鴨跖草の遺言
死屍累々。そんな言葉がぴったりと当てはまるほど、警視庁捜査一課のフロアは淀んだ空気と徹夜続きでダウンした屍で溢れていた。佐藤に用のあった宮本は、強行犯のデスクに近ずけば近ずくほどにムッとした空気と呻き声に似た寝言が耳に届き思わず足を止めてすぐ近くの、比較的マシな特殊犯の部屋へ飛び込む。「萩原さん!なんですかあっち!いつにも増して酷い!」
「あ〜」
「うっわここもダメだったすみませんでした」
マシだと思っていた特殊犯も、ぱっと見で繕っていただけだったらしい。顔を上げた萩原の目の下にくっきりと残る隈を見て宮本は敬礼をして即座に退室した。水瀬にはお役御免と伝えてはいたものの、爆弾も絡んだ事件も一件あったために萩原もフラー事件の捜査に巻き込まれていた。最初は強行犯だけでと意気込んでいたはいいものの、立件していない案件も多く出てきてしまったため手が回らなくなったのだ。中谷警部は最後まで強行犯だけでと粘っていたらしいが、徹夜続きで切れた松田が、「芝田の件は特殊犯の見落としでしょう」と萩原の首根っこを捕まえて直訴した結果、萩原も捜査に走り回る権利を得た。もちろん萩原は松田に鉄拳制裁を加えた。案の定、芝田の件だけではなく他の案件も含めて調査をさせられている萩原は、相棒と揃って特殊犯の中で唯一精気を失っている。他の特殊犯の面々は「当時の担当萩だし他に爆弾絡んだ案件ないならお前らだけで頼むな」と早々に切り捨ててきたため、萩原は笑顔で日次業務を先輩へと押付けた。
「こわ……」
宮本は恐々と強行犯のデスク近辺に顔を覗かせて佐藤がいるか探す。交通部から刑事部に来る前にメールで確認はしていたものの、わかりやすい場所にいてくれるほど佐藤は優しくもなければ暇でもない。
「どうした?なんかあった?」
「ひっ!ゾンビ!!」
「ひどいこと真正面から言うね」
宮本の背後から声をかけたのは、先ほどデスクで死んでいた萩原だった。振り返った先に顔色の悪すぎる色男がいたため宮本は悲鳴を上げた。ただでさえ色白なため、余計に隈の存在が濃く見えるのだ。
「美和子に資料頼まれてたんです、3ヶ月前の踏切無視の」
「あー、金田さん?」
「そうです」
「おっけ預かる」
嫌そうな顔のまま資料を受け取った萩原は見たくないものを見るように薄目で資料を覗き込んでいる。なぜ特殊犯の萩原が、と一瞬考えたが佐藤から「他の班にも手伝ってもらってて、もしかしたら由美にも声かかるかも」と言われていたため成程萩原は生贄かと鋭く察した。大正解である。諦めたように資料を広げた萩原は「概要聞いてもいい?」と会議室を指差して訪ねてくる。読む気力がないらしい。ため息をつきながらも宮本は頷いた。
「死亡したのは金田晴樹29歳。踏切の遮断機が降りていることに気が付かず軽自動車で踏切内部へ侵入。人通りが少なかったのと、本人が緊急停止ボタンを押す判断をしなかったからかそのまま電車に衝突され死亡してます」
「降りて逃げなかったんだ」
「飲酒運転です、解剖した結果結構なアルコール摂取だったみたいですよ。だから気がつかなかったんじゃないですかね?おまけに夜間だったために電車の運転手も気が付けずそれなりのスピードのまま衝突。幸いにも電車側の乗客には怪我人も出なかったみたいですけど、金田の車は運転席がペッチャンコ」
「うわあ」
パイプ椅子に座り、両手で肘をついた宮本は「最悪ですよほんと」と悪態をつく。
「それに車も盗難車!車に積んであった荷物は金田本人の物だったから身元が判ったものの、それがなければ身元不明になる所だったって」
「ちなみに免許は?」
「さすが萩原さん、切れてました」
「うーん重ねるねぇ」
頭が痛いとばかりに萩原は目元を覆った。あ、まずい寝ると慌てて手を退ける。最後に寝たのは28時間前、仮眠で30分ほどだけだっため寝ようと思えばどこでもどんな体勢でも寝れる状態だった。
