鴨跖草の遺言
水瀬が帰宅して真っ先にすることは、玄関先で盗聴器や発信機の類が付けられていないか確認をすることだ。降谷と風見が諸伏の生存を確認してから新たに加わったこのルーティンも慣れてきて、自身の体と荷物に機械を近づけて手早く確認を終えた水瀬は居間から顔を出した諸伏に「おかえり」と声をかけられた。「ただいま帰りました」
「ゼロもきてるよ」
「お邪魔してます」
無断で悪い。と眉を下げる降谷に首を振りながら挨拶を交わす。降谷も諸伏も、パッと見てわかる場所に靴を置かないので水瀬は降谷が顔を出すまで来訪に気がついていなかった。水瀬が帰宅してすぐは諸伏も降谷も相手の確認のためにじっと息を殺していたため会話がなかったのも一因だ。帰宅するたびにどこか緊張している諸伏に「合図とか、チャイム鳴らした方がいいですか?」と問いかけた水瀬に、自宅に入るときに極力違和感や不自然な行動は控えるべきだと断ったのは諸伏だ。たまにであれば効率的ではあるかもしれないが、毎度となると悪目立ちする。水瀬に今求められているのは最小限目立たず誰の目に止まらないことだ。
「この時間ですしご飯食べて行きますか?」
「いや、流石に申し訳ないし帰るよ」
「食べてけばいいだろ?俺作るし」
理由があるとはいえ女性の家に不法侵入の上に図々しいにも程があるだろうと降谷は断ったが不思議そうに諸伏まで水瀬の援護に回る。じとっとした目で諸伏を睨むが「この時間に帰る方が人目もあるだろ」ともっともなことをあっけらかんとして言っている。帰宅を促した時点で帰らず粘った癖に何を今更。諸伏の目は饒舌だった。
「……お言葉に甘えます」
「今日天津飯にしようと思ってたんだ、ゼロ手伝ってくれ」
今度は水瀬が驚いた顔で諸伏を凝視する。
「私手伝います」
「いいからいいから、ゼロも俺が教えてそれなりに料理できるから安心していいよ」
そうじゃなくてとオロオロとする水瀬だが諸伏は意見を変えるつもりがないのだろう。「水瀬さんのエプロンだとサイズ的に無理あるからそのままでいいか」と話を進めている。可哀想なくらいに困った様子を見せている水瀬を見て、降谷はなるほど主導権は諸伏だなと哀れに思った。こうと決めたら押しが強いところがある諸伏に常に振り回されているのかもしれない、それも純度100の善意。断れもしないし、何より諸伏の読み通り水瀬が諸伏の欲求を理解しているのであれば尚更従うしかないのだろう。水瀬の目と降谷の目が合ったため、にっこりと笑ってやる。
「それなりかどうか確認してくれるか」
そこに引っ掛かるのかと諸伏は引いた顔をしながら手を動かす。若干自棄を起こしている降谷は罪悪感を綺麗に押し殺した表情でキッチンへと足を進めた。
「すごい……美味しい……何食べても美味しい……」
パクパクと料理を口に運びながら水瀬は感極まったように噛み締めて感想を漏らしていた。諸伏は慣れたように「だろ?」と笑っているが慣れない降谷はややぎこちなく笑うばかり。小食な上に食べるのが遅いのだろう、降谷と諸伏が大皿から何度か料理を取り分けている間にもちまちまと自身の皿の上の料理を消費している水瀬を見て諸伏が食育がどうのとぼやいていた理由を理解した。
「降谷さんもすごいですね、普段から自炊なんですか?」
「できる限りはね、気分転換にもなるし」
「こう言ってるけど、ゼロは警察になる前なんて本当にダメだったんだ料理」
楽しげに笑う諸伏が眩しいものを見るように料理を見て降谷の過去を口にしたので水瀬は意外そうな表情で降谷を見た。松田や萩原を見ても思ったがやはり付き合いの長さというのは大切だと水瀬は痛感する。降谷と風見と再会できてから諸伏の顔色はずっと良くなった。水瀬が面談室で会話していたときなんて目ではないほどに好調そうである。もちろんそれは降谷と風見にも言えた。
「そういえば捜一の協力、まだ続きそうなの?」
ふと諸伏が水瀬へ問いかける。フラー事件の概要と、翻訳のために協力をしているために帰宅がずれることを諸伏は聞いていた。降谷も事件については把握しているため、特に口を挟むことなく春巻にかぶりついた。
「そうですね、もう少しかかるかと」
