鴨跖草の遺言

「久しぶりだな」
「お疲れ様です」
 刑事部へと移動した先で伊達の姿を見た水瀬は人知れずホッとしていた。狙われている可能性が高い伊達だが、ダイナミクス値は非常に安定しておりとてもではないが水瀬が担当する可能性はほとんどないのだ。面談回数も年に一回ととても優秀な頻度である。こんな事件に巻き込まれてもその数値は乱れなかったようで水瀬は伊達との接点が完全になくなったため、対面するのは久しぶりだった。
 捜査一課にて普段から使用している大会議室一箇所を潰し、臨時でフラー事件の詰所としている。至る所に捜査資料が積み上げられており、伊達以外にも捜査一課の刑事が難しい顔で資料片手に議論をしていた。とりわけ大きなホワイトボードにこれまでの被害者、アパートの住人だったものの写真が貼られている。端には伊達の写真も貼られており水瀬は顔を顰めた。写真の下には名前と生年月日、そして死因が記されている。さらにその下に赤字で数字が記されているものが数名。死亡時に捜査が入っており現場検証がされていた数件、犯人が残したとされるその数字はあまり埋まっていない。写真は死亡日順に貼られており、左から順に死亡日が近くなっている。一番左には藤田親子の写真が貼られていた。
「出たか」
「ああ、ついでに今まではなかった犯人からのありがたいお言葉もだ」
――私は判事である。分別のつかない罪人へ地獄への銀を選ばせている。正義を語るな、鷹の羽を剥ぐのだ。
 いつの間にやら印刷したのか、松田が例の手帳の印刷物をコピー機から取り出す。スマホで撮影したものをそのままコピーしたらしい。数字の羅列と文字列。早速とばかりに伊達は松田が口にした訳を紙に書き殴った。
「挑戦状にしか見えん」
「だなぁ」
 伊達の言葉に萩原は笑う。水瀬はホワイトボードに追加で記される金田の情報を眺めながら、例の数字から紐解き解読された単語を見つめる。
「Eisenhammer、Bestrafung、Lüge……」
 鉄槌、罰、嘘と確かに警察に対する挑戦と思わしき単語が並べられている。松田が水瀬に声をかけ、座るよう指示を出す。ホワイトボードから目を逸らした水瀬は松田に促された先へ腰を下ろした。座った先では佐藤が例の手紙の束を片手に、金田の手帳から新しく見つかった数列の解読を行なっている。ペアの数列、指定された単語の頭だけを繋げていき一つの単語にする。気が遠くなる作業だが慣れてきたのであろう、佐藤はさほど時間をかけずに単語を割り出した。
「Made……水瀬さん意味わかる?」
 佐藤の声に視線をむけ、水瀬は顔を顰めた。
「蛆、だったかと」
「……ホー」
 悪いことなど何もしていないのに、訳しただけで松田に睨まれた水瀬は体を小さくさせた。佐藤もイラつきはしたのだろう、ムッとした顔をしてホワイトボードへ向かってヒールを床に叩きつけるように歩く。自然と水瀬の目がまたホワイトボードへ向かう。
「朝田の方は?」
「なんでも弁護士様らしい、勝手に張り込みしてくれってよ」
 もう1人の生存者である朝田にもすでにコンタクトはとり状況を説明していた。しかし弁護士となれば恨まれることも少なくはないのか、慣れたように「お好きにしてください」と袖にされたそうだ。朝田が犯人かという線も考えられたらしいが、3ヶ月前死亡した金田の死亡推定時刻、弁護する被告人に会いに刑務所に面会に来ていたという裏が取れたのだという。伊達も捜査を行いながら過去を思い出そうと齷齪したが、特段事件につながるようなことは思い出せなかった。似たような案件を数多く所轄にて捌いていたことも弊害となっているのはいうまでもないだろう。
「本当になんのためにこんな手の込んだこと……」
 席に戻った佐藤が、コーヒーを手にどかりと座り込む。右手に持った紙コップを水瀬へと差し出した佐藤は「よかったら飲んで」と微笑む。礼を告げて熱すぎるほどのそれを受け取り水瀬はじっと黒い水面を見つめた。
