本能のカウント
「面談室以外でこうやって会うの、違和感がすごいねぇ」そういって笑った萩原は困った顔で微笑んだ。捜査一課が日頃から自由に使うことのできる会議室の一つ。大きなファイルとノートパソコン、互いの目の前にコーヒーの入った紙コップ。萩原と同様違和感を感じていた水瀬は「そうですね」と笑う。普段面談時に着用している白衣は脱いで、捜一の背景に溶け込むオフィスカジュアルな装いの水瀬だったが女刑事がほとんどいない捜一では性別を理由に結局は目立ってしまっていた。
「再聴取、ごめんね?もう何回も話したと思うんだけど」
「いえ、お話できることがあればなんでも」
捜査一課特殊犯係。主に爆弾事件の捜査にあたる課であり、萩原の現在の所属部署。まさに松田が異動を希望している場所であったが、まずは捜査を学べというお達しのもと、松田は捜査一課強行犯係に異動となった。私情が透けていたための処置である。爆弾の知識があることから本来なら萩原と同様、特殊犯への異動はそこまで無理な話ではないのだが松田の態度などが原因となり通らなかったのである。
荒れるだろうなと思っていた萩原の予想に反して、松田は「やれることやる」と納得はしてそうにないものの比較的おとなしく異動を受け入れていた。そして、犯行予告まで10日を切ったこともあり唯一犯人と接触、傷害を加えられている水瀬への再聴取が行われていた。これですでに3度目。最初の2回は萩原の上司が、今回は萩原が無理をいって頼み本来であれば必要のない時間を水瀬に取らせている形である。
「早速で悪いんだけど、当時の状況の確認をするね」
大学からの帰り道。研究データをまとめ、海外の学者の出した論文をあちこちひっくり返して読み込んでいるうちに日が暮れ、なんなら夜が明けてひと段落がついた日。ラボに泊まり込むことは少なくなく、徹夜をしてしまったため一度シャワーや着替え、時間があるようなら仮眠を取るために家に帰ろうと大学を出てバスを待っていたときに何者かに背後から襲われた。荷物はバス停に放置されており、数時間後に水瀬の友人が通学してきた際に発見されている。
「米花医大のバス停、始発の次の便に乗ろうとして待っていました」
「時間は朝6時10分ごろ、そのバスがまだ来ていなかったからおそらく6時前後だね」
そして気がつけば何故か自分の研修先である米花中央病院の病室で目を覚ました。当時、首元に火傷の跡が残っていたことからスタンガンで襲われ気絶、その後頭部を殴られたのではないかと調書には残っている。怪我が二箇所、二種類。そして水瀬が一度も目を覚ましていないとなると気絶している間に再度暴行を加えられている可能性が高いとの初見。実際萩原が水瀬を発見した時にもまだ水瀬の傷口から僅かながら血が流れていたことから、暴行の順序はスタンガンが先とされている。
「そして、気絶させられた場所から離れたあのマンションの廊下で発見、これが午前9時ごろの住民からの通報……」
3時間の空白、そして離れた場所からわざわざ水瀬を殴ってまで連行したということは。
「どこで、恨み買ったんでしょうか……」
「水瀬ちゃんが恨み買う性格してたらわかりやすかったんだけどなぁ」
明らかに水瀬を狙っての犯行だったということだ。しかし彼女の周囲を洗っても全員がアリバイがあり、犯行は不可能。当時事故死した犯人の片割れについて水瀬に防犯カメラに残っていた映像にて人相を確認してもらっても、やはり接点はなし。一部の刑事の中で水瀬の共犯説も出たがあまりにも経歴が白いこと、加えてあのままでは水瀬もろとも死んでいた可能性の方が高かったことからその疑いもすぐに晴れた。
「大学の関係者も現在に至るまで関係は良好、親族間でもトラブルなし。唯一水瀬ちゃんが証言したのが」
「ケア施設でのトラブルです」