「何で免許切られたの?」
「ああ、違いますよ金田は単に更新し忘れです」
宮本の言葉に萩原が怪訝な目を資料に向ける。更新忘れ、なくはない。しかしその状態でわざわざ盗難車を運転するだろうか。盗難事件が絡んだため、三課が捜査にあたり持ち主判明後に所轄に引き継いでいる。被害届が所轄に出ていたらしい。よし三課巻き込もう、萩原は眠たい目を擦って決心した。
「じゃあ初犯で飲酒運転で窃盗?おまけに踏切侵入……欲張ったなぁ。自動車の窃盗って担当どこだっけ」
「三課の第四……7、8班ですね」
うんうんと首を上下させながら萩原は欠伸をこぼした。
「萩……あー…………誰だ」
ノックもなしに会議室に入ってきた松田は、見知らぬ婦警を見て思い切り顔を顰めた。知り合いかどうか脳内で検索はかけたがヒットせず。宮本は憤慨した。
「交通部の宮本です!前に自己紹介しましたよね!?」
松田を合コンに引っ張ることを諦め切れなかった宮本は、一度萩原と話しているときにやってきた松田に恐怖心をかなぐり捨ててここぞとばかりに話しかけたことがあったのだ。佐藤とバディを組んでいるというのもあって認知くらいはされるだろうと思っていたのにこの男。見回りの際に佐藤と共にいた松田にも挨拶をしてしたのに全くもって記憶に残っていない様子だ。奥歯をガリガリと言わせて宮本は威嚇した。合コン映えする男前ではあるものの、松田は宮本の好みではない。
「ほら、金田の資料持ってきてくれたんだよ陣平ちゃんもお礼言って」
「おーこれかどうも」
「雑い」
失礼ながら萩原が何度も「陣平ちゃんはマジで合コンには向かない男よ?顔だけの愛想なしだよ?タダ飯喰らいだよ?」と言っていた理由を理解した。それでも婦警から人気があるのだから顔がいいというのは得だ。
まだこちらは資料を読む体力が残っていたのだろう、ペラペラと紙を捲るスピードに遅れはなく目を紙面に走らせている。サングラス越しなので雰囲気だけであるが宮本は肘をついた手に顎を乗せてその様子を下から見上げた。
「観賞用だな」
「おい」
「ごめんなさい!」
ボソッとこぼした本音を怒られたのだと思った宮本が即座に謝罪をするも、松田は驚いた顔をしている。どうやら単に何か聞きたくて呼びかけられたらしいと察した宮本は即座に姿勢を正して咳払いをした。こんなときに宮本の内心を理解することが多い萩原はぼんやりとしている。
「遺留品って所轄か?」
「美和子が念のため取り寄せといてって言ってたので交通部にありますよ」
「でかした」
グッと松田が拳を握りそれをうとうととしていた萩原の胸元に叩き込んだ。「グァ」と人体から発していいとは思えない奇声を上げた萩原が机にダウンする。乱暴が過ぎる、とギョッとして松田に目を向けた宮本は心底不思議そうな顔をして萩原を見下ろす松田を見て、顔に出にくいだけでこっちも相当キていたようだと気がついた。よく見ればなるほど、土色のような顔色だ。サングラスの奥には隈も隠れていそうである。
「じん……いたい」
「避けろよ」
聞いた?と言わんばかりに萩原が宮本に視線をよこしたため宮本もなんてかわいそうにと言わんばかりにコクコクと頷いてやる。松田の発言は宮本から見てもあまりに理不尽だった。業務中寝そうになっている同僚を注意するにしてももう少し手心を加えるべきである。
「見ろ、手帳の写真」
松田が机に広げた遺留品一覧の一部、写真の中には血や土埃で汚れた金田のものと思われる手帳。注釈には「外国語にて記載されている」と書かれている。外国語、英語ではないのか?と宮本が首を傾げたときに目が覚めたとばかりに萩原が立ち上がった。
「交通部」
「D課」
パン、と手を合わせたと思ったら松田はそのまま会議室から出て行ってしまう。なんだ?と目を白黒させる宮本に、萩原は機嫌良さそうに笑った。
「その遺留品、取りに行っていい?」
投稿日:2022/1019
更新日:2022/1019