鴨跖草の遺言
松田によって連れて行かれた先は交通部。水瀬はオロオロとしながら迷いなく進んでいく松田について小走りで制服警官の中を進んでいく。数名面談者もいたようで、水瀬に視線を向けて驚いた様子を見せた警官を松田は視線だけで確認する。少なくとも一年目の新人が受け持つには少なくない人数を水瀬は受け持っているらしいと松田は改めて理解した。「え?水瀬先生じゃん」
宮本がギョッとした声をあげる。知り合いなのかと松田が水瀬に顔を向けると水瀬も驚いた顔をしたのちに「お久しぶりです」と笑う。見えないが宮本も水瀬の担当なのだろうと完結させた松田は申請書類に齧り付くようにしている萩原の後頭部に指を突き刺した。
「オセェ」
「申請大変なの知ってるでしょ……水瀬ちゃんありがとうね来てくれて」
会議室が開いていなかったらしく、交通部の奥まった位置にある休憩場所のテーブルを占拠して萩原と宮本は待っていた。宮本の横には段ボールが一箱。件の遺留品が詰め込まれているのだろうと察し、それを刑事部へ貸し出すための手続きの最中であることが伺えた。しゃがみこんでダンボールを開ける。一番上にジップロックに入れられた状態で例の手帳が無造作に置かれていて、松田はそれを持ち上げて裏に表にひっくり返して確認する。写真にあった通り血で汚れている。小口には砂だろうか、汚れで黒っぽく変色している。
「本当は申請後じゃないとダメなんですからね」
「わーってるよ、水瀬」
立ち上がった松田は手に持った手帳をそのまま水瀬へと渡す。大人しく受け取った水瀬を宮本の隣に押し込めるように座らせて、ポケットの中に入れていた手袋を水瀬の目の前に突き出した。準備万端とばかりに、水瀬が座らされたテーブルにはブルーシートも引かれている。萩原が手を回していたのだろう。視線で指示されるままに水瀬は松田に渡された手袋を受け取り手に嵌める。男性サイズなため水瀬の手は手袋の中で泳いでいるのを見て宮本はため息を吐き出した。自分のものを、と思ったがその前に萩原に声をかけられる。
「多分寝起きで機嫌悪くなりやすいからほっといていいよ」
どういうことだ、萩原の視線の先の松田を見上げたが真剣な表情で証拠品を睨んでいる。もう一度萩原に視線を戻した宮本が問いかけようとするも、萩原も手元の資料へ意識を戻していたため宮本はもやもやとした何かを胃袋のあたりに滞留させる羽目となった。
慎重な手つきで証拠品である手帳を取り出し表紙をめくった水瀬はページの右上に染み込んでいるドス黒い血の痕にゾッとする。そっと深呼吸をして、ページが破けないよう動かしにくい手袋の中の指先で一枚ずつ進めていく。ダイアリーかと思っていたが、手帳は罫線のみが印字されたページが続いている。数ページ進めても中は血の汚れのみ。松田も水瀬の背中越しにジッと見下ろしている。その距離は近くない?宮本は松田とおそらく距離感に気が付いていない水瀬を見てきゅっと口を閉じた。
中腹に至って、やっと文字が記されたページが出てくる。松田と水瀬は息を呑んだ、やはりあの青い文字だ。数字の羅列ではなく、ドイツ語の文章。これまで一度も見られなかった内容だ。
「なんて書いてある」
水瀬が座る椅子の背もたれに手をかけて覆い被さるようにして松田は水瀬へ問いかけた。
「“私は判事である”」
萩原も手を止めて手帳に目を向けている。
「“分別のつかない罪人へ、地獄への銀を選ばせている”」
湿らせるよう、水瀬は一度口を閉じた。
「……“正義を語るな、鷹の羽を剥ぐのだ”」
水瀬が手帳をブルーシートへ押し付けるようにしてテーブルへと置く。事件の概要程度しか知らない宮本でさえも、何か悍ましさを感じ閉口している。詩的な言い回しは警視庁に届いた手紙の中身に近い、しかし今回の内容は間違いなく犯人の言葉なのだと松田と萩原は感じ取っていた。水瀬が訳した22aとラベリングされたあの物語にどこか沿った文章。そして同時に藤田一家に起こった事件の真相に迫るような何かが込められていると直感する。一度瞼を下ろした水瀬はまたペラリとページを捲る。そこにはまた数字の羅列。
これまでの事件で被害者の側にあった遺書らしきメモの数字は、やはり警視庁に届いた手紙とセットで用いる暗号だった。最初の遺書、藤田惠の所持していたそれと同じように解読すると、一つの単語となった。現時点で何か示唆するような意味のある内容ではなくただ警察をおちょくるような単語ばかり浮かんでくるため松田はすっかりこの数字の羅列が嫌になっていた。念のために他のページを確認しても後は白紙。水瀬は重たいため息を吐いて手帳を袋の中へとしまった。
「よくわからないけど陰険そう」
「宮もっちゃんのあけすけなところいいと思う」
重たい空気に耐えきれないとばかりに宮本がつぶやく。水瀬は手袋を外し沈黙したまま、いつの間にか松田はスマホで撮影した数列を睨んでいる。萩原は申請書を書き終えてそれを宮本に差し出しながら水瀬の手から手帳を取り上げた。
「とりあえず全部刑事部に持ってくか、ありがとね宮もっちゃん」
「水瀬先生との合コン許してくれたらいいですよ」
「今言う?まじ?」
甘田がいなくなったからいいだろうと言わんばかりにふんと鼻を鳴らした宮本はやっぱり諦めが悪かった。
投稿日:2022/1023
更新日:2022/1023