「強行犯の案件だけど萩原も関わってるんだよな、あと伊達が……まあ大丈夫だろうけど」
「伊達?」
「そこまでは知らないか、班長が例のアパートに昔住んでた刑事だよ。警護対象だ」
目を見開いた降谷は動きを止める。刑事部で大きな案件が動いているということで事件自体の把握はしていたものの狙われる可能性のある刑事が伊達ということまでは知らなかった。殺しても死なないだろうという風体の伊達ではあるがいざこうして狙われていると名指しされると不安になる部分はある。降谷と諸伏は揃って口を閉じた。
「この前伊達さん、松田さんと萩原さんにゲンコツして一発でダウンさせてましたよ」
空気を察した水瀬がカラッとした声で伝える。
「どういう状況だ」
息をこぼすように降谷が笑う。しかし詳細を問われても水瀬も自体を把握できていなかったため正直に「気がつけばお二人が倒れていました」と八宝菜を箸でつまみながら誤魔化すように笑う。呻き声が聞こえたと思ったら松田と萩原が床に伸びて資料の山にダイブしており、伊達が引き攣った笑顔で「学生かお前ら」と一喝していた。遠目に見ていたらしい佐藤も「遊んでないで仕事して」と松田に叱咤を飛ばしていた。
「松田と萩原は具体的に何をやってるんだ?」
諸伏が首を傾げて問いかけてくる。答えていいものか、と水瀬は口をキュッと閉じた。降谷は水瀬の表情を見てその内心を読み取り呆れと共に感心した。守秘義務において水瀬ほど信頼のおける警官もそういないだろう。
「大丈夫だ、水瀬さんが今話すか後から自分で報告書を見るかの差しかない」
「……そうなんですか?」
「そうなんだよ」
諸伏もククッと笑う。少々口は重たげだが、暗号について総当たりで確認していたことを伝えた水瀬に、諸伏は「あの2人は得意そうだなそういうの」と頷く。
「現場に残された数字とそれを変換させる暗号か」
「それならあとで俺のパソコンで見ればわかるよ」
興味が湧いたとばかりに食いついた降谷に諸伏が親指で書室を指す。一度時計を確認した降谷はかき込むようにして食事を終わらせて食器を下げ、書室へと足を向ける。諸伏は食事に関しては遠慮を見せたのに家主に断りなく他の部屋に移動するのはどういう神経なのかと降谷を呆れた目で見つめた。諸伏の寝室として使用しているのを知っているとは言っても一言断りを入れるべきだ。当の水瀬は気にした様子もなくしゃくしゃくと白菜を美味しそうに噛んでいた。これくらい大らかな性格でなければ降谷と付き合うのは無理だろうな、なんて降谷の横暴さを除長させたと言っていいほどおおらかで緩い諸伏は他人事のように考えた。
水瀬にも諸伏にも断りなく、ノートパソコンを絶賛2人が食事中であるテーブルに乗せた降谷に諸伏は胡乱げな目を向けて非難した。降谷が食事をしていたスペースは綺麗に片付けられているとはいえ、隣で仕事をされるのは食事がしにくいし落ち着かない。もっとも諸伏も降谷と2人であればまったく気にしないだろうが。水瀬に悪いだろうと「ちょっとゼロ」と嗜める。
「だめか?」
「大丈夫ですよ」
「そこで水瀬さんに聞くのずるいだろ」
即座にOKを出してしまった水瀬に諸伏は眉を下げて木耳を口に放り込んだ。
「ヒロ」
「…………」
パスワード画面を向けられたため、無言で咀嚼をしながら諸伏は箸と小皿をテーブルに置き、ロックを解除してやる。満足そうに礼を言った降谷は問題の事件ファイルを探そうとしたが、諸伏がデスクトップにあるフォルダを指さしたので大人しくそのフォルダを展開する。ちゃっかりと事件に関する資料のショートカットが格納されており降谷は諸伏を呆れた目で睨んだ。表に関わるなとあれほど注意していたのに懲りてないなこいつ。ショートカットからリンク先を展開し、いくつかパスワードを入力。本来なら所属している警官しか知らないものでも公安には関係がないとばかりにパスワードを入力した時点で諸伏も「こいつも時間あれば警視庁のフォルダ見てるな」と察した。警視庁捜査一課の共有サーバーへと繋がり問題の「フラー事件」に関する調査経緯や資料の格納先には日付別にナンバリングされた進捗と、事件に大きく関わりそうなファクターで区分けされたフォルダが並んでいた。