研修医という立場で米花中央病院にてGlareへの耐性をつけるべく一般人のDomへ協力を仰ぎ、実習を行っていたときに起こったトラブルである。複数名のDomに協力を頼んでいたこともありその時の誰が、というのは正確には不明ではあったがどうも頼んでいた数値以上のGlareを垂れ流し、挙句研修生へ相当強いコマンドをぶつけていたのだという。数名の研修生がサブドロップする中、動けた数名のDomと水瀬が場の混乱を収め得るために尽力。それが爆破事件の丁度3日前だった。トラブルらしいトラブルはそれくらいで、水瀬自身思い至るものは他に何もなく、病院関係者や大学の友人にも聴取を行ったが結果は振るわず。なんなら水瀬は恨まれる人格をしていないと口を揃えて豪語していた。警察もそれは聴取する中で痛いほどわかっていたための聞き込みであったのに、結論は同じく水瀬はこんな陰湿な事件で狙われる人柄ではないということ。だからこそ、よっぽど犯人に対して許し難い行動をどこかでとってしまっているはずなのだ。そうでなければ、わざわざ爆弾設置場所から離れた位置にいた水瀬を拉致して運ぶリスクをとる理由がない。とは言っても犯罪を起こす人間の思考回路を推理することは難しい。思いもよらぬ動機、理解し難い恨みつらみ、逆恨みや犯人の勘違いの線だって大いにありうるのだ。揺らぎないのは殺意を持っての犯行だったということだけ。
「その時に研修に参加してた人たちは水瀬ちゃんを攫う時間帯みんなアリバイあったんだよなぁ……複数犯だからあんまりあてにはならないけど」
「うーん……」
水瀬の大学の学友からの証言では、水瀬はわかりやすいほどに温厚で善性の強い人間だ。コンビニのレジで横入りされたとしても全く憤らず無言で譲り、迷子の子供を交番へ連れて行き保護者がくるまで一緒に待機したこともあるなどとの調書の文字を見て、うんうんわかると萩原は頷いた。根っからの善人だからこそ曲者だらけの警視庁で、刑事相手にメンタルケアなんてできるのだ。人を疑うことが仕事の刑事が肩の力を抜けるほど、水瀬はどこまで行っても善人だった。
「気絶した時、殴られたとは思わなかったんだよね」
「眠気と戦ってたら、突然でしたけど……どこか痛いと思って気絶はしなかったと思います」
「ならやっぱりスタンガンで気絶、その後頭部殴打か……」
そうなるとやはり、水瀬を実際に誘拐した実行犯は水瀬に恨みを持つ人間ではなく、指示を出されて犯行に及んだ可能性がある。もし水瀬を狙っていた犯人であれば最初から気絶するために水瀬に殴りかかる可能性が高いからだ。指示を出したのが事故死した犯人であればここまでピリピリしなくて済むのだが、水瀬は全く記憶にない人物だったというのもあって油断はできない。事故死した犯人が水瀬を恨んでいたわけではない場合、共犯であるもう1人が水瀬を恨んだまま今日まで外の世界で虎視眈々と機を狙っている可能性がある。水瀬も他の刑事からその可能性は聞かされており、これからしばらくは特殊犯の刑事で入れ替わり自宅と警視庁を送迎している。水瀬にもストレスが溜まる状況ではあろうがこればかりは命がかかっている可能性が高いため妥協することができない。
「最近は?変なこととかない?」
「今のところは……皆さんで警護していただいてますし」
「ごめんねぇ、息苦しいかもだけどもうちょっと我慢してね」
朗らかな笑顔でふるふると首を振る水瀬は、本当に窮屈さを感じていなかった。買い物については近くのスーパーのネット通販を利用し届けてもらうようにし、フラッと立ち寄っていた大学の研究室へ顔を出さなくなったくらいの違いしかない。私用の買い物や外出は確かになくなったが、苦に思う物ではない。捜査協力の一環だと思えば、警官として当然の行動制限であったし家に帰れているだけありがたいと思うくらいだと水瀬は考えていた。
水瀬の預かり知らぬところではあったが、水瀬を可愛がる警視庁の面々がそれはもう気合を入れて護衛、警護のスケジュールを徹底し、何より水瀬に無理をさせないよう心がけようと涙ぐましい努力があったりする。そのため、護衛任務にあたる刑事は水瀬と歳の近いメンバーがよく選出されている。本当は水瀬と話して癒されたがっているベテランたちは涙を飲んで若手の背中を叩いて送り出すに留まった。こんなおっさんよりはまだ若い方がマシだろうという自虐満載の判断である。萩原は嬉々として「そうっすね!」と上司の判断を肯定した。
「ちなみに、当日はどうしたらいいですか?」
「勤務シフトだと前日から夜勤だよね……本当は帰って寝たいだろうけど、多分その日はここに缶詰かなぁ」
「それは全然大丈夫です」
それまでに仮眠室のカーテンをどうにかしなければ。水瀬はこっそりとそんなことを考えた。
投稿日:2022/0618
更新日:2022/0618