鴨跖草の遺言
「なんでここにきて公安が出張るのよ!」ガン!と凄まじい音を立ててゴミ箱へと投げ込まれた空き缶の音が廊下に響く。佐藤は怒りのあまりふーふーと息を荒げて頭を掻きむしった。
「あれだけの捜査員を動員して、しらみ潰しに過去の事件も洗って!これからって時に!」
「佐藤の怒りもわかるがこればっかりはな」
うちの中谷警部もお冠だった、と伊達が苦笑する。フラー事件も大詰めと言っていいほど、過去の洗い出しも終えて精査を始めようとした段階で横から公安部が案件ごと掻っ攫ってしまったのだ。捜査一課での捜査権はなくなり、以降の調査結果も連携されない。常に手柄を上げようと躍起になっている中谷など佐藤の比じゃないほど怒り狂っているため、中谷班である伊達や河野は諌める側に回らざるを得ず、慣れたように佐藤の面倒も見ていた。中谷の怒り方で慣れてしまったためか佐藤の怒りはいくばくか可愛く見えるほどだ。
「……」
「松田、お前は漏れてるから一旦タバコでも行って来い」
伊達に肩を叩かれて耳元でそんなセリフを吐かれた松田は一瞬の硬直後黙ってその場から去る。フラー事件の詰所も解体されてしまい、通常業務に戻ったとは言え突如事件が舞い込んでくることもなくフラストレーションだけが溜まった刑事が捜査一課に在中してしまっていた。苛立ちやストレスは伝染し蔓延する。佐藤ほど大っぴらに苛立ちを言動に見せないものの松田もここにきて事件を取り上げられた怒りはそれなりにあり、また無意識にGlareを放出していた。
伊達は苛立ちを感じさせる松田の背中を見送りながら、さてどうしたものかと思案する。というのも、公安部からの協力要請が伊達に対して入っているのだ。次に狙われる可能性がある伊達を捜査に組み込む形で掌握しておきたいのだろう。しかし捜査一課の怒りようを見ていると素直に伊達が公安に協力をしたところでより一層ヘイトを集める。異動してまだ一年も経っていない中でことを荒立てるのは避けたい伊達はひっそりとため息を吐き出した。参考人で強制的に連行された方がまだやりやすい。
「伊達ェ!河野と張り込み行って来い!」
「どこすか?」
「河野に聞け」
最高潮に機嫌の悪い中谷は伊達を一瞥もすることなく手で追い払うようにして指示を飛ばした。河野にスマホで連絡を取れば、すでに駐車場に移動済みだというためいささか怪訝に思いながら河野の元へ向かう。張り込みするような案件などあっただろうか。場所も案件も、普段であればいくら機嫌が悪かろうが伝えてくる中谷がそれを怠ったことも気にかかりながら急ぎ足に移動。地下駐車場にてヘッドライトが付けられた河野の車であるスカイラインに乗り込んだ伊達は河野が普段よりも疲れた空気をまとっていることに気がついた。
「遅くなりました」
「いや、中谷警部はなんて?」
「河野さんに聞けとだけ」
「言いそう」
へら、と笑う河野に対し首を傾げる伊達。
「これから俺とお前は張り込みに出されたらフラー事件関連だと思え」
「……なるほど、よく警部がOK出しましたね」
「だからせめてもの抵抗で説明しなかったんだろ」
拗ねると大変なんだあの人と河野は苦笑する。どうやら公安から手を回され上から指示が出されたらしい。張り込みという形で捜査をするということはおそらく他の刑事には開示不可。松田と佐藤、ついでに萩原に露見すると面倒だぞと伊達はすぐに気を引き締めた。
「張り込み場所は徒歩圏内だったってことで……公安部に行くぞ」
颯爽と車から降りた河野に伊達は慌てて続く。
地下にも通じている運搬用のエレベーターは業者のみが使用可能となっており普段使用することは厳禁とされている。当たり前のようにそのエレベーターに乗せられた伊達はなるほど公安は使っていいのかと初めて知る。そしてそれを知っている河野にじっと視線を向ければ、観念したように項垂れた。
「御察しの通りだよ」
「いつまでですか?」
「2年前まで」
河野の過去の経歴を聞いたことがなかったが、警視庁の公安にいたことがあると言われれば納得できるところが伊達にはあった。優秀なのはもちろんであるが所轄や通常の刑事部にいても知り得ないような突拍子もない捜査方法を提案してくることがあったのだ。しかもそれがドンピシャにハマるものだから伊達もまだまだだななんて己を戒めていたのだが、なるほど公安で得た経験だったのかと知り果たして真似て良いものかなんて若干の不安がよぎった。
「聞いてもいいですか」
「おう」
「なぜ刑事部に?」
「結婚したかった」