「これだけの殺人を犯したとして、どうして今まで尻尾を出さなかったのかしら」
「警察を馬鹿にしてんだろ」
「それにしたって……こんな念のこもった超大作の文書を警視庁に送ってくるような犯人よ?それも全部手書き。6年かけてまで何をしたいのか……」
「動機は理解できそうにないな」
「プロファイリングもボロボロだったよ」
 佐藤の言葉に近くにいた刑事が愚痴をこぼす。
「念が入りまくってるかと思いきや、殺人に規則性があるわけでもない」
「住人に対して動機はなくて、ただメッセージを残すために殺してるようにも見えるな」
「というか死亡届で老衰になってる老夫婦まで殺人なのか?普通の事故も混じってたら下手すりゃ冤罪になる」
 コーヒーを両手で囲ったまま水瀬はもう一度振り返ってホワイトボードを見る。踏切事故で死亡した金田以外、全員どこかしらの室内で亡くなっている。老夫婦に関しては老衰での死亡。遺族に遺品を確認させてもらったがメッセージらしきものは見つからなかった。メッセージが見つからなかった人物は7名。藤田一家を除いて17名、まだ生存している伊達と朝田を除外すれば15名も亡くなっている。
「そんなに気になるなら見てこいよ」
 ホワイトボードに目を向け続ける水瀬に松田が声をかける。手帳の和訳と合わせて、警視庁に最初に届けられた手紙の方も可能な限り一課にて訳しており、その確認のために水瀬はここまで連れられてきているのだが、肝心の手紙の資料の印刷が間に合っていないらしい。待っている間暇だろうと松田は立ち上がってホワイトボードへと足を進める。水瀬も慌てて立ち上がり松田のあとを追った。真横でそれを見ていた萩原はまずいコーヒーを飲んで顔を顰めた。良い加減コーヒーメーカーを買い替えるべきだと言い続け数年経った機械が吐き出した液体は無駄に苦い。
「なんでわざわざメッセージを残しているのに、それに意味がないんでしょうか」
 ホワイトボード前で突っ立った水瀬は佐藤が先ほど付け足した「Made 蛆」という文字の下を指先で触れてポツリと呟く。水瀬の発言に松田は眉を顰めてサングラスを外した。ホワイトボードに書き殴られている単語に規則性は見られない。警察へ向けての罵倒に思えるのは、いい言葉が使われていないからだろう。しかし最初に発見された藤田惠の遺書から読み解けた住人の名前と死亡理由が記された内容を思えば確かに違和感はある。ホワイトボードの右端、伊達の下には「急性アルコール中毒」と記されている。そんな馬鹿みたいな理由で伊達が死ぬか、殺させるかと解読直後にキレたのは上司の中谷だ。もちろん松田と萩原も内心は穏やかではなかったが、2人がキレる前に怒鳴り散らして暴れた警部がいたために松田も萩原も思わず口を閉じてしまった経緯がある。中谷の柄の悪さは捜査一課随一だった。
「……頭の文字だけとっても意味のある単語にはならなそうだが」
 すでに別の刑事もやっていそうなことを頭の中でやってのけた松田はいまだに難しそうな顔で考え込む水瀬を見て、何かが引っかかるのだろうと口を閉じる。
 思えば、犯人の思想が一向に見えてこない事件だ。どのような事件にもその犯人の目的や強い怨念による動機があるもの。しかし、フラー事件に関しては全くもってそれが見えない。どちらかというと愉快犯の行動に近い。それにしてはあまりにも凝っているのだ。念入りすぎるともいうが、ここまでしておいてただの愉快犯というのはベテラン刑事でもお目にかかったことがないらしい。
「水瀬さん、和訳のお願いしてもいいかしら」
「すぐ行きます」
 結局その時間だけで水瀬も松田も何かにたどり着くこともなく、当初の目的を果たすべく佐藤たちが座るテーブルへと戻ったのだった。


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投稿日:2022/1029
  更新日:2022/1029