鴨跖草の遺言


「お疲れ水瀬ちゃん待ってた〜!陣平ちゃんとマンツーしんどいの!!」
「ぶん殴るぞテメェ」
 萩原のオーバーすぎる歓迎を受けながら水瀬は苦笑してその場に正座する。床に並べられた資料を一瞥して凄まじい苦労を見た水瀬は単なる和訳のために呼ばれたわけではないなと察しながら一つ一つに目を向ける。
「煮詰まった、なんか案出せ」
 無茶な。水瀬は信じられないものを見る目で松田を見つめた。両手を床について天井を仰ぐようにしていた松田は水瀬を睨んで「文句あるか」と唸った。のけぞっているせいか常時より声がグッと低い。喋るたびに喉仏が動くのが露骨で水瀬はスッと目を逸らす。
「マジな話俺らだと発想が似てるもんだからさぁ、思いつく限り試して全滅してちょいブルーなのよ」
 満面の笑みを浮かべて言うことではないが、萩原なりに参っているらしいということはわかった水瀬は戸惑いながらなんとか頷く。少し長くなりすぎた髪を輪ゴムで束ねて結んでいる萩原は美容室にいく時間もないほど事件に拘束されている。松田もそれは同様で、事件現場を一通り回った後はこうして詰所に缶詰になっているのもあって思考が鈍りつつあるのを自覚していた。
 力になれと求められるのは嬉しい。なれるかどうかは別だがと水瀬は苦く笑う。捜査に関して素人の水瀬が口を出す領分ではないんだろうと中谷に毎回言われている身としては居心地がよろしくはなかった。
「えっと……これは?」
 水瀬の問いかけに松田が姿勢を戻して水瀬の指さす書類を確認するために体を傾けた。右手を床に突き、肩に頭を乗せるようにして傾げている体勢は気だるげだが様になっている。
「藤田惠が持ってた遺書の数列と、各現場にあった数字の合致場所の確認」
「なんの意味もなかったやつね」
「こっちは?」
「全部の単語を並び替えて何かを生み出そうとした残骸」
「クソみたいにパターンあって心折れたやつだよ」
「……これは」
「現場にあった数字自体別の暗号の可能性を考えて規則性を探した」
「変則的だってことしかわかんなかった」
「……」
「加算、減算、乗算して遺書の単語を引っ張った」
「メルヘンちっくな可愛らしい単語ばっかり集まりました」
 惨敗だということだけは強く理解した。水瀬はそれ以上床の努力に目を向けるのをやめた。松田も萩原も試せるものは片っ端から試していたらしい。そして量を見る限り、それらを凄まじいスピードでこなしていたのだろう。
 水瀬は改めて現場に残されていた数列とそこから導き出された単語を眺める。あの分厚い手紙を用いて単語を探すこと事態に間違いはない。現にその方法で遺書の方は解読できているし、現場に残された数字からも意味のある単語を導き出している。そこまではおそらく正しいはずだ。松田と萩原が行っていたように単語をバラしてアナグラムとするにしては文字が多くとてもではないが解読は困難にも思える。犯人がわざわざ手紙を送付してきたことを思えば、おそらく暗号を解いて欲しいはずだ。そこまで難しいものにするとは考えにくいと水瀬は思考する。床に散らばった資料の中に、藤田惠が所持していた遺書の解読文が混じっている。なんとなしにそれを手に取って眺める。
「ちょっと松田くん、なんで水瀬さん床に座らせてるのよ」
 コーヒーを買いに行って戻ってきたと思ったら、先ほどまで座っていた席に水瀬がいない。矢島に視線で水瀬の居場所を知らされた佐藤は苛立ちを隠さずに松田に詰め寄った。
「オメェが邪魔だっつってテーブルから追い出したんだろうが」
「こうやって資料だらけにするからよ!水瀬さん断っていいのよ」
 心底心配そうに言われてしまい水瀬も苦笑する。何を言っても角が立ちそうだ。萩原が「水瀬ちゃん頭の回転早いし、俺らもう限界を越えようとしてるからちょっとだけ貸して」と困ったように佐藤に語る。萩原にはあまり強く出られない佐藤はモゴモゴと口を動かして、諦めたように水瀬へコーヒーを差し出した。
「いつもありがと、よかったら飲んで」 
「え!いいんですか?すみません……ありがとうございます」
 遠慮がちに受け取る水瀬に佐藤は満足そうにニコニコと笑う。
「俺には」
 しかし松田の一言で一瞬で笑顔が消え失せた。
「なんであると思うのよ」
「なんで先輩にはねぇんだよ」