「……は?」
「嫁が欲しかった」
言い方が変わっただけで中身は変わらない。大真面目な顔をして拳を握る先輩に伊達はどんな声をかけていいのかわからなかった。インジケーターの上昇が遅い、普段使っているものよりも壁に傷が多い無骨なエレベーターは妙な音を時折立てながらゆっくりと公安部フロアへと上がっていく。
「伊達が思う以上に公安は激務だ、公私なんて全くない。ここにいちゃ絶対に結婚できないと思ってずっと異動願い出しててやっと通ったのが2年前だ」
「……いつから異動願いを?」
「所属して2年目からだから……24から6年間?」
初期配属から公安だったのか。伊達はギョッとして河野を見た。結婚に対する執念深さもさることながら、そうまでして移動してきたのは捜査一課。捜査一課も結婚率で言うと相当悪い数値を叩き出していると言うのに。伊達の無言の問いかけを察したのだろう河野は困ったように笑った。
「いやぁ捜一の忙しさ舐めてたんだよ」
変なところで抜けている河野である。とは言え伊達はそれほどまでに河野に結婚願望があったことに驚いた。時折冗談のように独り身であることを自虐しているが、相手を探す素振りも無ければ人からの好意は徹底して見ぬふりをしているように思えていたのだ。
そんな河野に連れられてやってきた場所は扉のプレートに何も書かれていない部屋。扉の間隔から会議室だろう大きさ、どうやら他のフロアとは根本的に作りから違うらしいと伊達はキョロとあたりを見渡す。他のフロアであれば小部屋が並ぶ位置、大会議室は反対の場所にある。独特なノックの後に内側から扉が開く。扉が開いた瞬間ブワリと人の気配がドッと廊下に流れ込んできて伊達は防音なのかと感心する。扉の内側に刑事が見張りのように立ち、河野のノックであけたらしい。
「河野さん!お久しぶりです!」
「久しぶりだな、この山の間はよろしく。こっちは今相棒の伊達」
「お噂はかねがね、公安部の高伊梅次郎です」
「捜査一課強行犯の伊達航です、よろしくお願いします」
「ウメジって呼んでやれ、もう一人『高井』がいるせいで大体それで呼ばれてるからこいつ」
公安の時の相棒だと河野が続ける。人懐っこい犬のような笑みを浮かべる高伊は言っては悪いが公安らしくない。交番にいてもいいくらいに愛想のある男だった。会議室の中は少し前まで捜査一課にて置いていた資料が積まれており、詰所らしい作りになっている。違うのは人数だろう。捜一で捜査していた時の半分もいない。
「河野さんと伊達さんはこっちです、風見!」
高伊が声を上げた先には眼鏡をかけた、伊達と同年代と思われる刑事。目の下にはくっきりと濃い隈が鎮座しており公私もあったもんじゃないと悪態をついていた河野の言葉を伊達は思い出した。風見は降谷からも聞いていた伊達を目にし立ち上がって握手の姿勢をとる。
「風見です、よろしくお願いします」
「強行犯の伊達です」
徹底して詳細な所属場所は言わない公安刑事たちに伊達は少し苦笑をこぼす。握手を交わす2人を眺めていた河野は風見を一瞥し、納得したように頷いた。
「後任か」
「……やっぱり河野さんには隠し事はできませんね」
否定も肯定もせず苦笑する風見の顔を見て、見た目ほど堅物ではないのかも知れないと伊達は失礼にも思った。河野のいう後任とは警察庁との連絡係――つまりはゼロと接触する数少ない刑事が担う役割のことだ。元々河野が行っていた役割が誰に引き継がれたのか河野は把握してない、しかしある程度目処はつくもの。高伊も候補ではあったが外回りをしている靴ではなかった。対して風見の靴は頻繁に外に出ているのだろう傷がついている。ジャケットのポケットに端末が複数入れられていることにも河野は気がついた。当時の河野の出で立ちに風見は類似点が多すぎた。河野の観察眼は恐ろしい、公安部でもよく言われていた言葉は今なお健在であるらしいと風見は心強すぎる助っ人に安堵と共に肩を硬らせた。もちろん、当時取り扱っていた案件も違うため河野が指示を受けていた警察庁の人間は降谷ではない。警視庁公安部には一定数、案件毎に警察庁から指示を直接受ける刑事が存在しているのだ。
伊達は知り合いらしい2人の会話を横目に、室内に目を走らせる。知っている顔はない。ここだろうと思っていたが、この山に関係していないのかも知れない。気落ちはしてしまうもののこればかりはしょうがないと切り替えて伊達は風見に勧められた椅子に腰を下ろした。
投稿日:2022/1201
更新日:2022/1201