。
『で、そいつが俺の情報を売ったって?』
「いえ」
降谷がギョッとしてしまうほど冷たい声で諸伏が問いかけたが、水瀬は即座に首を振る。
「故意ではなくなんらかのトラブルで公安だと露見したのではと私が邪推しました」
「邪推?」
直接的に言及があったわけではなかった。しかしどれだけ話をしてもストレス値が悪くなる一方で、少し水瀬が踏み入って会話をしたところどうやらミスをしたという。言い回しから“独自”に行っている調査でのミスだと気がついた水瀬が万が一を考えて諸伏と無理矢理連絡先を交換。危険が及ぶとすれば状況を把握している前任者よりも何も知らない後任者だ。後日、これまで一度もなかった諸伏からの連絡なしの面談キャンセル。しかし潜入捜査員だと分かっている刑事に身元がわかるような連絡は取れない。苦肉の策で食事の写真を送るなどして生存確認ができないかと試した。結果として諸伏から連絡があり、声の様子からただ事ではないと察してすぐさま回収に向かったというのが真相だった。諸伏が水瀬を頼る決断をしなければ叶わなかった救出だったのだ。
「邪推というが、確信できることがあったんじゃないか?」
降谷がじっと水瀬を見つめる。観念したように水瀬は目を逸らした。
「警察手帳を一時紛失したと」
ふー、と降谷は意識してゆっくりと息を吐き出した。悪意があったのかなかったのか、水瀬の話では不明だ。だがこうして大きな損失を出し、ひいては諸伏の命が危機に瀕したことは間違いない。ホットラインに諸伏の連絡が入らなかったという点も引っかかる。本来コールさえ入れば公安が動く手筈となっているのだ。諸伏がかけた番号は救援要請の番号、コールがあれば即座にGPSから場所を割り出し覆面が救出に向かう手筈が整えられていた。少なくとも己のミスを恐れて諸伏の救援要請をなかったことにしようとしたと思われても仕方のない状況だ。加えて潜入捜査をしていた場所で警察手帳を携帯するなど言語道断、先人が公安からの人間だと発覚し後からすり替わるようにしてその立ち位置に入り込んだ諸伏が「公安の刑事」だと言っているようなもの。なるほど組織に流れた情報があれだけ少なく、断定的だった理由がこれではっきりした。本人にその気はなくとも、見事に組織から情報を抜かれていた無意識の鼠。スコッチは元から組織に泳がされていたのだ。
『水瀬さん』
諸伏の無機質な声が面談室を支配した。
『その刑事の名前は?』
水瀬は一拍置いて、1人の名前をこぼした。
投稿日:2022/1008
更新日:2022/1008