鴨跖草の遺言

「はんちょ」
 とびきりご機嫌とばかりに萩原に声をかけられた時点で伊達は詰んだと察して勇ましい眉を情けなく下げた。ニコニコの笑顔に加えて悍ましくも両手を乙女のように口元に添えてうふふと笑う萩原はデロデロに蕩けそうな程甘ったるい仕草で伊達の進行方向を塞いでいた。伊達の中で「モンスターが現れた、逃げられない」のテロップが表示された。伊達自身はゲームは全く触らないのだが、恋人であるナタリーの務める英会話教室の教え子が頻繁に会話に出すためにナタリー伝手に知識だけは一丁前になっていた。
「河野さんもお疲れ様です」
「うん」
 河野も萩原の異様さに絶句とばかりに顔を強張らせている。伊達は河野が「うん」なんて返答するところを初めて聞いたため河野を二度見してしまった。しかしそれ程までに萩原の放つ雰囲気は異様だった。
「それで?説明してもらえるんだよね?」
「なんだ?なにをだ?」
 伊達は必死の抵抗を見せたが、笑顔で黙殺されたためチラ、と河野へと目を向ける。助けてくださいという後輩からの視線に河野は大きくため息を吐き出して人好きする笑顔を浮かべた。
「どうした?何かあったか?」
「河野さんと班長、“例の案件”引き続き調査してるんですよね?」
「まさか、公安に持ってかれただろ」
「ふふ、河野さん古巣でしょ?俺知ってますよ。それにしばらく張り込み行ってないのも見てれば分かりますし、班長まだ家帰ってないでしょ?河野さんとこ泊まってるのもあれだけ出勤時間同じになればわかりますって」
 綺麗に持ち上がった口角、三日月型の瞳。目元はほんのりと赤く染まっている。薄い唇の間から並びのいい歯がチラリと覗いた。伊達は気味の悪さに鳥肌を立てて半歩下がる。
「お前見かけによらず怖いな」
 河野まで早々に折れた。萩原の耳の速さと情報の出どころはどうなっているのだろう、そしてその圧はなんだと伊達は同期の男に戦慄した。
「いいんですか?」
「まぁ……知っての通り向こうは年中人手不足。口が硬い、信頼できる、使える奴であれば巻き込んでもいいとは言われてる」
 捜査一課が弱らない程度に、と河野はうんざりとばかりに続けて目頭を抑えた。引き抜きの選定を任されるほど公安からも捜査一課からも信頼を勝ち得ている河野という男の裏の顔を一気に知らされた伊達はひくりと顔を引き攣らせる。駆け引きなどはあまり得意ではない性分である伊達としては、腹の探り合いは可能な限り避けたいのだ。
「ついでだ、松田にも声かけるか……佐藤と矢島はだめだ、あいつらは表立って公安への不満垂らしてたからな。態度が急変したら目立つ」
 ああ、と萩原は納得して松田を呼びに駆けていく。相棒が居ないとなると佐藤と矢島はどうするのだろうと思うも、その辺りはうまく調整するのだろう。佐藤に関しては相当悔しがっているのを見ているためかわいそうではあるものの、河野のいうことも一理ある。おまけに良くも悪くも、紅一点の佐藤は目を集めるのだ。秘密裏に公安との合同調査はまず向かないだろう。松田も纏う空気こそ悪かったが、態度が悪いのは常のことのためそこまで悪目立ちしない。内心で自然と同期を貶してしまった伊達は松田の評価がいささか心配になってしまった。