 睨みあげる松田を無視して佐藤は颯爽とテーブルへと戻ってしまう。萩原は松田の睨みもああしてスルーできるからこうして相棒ができているんだろうなと佐藤を感心した目で見送った。徹夜も相まって相当に目つきの悪い松田に全く臆することなく言い返せるのだから大したものだと賞賛する。佐藤から受け取った缶コーヒーをカシリと開封した水瀬は一口コクリと喉に流す。冷たさと苦味で頭が冴えた感覚に水瀬は瞬きを多くしてから再び目線を手元に下ろした。松田が恨めしそうに水瀬を見ているが視界に入っていないのか気がついていない水瀬に萩原は苦笑をこぼす。佐藤と水瀬は正反対と言っていいほどタイプの違う女性だが松田の扱いはどちらもうまいと萩原は思っている。
「鷹の羽……」
「金田のとこにあったメモね〜」
「ちょっと引っかかってて……なんでかなと」
「まあ、羽をもぐのに鷹を引き合いに出すことそんなに無いよね」
 何かが引っかかっているのだろう水瀬に萩原が相槌を返す。両手で頬を押さえるようにして支えているポーズに水瀬も松田も突っ込まない。遠目に萩原の姿を見てしまった矢島はなんであの先輩は歳の割にああいうのが似合うんだとやさぐれそうになっていた。相棒がキャーキャー言われているとそれなりに大変なのだ。コト、と水瀬がコーヒーを自分の脇へ置く。
「今まで現場には数字しかなかったのに、あれだけドイツ語」
「あ〜、それは確かに引っかかるな」
「犯人の気が大きくなってんだろ、よくあることだ」
「なるほど」
「あの文章も入れ替えとか試したけどまぁ文字数多いよね、無理無理」
 萩原が水瀬を車で送っている際に言っていた、タイミングの良さについては松田と萩原、そして伊達でうんざりするほど話し合った。伊達の伝手で当時調査を行ったという所轄の刑事についても聞き込みを行なったが、特段妙な噂があるわけでもないいたって平凡な刑事だという。もやもやとした気持ち悪さだけを残した結果となったことを思い出した松田はそのきっかけを持ってくるだけ持ってきて捜査には関わってこない水瀬に少しだけ呆れた。
 ちょっとでも気にして聞いてくるようならまだ可愛げがあるものの、物分かりが良すぎるのか刑事部の領分だと言って余計な詮索を一切してこない。おかげでこうやって無理に引き摺り込んでやるしかない。水瀬の発想力、想像力はその根底に莫大な知識が備わっている。ダイナミクスに関する知識と一口に言っても、その多様性を松田は嫌というほど思い知ったためもう水瀬のことを半ば生き字引のようにすら思っていた。あんな学問を修めるなど変態だ。失礼なことを思いながら考え込む水瀬を一瞥した松田が水瀬が置いたコーヒーを無断で持ち上げて煽る。萩原が信じられないものを見たという顔をした。
「まじで?」
「あ?」
「そりゃねぇよ陣平ちゃん」
 まさかそこまでポンコツだったとは。萩原はゾッとして腕をさする。水瀬が酒の回し飲みを気にしないことを知っている松田としては非難される言われなどないとばかりの顔で萩原を睨んだ。女友達がいた事がない弊害か、萩原は頭を抱える。水瀬は松田と萩原のやりとりが耳に入っていないのかうんうんと唸りながら考え込んでいる。
「数字はペアで使って……手紙と照らし合わせて単語を引いて……」
 唸りながら首を傾げる水瀬の横で萩原は松田を叱った。
「あのなぁ、お前が気にしなくても周りは気にするし見てるんだぞ?いいの?水瀬ちゃんは間接キッス平気なのか俺の飲みかけ食べかけあげるよ〜なんて変態湧いても」
「発想がキメェな」
「変態の発想はキモいでしょ」
 それはそうだと素直に松田は頷いた。でも言い方は純粋に萩原が気持ち悪い。なんだキッスって。松田は心底軽蔑する目を萩原に向けたが、あいにく萩原も松田に同じ視線を送っていた。
「水瀬ちゃん自身のガードはそんなに緩くないのに松田のせいでゆるゆるにしたら意味ないじゃん、馬鹿じゃん。あと普通にセクハラだからね女の子相手なんだから」
「セクハラはお前だろうがベタベタ触ってたろ変態ロン毛」
「え?喧嘩する?」
「泣かされてぇか、姉ちゃん〜って泣きながら神奈川行く羽目になるぞ」
「いつの話してんだよ携帯分解して死ぬほど怒られてメソメソしてた陣平くん」
「オメェもいつの話してんだよ刈り上げるぞ毛を」
 子供のような言い争いはブツブツと続けられ、幸いにして最初に気がついた伊達によって止められるまで水瀬も含め誰の耳のも入らなかった。言い訳をするのであれば徹夜が続いていたせいで頭のネジが緩んでいたのだ。頭のネジはこれまた徹夜で手加減を忘れた伊達によって振り下ろされた拳が強制的に締めたため事なきを得た。

 - return - 

投稿日:2022/1106
  更新日:2022/1106