降谷自身も時間がある際にはこの事件についてはこの格納先を確認し進捗を観察していた。何せ警察が見落としてきた殺人だ、どこで嗅ぎつけたのか早速マスコミに探られておりあと一歩遅ければ警察の職務怠慢として世間に記事がばら撒かれるところであった。直前で警察庁の総合情報分析室――ゼロナナが情報をキャッチし圧をかけて記事を止めることに成功。これだけ多くの人間を人知れず殺しているとなれば、犯人が単独でない可能性、つまりは警察に敵対する組織である可能性も考えられる。下手に刺激をして事が大きくなるのを避けるための対応であった。
「事件性なしとされて処理されてるものがネックになってるな」
「もうしょうがないとはいえそこにヒントがあったかもと思うとな……ごちそうさまでした」
食べ終えた諸伏が口を挟む。水瀬より食べるのが早い諸伏は普段より水瀬が食べ終わるまで食器を下げずに待っている。本日も例外なく食器はそのままに顔だけ降谷の操作するパソコンへ向けた。
「共有に入れてないだろう情報とかあるなってわかるよ、この中身見ると」
「それはそうだろ、一課とは言え別の班も合同……そもそも検挙率を気にする刑事からすれば美味しい情報は場合によっては温めるだろ」
「俺、味方同士での腹の探り合いとか潜入先以外でやりたくないなぁ、刑事部向いてなさそう」
「そうか?ヒロはやってけると思うけど」
公安ではまず有り得ないことではある。表は表で面倒そうだなと降谷と諸伏は内心で思った。公安の性格上、そもそも誰がなんの仕事をしているのかすら公にならないこともザラにある。そして目的は犯人を捕まえることよりも犯罪を未然に防ぐことに重きをおいている部分があるため、公安内部で手柄の取り合いなどは滅多に起きないのだ。表の刑事に嫌われ、ともに違法作業を行なっているという負い目に似たものも共通意識としてあるためか結束も強い。上層部は蹴落とし合いが多々あるが現場で走り回っているような刑事は誰かがこぼれ落ちそうものなら必死になって手を引っ張り上げるような人間ばかりだ。他の部署から嫌われているのも結束を強めている一因であるのが物悲しいが。
「潜入先だとみんな敵だから楽だけど、なんで同じ調査してる仲間にまで必要のない隠し事をしないとダメなんだ」
「自分のためなんじゃないか?」
「それがこう、受け付けられない。箝口令でもないのに共有しないことに納得できない。事件解決が遅くなるかもしれないだろ」
「そんなこと言ってると上にいけないぞ」
「俺別にのしあがりたい訳じゃないからね」
「またまた、ヒロが上がってこないと俺が面倒だろ」
「やめてくれ」
ずっと現場でいいとこぼす諸伏に降谷は爽やかに笑う。降谷とて現場で動いている方が性に合うため諸伏の言い分はわかるが、今後諸伏が潜入捜査をすることはまずない。もちろん公安の仕事は潜入捜査が全てではなく、その他にも現場に出る仕事は多々ある。しかし組織の壊滅目処も未定、構成員の規模も大きいために諸伏が内勤中心になるのは今後必須となる。成果が見えにくい立ち位置になるがだからといって諸伏が上に上がらずにいることをよしとするのを降谷が我慢ならない、諸伏の優秀さを誠実さを誰よりも知っているからこそ上に上がって警察組織をより良くするために必要不可欠だと考えていた。気軽な応酬を繰り返す2人を眺めながら水瀬もワンタンスープを飲みきりそっと手を合わせて食事を終了させた。気がついた諸伏が「お粗末様」と微笑む。
「美味しかったです」
何度目かの賞賛に降谷も頬を緩めた。
「それはよかった」
「水瀬さん小食だし気を抜いたら食事抜くから中華だとカロリーとれていいな」
レパートリー増えそうだと諸伏が笑いながら食器を重ねる。水瀬も空の食器を手に持ってキッチンへと運んでいく。淀みなく協力して片付けを始める2人を見て降谷は共同生活が板につきすぎではなかろうかとやや心配になった。
「ゼロはテーブル拭いて」
布巾を投擲して渡してきた諸伏に、まあ元気になったのならいいかと組織時代の憔悴具合を知っている幼馴染として安堵と呆れの溜息を降谷は盛大に漏らした。
投稿日:2022/1112
更新日:2022/1112