「それでこのメンツね」
 呼び出されてすぐさま会議室へとやってきた松田はふーんと頬杖をつきながら不躾に河野に視線を流した。
「河野さんて公安だったんすね」
「まぁな」
「なんで捜一に?」
「結婚したかった」
 松田も萩原も閉口して伊達を見てきたため、伊達はぶんぶんと首を横に振った。笑うところではない、本人は至って真剣だ。萩原の中で河野のあだ名が婚活デカになった瞬間である。入れ食いだろう顔なのになぜ河野に恋人がいないのだろう、萩原はもしやとんでもない癖でもあるんだろうかと非常に失礼な憶測を河野に抱いた。
「ええと、佐藤ちゃんとうちの矢島が却下な理由もわかるんですけど、俺ら相棒放っておいていいんですかね」
「大丈夫だ、萩原と松田は急遽地方にいる同級生の訃報があったことにして溜まってた有給消化。その間佐藤も矢島もそれぞれの班の警部補と組むってよ」
「有給」
「本当に消化はさせないから安心しろ」
「いや訃報って」
 洒落にならないのではなかろうか、と松田が顔を顰める。もちろん表立った裏付けで必要があれば噂が流れるようにしているだけで、大々的に公表されるわけではない。戻った時に否定してもいいと言う河野の言葉に松田はギリギリ納得してみせた。行方知れずの同期がいるのもあって笑えないのだ。
「にしても、警察病院で不祥事ねぇ」
「公安が持ってくのも頷ける」
 おっかね。とぼやく萩原に河野は苦笑する。公安に入ればこのような話ばかり対応するため特段珍しい事件でもないのだ。とは言ってもここまで厄介な案件は数年に一度の頻度ではあるが。問題の大きさと公安預かりとなったことへの理解の速さ、そして捜査一課にて捜査していた時の姿勢や着眼点。相棒である伊達ももちろん河野が舌を巻くほどには優秀であるが、その伊達が評価するのも納得するほど萩原と松田も優秀であった。それにベクトルが全員違うのがまたいいと河野は内心で笑う。捜査一課には悪いが公安側の捜査はやりやすくなるだろうと確信した。
「にしてもどっから警察病院関連って判明したんすか」
 松田のもっともな質問に、風見が解いたと言っていた例の解読方法を伝える。河野としては頭が硬くドイツ語がそこまで堪能ではないはずの風見が解いたとは思っていないがそれを口にするほど甘くもなかった。誰がと言うのはそこまで重要ではない。ただわかりやすくガチガチに説明していた風見の演技力に関してはどこかで苦言を呈そうとは思っている河野は、古巣との共同捜査の間後輩を扱く心積りであった。
「あ〜完全盲点……部屋番号なぁ」
「……」
 2人揃って天井を仰ぎ見て悔しがりはじめたので伊達は半笑いで「残念だったな」と慰める。2人がどれだけ苦戦していたかも知っているのでなんとも言えない歯痒さは伊達も感じていた。切り替えは松田の方が早かったようで、一つ咳払いをして正面を向いた時にはスッキリとした顔になっていた。同性から見てもこういった面で松田は男らしいというか、さっぱりしたところがある。
「俺らはどうすれば?」
「今まで通り伊達の警護、公安側で警察病院に患者として潜入する刑事がいるから、そっちのバックアップ……場合によってはお前らにも病院に罹ってもらう」
「ええ、精神科?」
「ちょうど良くダイナミクス数値ブレブレなんだろ?水瀬さんの面談者ってことは」
「河野さんそれ言っちゃだめなやつ」
 俺そこまでひどくないっすよ、と萩原がむすっと反論する。松田も不服なのだろうが直接捜査ができるのであればと言う葛藤で口を開くことなく無言を通した。萩原の言う通り、11月7日の事件以降萩原のダイナミクス数値は安定してきている。多かった面談回数も数年ぶりに減ってきていた。しかし水瀬の面談者であることは変わりないためなんの説得力もないのだが。
「それを言うならあんたもなんじゃないのか?」
 松田がニヤリと河野に噛み付く。実際河野も水瀬の面談者であるため素直に頷いた。伊達だけが何が何やら、と首を傾げている。水瀬が厄介者の面談を引き受けていることを伊達はまだ知らなかった。


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投稿日:2022/1208
  更新日:2022/1208